今日の楠井さんはサブキャスターで頑張ってました。
さて、上の楠井さんは下のどれでしょう?
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10
mmm、ここまでやるとちょっとアブナイかな。
答えは次回の“楠井チェック”で
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さて、上の楠井さんは下のどれでしょう?
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mmm、ここまでやるとちょっとアブナイかな。
答えは次回の“楠井チェック”で
昨日、京都府教育委員会が「毛原の棚田」ほか3地域を「文化的景観」に指定したことを書いた。では「景観」とは何なのか?「景観」の価値とは?「景観」は環境保全との関連で語られることも多いが、「景観」を保全することと「環境」を守ることとの関係は?
とりあえずネットで調べてみても予想通りこのあたりのことごとに関してはあまり深められていないことが分かる。学会、行政、一般の雰囲気というか、はやりの“空気”で読んでみれば、なんとなく「自然と人工物の混在した一定範囲の景色」を「景観」と暗黙に了解しているようだ。
そもそも「景観」自体があいまいなのに、その「価値」ということになると、これはもう経済的価値観という視点で論じられる場合がほとんどというのはいたし方のないところだ。昨年6月、「景観形成の経済的価値分析に関する検討報告書」なる ものが国土交通省から提示されているが、現時点での「景観の価値評価手法」に対する考え方の大勢をまとめたものと言えるだろう。
昨年9月、京都市が「新景観条例」を制定した際にも、市街地の地主や不動産業者らからの「資産価値が下がる」といった反対論に対する反論の拠り所となっていた。ちなみに、京都府も昨年4月に「景観条例」を施行しているが、京都市の場合ほど反対論も出てこなかったというか、ほとんど話題にもならなかったのは興味深い。
京都府のそれが「平和を守りましょう」的な毒にも薬にもならない総論、スローガンのような内容であったのに対し、京都市のそれは、あの前市長にしては珍しく建築物の「高さ」「建ぺい率」や「広告規制」など、言ってみれば「平和を守るために、タルんだ海自の無駄な船と人員は半分に減らしましょう」的に具体的な基準にまで踏み込んだため、経済的利害の対立する勢力が騒いだということだ。
つまり、ことほど左様に「景観の価値」、「景観保全」といっても具体的な部分に踏み込んでいくと、醜い利害争いが現れてきて結構泥臭いものなのだ。私は、その元凶は「景観」の基礎をなす「土地の私有制度」にあると考えている。土地の私有制度を撤廃すれば「景観」と「経済的資産価値」との対立は無くなる。経過措置として百歩譲っても、個人の生活に必要最小限の土地以外の「私有」は即時撤廃すべきだ。そこにメスをいれずに「平和を守ろう」的キレイごとをお題目のように唱えていても何の解決にもならない。
これと似たようなことは、他の環境諸課題、CO2、エネルギー、食糧その他全てについて言えることだ。循環型社会などと耳障りの良いたわごとをふりまき、CO2まで排出権取引で投機の対象としてしまう資本主義のタブーに踏み込まない限り、根本的解決はありえない。そこに気づかないで今の市民レベルの環境への取り組みなど、所詮騙されているか自己満足のお遊びでしかない。