昨日のログハウス建築作業は、 「ソバ打ち講習会」と「キノコ栽培オーナー」イベント準備(ホダ木採集)のためお休み。元森林組合のUさんの指導で桑の伐採作業を行った。(ソバ打ち講習会は「田舎暮らし応援団」活動報告参照)
(昨日はとても良い天気=花粉日和だった。覚悟はしていたが、おかげで今日のコンディションは最悪)
桑といっても40年以上も放置されていたもので、大きいものでは元経30cm、高さ10m以上にもなった大木だ。桑というと私のイメージでは、せいぜい3mほどの高さの潅木だ。
昔は丹後ちりめんなどに絹糸を供給する「お蚕さん」が盛んで、あちこちに桑畑があった。毎年、蚕にやる桑葉を採取するためには、主幹を切り細い“ひこばえ”をたくさん出枝させて葉を繁らせるように工夫したのだろう。そうした桑畑も地場産業の衰退でいつしか放置され、原野のような様相になってしまった。これも里地崩壊の一端だと思うと複雑な気持ちになる。
伐採は、他の木に架からないように安全な空きスペース方向に倒さねばならないが、木の傾き具合(重心)によっては思い通りの方向に倒すのはなかなか難しい。木の重心と伐倒方向が大きくずれている場合はクサビやロープ、ワイヤーなどで誘引しながら倒さねばならないことも多いようだが、今回はチェンソーによるカットだけである程度伐倒方向を定める方法を講習してもらった。
指差しているのが重心方向。これを左寄りに倒す。
まず伐倒方向に受け口を切るのは通常の伐倒と同じ。次に、通常は伐倒方向に垂直に追い口を切り木の幅分の「ツル」を残すのだが、倒したい方向がずれている場合、倒したい方向側の受け口半分はツルを残さず切り、反対側のツルを三角形に残すように木が倒れ始める気配が感じられるところまで切る。木が倒れ始めたら安全圏まで避難する。
切り口で見るとこんな感じ。
木が自然に重心方向に対して1/4回転し、左寄りに倒せた。
ところで、昨日の作業と関連して、日ごろ疑問に思っていることがある。
シイタケ用にコナラの採取に別の山に行ったのだが、その山ではとある超有名家電企業の関連会社が「モデルフォレスト事業」の助成を受けて里山整備を行っている。周知のとおり、最近の環境ブームで企業もイメージアップのためか何らかの形で関わるところが増えている。それはそれでまあ、結構なことなのだろうが。
その施業地では、桧以外の木(もちろんアカマツも)は全て伐採し“みごとな”桧単一林に変えていっている。おそらく戦後の復興木材景気にのっかって当時の政府が奨励した植林・山作りはこのようなものであっただろう。
今ではこうした過去の国策桧、杉の森が国産木材不況で放置され荒れはてている。
私の参加している「まつたけ十字軍」では、この例と全く逆に、圧倒的に桧優位の放置林をアカマツ優位のマツタケ山に変えようと奮闘している。私個人は単純に、「下品な金持ちへの貢物になってしまったまつたけを、庶民の手に取り戻し普通に安くてウマイまつたけが食べたい」動機で参加している。
もし、木材市況が好転して杉・桧が今の何倍もの価格で売れるとなったら、マツタケ山としての整備を許可してくれている山主も心変わりするかもしれない。
里地里山保全・整備の重要性は誰しも異論のないところだろう。しかし以前から指摘しているようにそのやり方となると、とても長い目で見通した国家的里山保全・林業振興戦略にのっとって行われているとは到底思えない。林業家はもとより行政や企業やNPO、ボランティアなどの個別施業グループが連絡も調整も無く、リーダーの考え方や後援主体の思惑で好き勝手にバラバラな施業を行っているのが現状だ。場合によっては政争の具にされているのではないのかと思わざるをえないような場面に出くわすこともある。
こんなことで果たして本当に日本の里地里山を守ることはできるのだろうか、という疑問にかられるのは私だけなのだろうか。
さらに言えば、実はこうした疑問は最近の「環境諸運動」についても感じているところである。
みなさんはどう思われますか?