歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良県高取町・カンジョ古墳 石舞台古墳をしのぐ天井高さ

2008年08月05日 | Weblog
 高取町教育委員会は5日、カンジョ(乾城)古墳(6世紀末-7世紀前半)の石室天井の高さが、明日香村の石舞台古墳(7世紀前半)の約4・7mを上回り約5・3mであることを発表した。奥行き6m、幅3.7mも確認した。
 墳丘も一辺36m(高さ11m、2段築造)と大規模な方墳で、石室の床面には木棺を載せる棺台(高さ15cm)とみられる跡も発見された。
 棺台跡は床面の中央付近にあり、粘質土と炭を交互に重ねて台状に盛り上げ、上面を長石の粉で塗り固めていた。後世に削られ、北側半分は残っていなかったが、当初は幅1m、長さ2・2mだったとみられる。
 周辺からは木棺のものとみられる大型の鉄くぎが出土し、銀製の指輪やミニチュア炊飯具の一部など渡来系氏族特有の副葬品も見つかった。
 町教委は周辺を墓域とした渡来系氏族・東漢氏(やまとのあやうじ)の首長墓だろうとする。
[参考:共同通信、毎日新聞]

備考:2007年11月13日付朝日新聞の記事を見ると、
 カンジョ古墳は一辺35mの方墳。玄室は奥行き5・6m、幅3・5m、高さ5・1mで、高さは真弓鑵子塚古墳をしのぐ。
 持ち送りが急なため天井石は1個しかなく、ドームの雰囲気は真弓鑵子塚以上である。
としていた。

 なお、今年の2月に、石室が国内最大級と判明した真弓鑵子塚古墳からは、西に850mのところに位置する。ちなみに、真弓鑵子塚古墳の石室の天井高さは4.7mであった。
 また、カンジョ古墳のある貝吹山南山麓の横穴石室比較表を添付するので参考方。但し、新しく修正されている場合もあるので確認願いたい。


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写楽の肉筆画 ギリシャの美術館で発見

2008年08月05日 | Weblog
 8月4日付の読売新聞朝刊では本ニュースが写真とともに1面上段を飾った。
 折角の写真がインターネットでは見られないのが残念である。 さて、内容は
 江戸時代の浮世絵師・東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の肉筆画がギリシャ西部コルフ島のアジア美術館に所蔵されていたことがわかった。
 先月、学習院大学小林忠教授ら国際学術調査団が現地でこの絵を真筆と鑑定した。
 このアジア美術館は、19世紀末から20世紀初めにかけて、ギリシャの外交官グレゴリオス・マノスがパリやウィーンで買い集めた日本などの美術・工芸コレクションを所蔵。今回の画もマノスの収集品。
 浮世絵は、端の一辺が17・4cmで竹を素材とする中国製の「竹紙(ちくし)」を使ったと見られ、幅50cmほどの扇の上に書かれた。扇面画には署名と花押がある。
 歌舞伎・仮名手本忠臣蔵二段目「桃井館の場」、四代目松本幸四郎が演じる加古川本蔵(右)と、松本米三郎演じる本蔵の娘・小浪(こなみ)(左)が描かれている。
 調査団によると、2人がこの父娘を演じた上演記録は、寛政7年(1795)5月の舞台であり、それに基づくものと推定される。
 写楽が役者絵などを発表したのは寛政六年(1794)5月に歌舞伎役者の表情をとらえた「大首絵」が最初で、翌年(1795)2月に制作をやめている。その間の版画作品約140点が知られている。その後も肉筆画は描いていたことがわかる発見である。
 肉筆画はきわめて少なく、特に役者を描いた肉筆画の発見も初めてだという。
 活動期間を含め謎が多い絵師の実像に迫る手掛かりとなりそうだとする。
[参考:読売新聞、NHK、産経新聞]
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岡山市・吉井水門 国内最古の閘門 堰板を56年ぶり下ろす

2008年08月05日 | Weblog
 3日、国内に現存する最古の運河閘門(こうもん)「吉井水門」(県指定史跡)で56年ぶりに堰板(せきいた)を下ろすイベントがあった。倉安川水門保存会(徳田一郎会長)が主催し、津田永忠顕彰会の小嶋光信会長、地元の歴史ファンら200人が参加。
 吉井水門は高瀬舟も通過できる閘門機能を備え、「船だまり」、「護岸」、「水門」など往事の姿をそのままにとどめている。
 この日、馬場俊介・岡山大大学院教授(土木遺産論)は「こうした水門構造物が現存するところは世界でも類がなく、世界最古級と言ってよい」と話している。
 水門の堰板は昭和27年の吉井川の河川改修以来使用されていなかったが、56年ぶりに地元の若者たちが「鳥居巻き」と呼ばれる歯車につながったハンドル装置を回すと、横約3・3mの堰板は少しずつ上下して、現在でも可動することが証明された。

 県は昨年、津田永忠が手掛けた一連の文化・土木遺産群の世界遺産登録を目指し、提案書を文化庁に提出。後楽園(岡山市)や閑谷学校(備前市)など14件の史跡を含む。
[参考:岡山日日新聞、毎日新聞、産経新聞] 

備考
県指定史跡「倉安川吉井水門」(岡山市吉井)
 1679年2月、岡山藩主池田光政(1609~1682)が藩士津田永忠(1640~1707)に命じて掘削させ、その年に開通した。灌漑用水の供給、年貢米の輸送、高瀬舟の水路整備に使用した。1952年まで灌漑用水に利用され、県南の田畑を潤した。
 吉井川と旭川をつなぐ人工河川「倉安川」(全長約20km)の吉井川堤防に「一の水門」を、倉安川側に「二の水門」を造り、二重の水門を設け、水門間の舟だまりで水位を調整する「閘門」式が採用された。当時は堰板で水位を調節し、水位差で船を運航していた。 
 先の馬場俊介・岡山大大学院教授が、これまで日本最古の運河閘門とされた見沼通船堀(埼玉県)よりも古いとして、国指定史跡に向けての活動を行っている。(昨年5月のこと。)
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