和歌山市岩橋の県立紀伊風土記の丘(県教委)は26日、岩橋千塚古墳群内の大日山35号墳(6世紀前半、県内最大級全長約86mの前方後円墳)から、腰に装着して矢を入れる道具「胡籙(ころく)」をかたどった形象埴輪が見つかったことを発表した。
これまで胡ろくの実物自体の出土例もなく、同古墳と近くの古墳から、胡ろくを身に着けた人物埴輪は出土していたが、胡ろく自体を写実的に表現した形象埴輪の出土は全国初。
同古墳でこれまでに見つかっている、飛ぶ鳥や両面に顔が付いた人物に続く類例のない埴輪で、ここに葬られた人か地域かは分からないが、独創性から、支配者一族がヤマト政権に屈しない強い権力を持ち、独自の埴輪を作る人々がいたことを示唆しているという。
05年度調査で、前方後円墳の西側造り出し部分から出土した逆台形の胡ろくは、円筒形の基部を取り付け、高さ約96cm、幅約39cm。中央の矢筒は立体的で、筒に収納されている5本の矢と矢羽根が線で刻まれている。金具など細部も表現。県教委はほぼ原寸で写実的な埴輪の出土は「古代の武具の研究に貴重な資料」としている。
古墳時代の胡ろくは、木やつる、動物の皮に飾り金具が付けられていたと考えられているが、有機質部分はなくなって出土する。
胡ろく形埴輪については今年3月までに復元作業をし、その後、他に出土例がないかなど専門家に評価を依頼していた。胡ろく形埴輪近くから出土した両面人物埴輪のほおにも矢羽根と矢尻が線刻されており、弓矢を重要視していたことがうかがえると言う。
古墳群は4~7世紀ごろ一帯を支配していた紀氏一族の墓とされる。
杉山晋作・国立歴史民俗博物館教授(考古学)は「実物の胡ろくの約4倍の大きさ。配下に置いた技術者集団が胡ろくなどの革製品作りにかかわっていたことを象徴的に示したのでは」とみている。
8月30日~9月15日、風土記の丘資料館で速報展を開く。
胡籙(ころく、「ろく」は竹かんむりに録の右側が碌の右部分)は、5世紀に朝鮮半島から伝わった矢筒で、馬上から矢を射る際に用いる。春日大社や正倉院(ともに奈良市)に実物が残っているが、古墳時代のものは金具など一部しか見つかっていない。
[参考:毎日新聞、紀伊日報、時事通信、産経新聞]
写真は、2009.7.7 江戸博物館にて撮影
キーワード: 胡籙形埴輪、胡ろく形埴輪、胡録形埴輪
これまで胡ろくの実物自体の出土例もなく、同古墳と近くの古墳から、胡ろくを身に着けた人物埴輪は出土していたが、胡ろく自体を写実的に表現した形象埴輪の出土は全国初。
同古墳でこれまでに見つかっている、飛ぶ鳥や両面に顔が付いた人物に続く類例のない埴輪で、ここに葬られた人か地域かは分からないが、独創性から、支配者一族がヤマト政権に屈しない強い権力を持ち、独自の埴輪を作る人々がいたことを示唆しているという。
05年度調査で、前方後円墳の西側造り出し部分から出土した逆台形の胡ろくは、円筒形の基部を取り付け、高さ約96cm、幅約39cm。中央の矢筒は立体的で、筒に収納されている5本の矢と矢羽根が線で刻まれている。金具など細部も表現。県教委はほぼ原寸で写実的な埴輪の出土は「古代の武具の研究に貴重な資料」としている。
古墳時代の胡ろくは、木やつる、動物の皮に飾り金具が付けられていたと考えられているが、有機質部分はなくなって出土する。
胡ろく形埴輪については今年3月までに復元作業をし、その後、他に出土例がないかなど専門家に評価を依頼していた。胡ろく形埴輪近くから出土した両面人物埴輪のほおにも矢羽根と矢尻が線刻されており、弓矢を重要視していたことがうかがえると言う。
古墳群は4~7世紀ごろ一帯を支配していた紀氏一族の墓とされる。
杉山晋作・国立歴史民俗博物館教授(考古学)は「実物の胡ろくの約4倍の大きさ。配下に置いた技術者集団が胡ろくなどの革製品作りにかかわっていたことを象徴的に示したのでは」とみている。
8月30日~9月15日、風土記の丘資料館で速報展を開く。
胡籙(ころく、「ろく」は竹かんむりに録の右側が碌の右部分)は、5世紀に朝鮮半島から伝わった矢筒で、馬上から矢を射る際に用いる。春日大社や正倉院(ともに奈良市)に実物が残っているが、古墳時代のものは金具など一部しか見つかっていない。
[参考:毎日新聞、紀伊日報、時事通信、産経新聞]
写真は、2009.7.7 江戸博物館にて撮影
キーワード: 胡籙形埴輪、胡ろく形埴輪、胡録形埴輪