市教委は7日、紫香楽宮を造営した聖武天皇に関係のある鍛冶屋敷遺跡から、8世紀中ごろの掘立柱建物跡が出土したことを発表した。天皇が奈良・東大寺に先駆けて大仏造立を計画した甲賀寺に関連する役所跡の可能性が高いとみている。
約1m四方の柱穴が18個見つかった。建物跡は3棟で、全体像が分かったのは平行に並んだ東西に長い2棟。南北に60尺(17・8m)離れて並んで建ち、北棟は12尺(3・5m)、南棟は11尺(3・25m)間隔の柱跡があり、60尺四方の空間に建てられたとみている。瓦の出土がなく、板ぶき屋根で切り妻造りの建物構造とみられる。
南棟の1カ所でヒノキとみられる柱材の一部(直径0.3m)が残っており、今後、年輪年代測定法で時期を確定する。
建物跡は鍛冶工房跡から約130m西の丘陵近くで出土した。2棟が整然と配置されていることなどから、鍛冶工房とは性格が異なり、儀礼的な機能を併せ持つ役所だったのではと推定。大仏建立にかかわる何らかの儀式の場だった可能性もあるとしている。
また、建物の向きが宮町遺跡の遺構などと一致しており、「紫香楽宮と甲賀寺を結ぶ平たん地に一連の計画で建てられた役所群が展開し、その一つだった」とみている。
今回の発掘調査は、民間開発に伴い、今年5月から約350㎡を調べていた。
鍛冶屋敷遺跡(滋賀県甲賀市信楽町黄瀬)は、紫香楽宮に関連した遺跡のひとつで、紫香楽宮跡と宮町遺跡の間にある。
2002年の調査で、最大級の銅の精錬・鋳造施設が見つかり、甲賀寺の大仏建立に使う銅を供給していた工房だったとされている。
[参考:京都新聞、読売新聞、中日新聞]
約1m四方の柱穴が18個見つかった。建物跡は3棟で、全体像が分かったのは平行に並んだ東西に長い2棟。南北に60尺(17・8m)離れて並んで建ち、北棟は12尺(3・5m)、南棟は11尺(3・25m)間隔の柱跡があり、60尺四方の空間に建てられたとみている。瓦の出土がなく、板ぶき屋根で切り妻造りの建物構造とみられる。
南棟の1カ所でヒノキとみられる柱材の一部(直径0.3m)が残っており、今後、年輪年代測定法で時期を確定する。
建物跡は鍛冶工房跡から約130m西の丘陵近くで出土した。2棟が整然と配置されていることなどから、鍛冶工房とは性格が異なり、儀礼的な機能を併せ持つ役所だったのではと推定。大仏建立にかかわる何らかの儀式の場だった可能性もあるとしている。
また、建物の向きが宮町遺跡の遺構などと一致しており、「紫香楽宮と甲賀寺を結ぶ平たん地に一連の計画で建てられた役所群が展開し、その一つだった」とみている。
今回の発掘調査は、民間開発に伴い、今年5月から約350㎡を調べていた。
鍛冶屋敷遺跡(滋賀県甲賀市信楽町黄瀬)は、紫香楽宮に関連した遺跡のひとつで、紫香楽宮跡と宮町遺跡の間にある。
2002年の調査で、最大級の銅の精錬・鋳造施設が見つかり、甲賀寺の大仏建立に使う銅を供給していた工房だったとされている。
[参考:京都新聞、読売新聞、中日新聞]