goo blog サービス終了のお知らせ 

歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

発掘された日本列島2008 本能寺跡の瓦

2008年08月25日 | Weblog
 昨年8月7日に、織田信長が明智光秀に責められ自害した「本能寺の変」(天正10年、1582年)で焼けたとみられる大量の瓦、寺の堀跡、石垣などが京都市中京区西洞院通六角下ルの旧本能寺跡で見つかったと報じられた。
 「本能寺の変」を巡る遺物、遺構が発見されたのは初めて。
 天文14年(1545)の古文書で、調査地点一帯の土地を本能寺が購入したことが記され、調査地が旧本能寺の境内だったことが裏付けられる発見となりそうだ。
 瓦の中に、「能」の異体字で「ヒ(火)を避ける」意味で、現在も本能寺で使われる「能」の文字の右側の部分が「去」字を記した丸瓦があり、本能寺の瓦であることが確認された。
 堀跡の一部には約2mにわたる強固な護岸の石垣も出土し、寺が城塞のように堅固に守られていた可能性が出てきた。
[参考:読売新聞、京都新聞]

 新聞(ニュース)の報道ではなかったが、鬼瓦も同時に出土していた。(財)京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館『「本能寺の変」を調査する』によると、仏教宝具の輪宝を頭に戴いた鬼瓦だそうである。
 写真左は「能」の異体文字、右は鬼瓦。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発掘された日本列島2008 太子塚古墳 人物埴輪

2008年08月25日 | Weblog
 盾持人埴輪
 かぶり物に魔除けの入墨、盾を持ち墓を守る武人の埴輪です。


2018.9.5追記
太子塚古墳は群馬県高崎市箕郷町にある、古墳時代中期末(5世紀末)築造、全長24mの帆立貝式古墳。
盾持人埴輪は句兵(くへい)と言う武器を盾に付けているのが特徴
中国では、句兵(こうへい)と称される。盾と句兵を持つ方相氏の姿を想像させる。
日本最古の盾持人埴輪は、桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳(全長約86mの帆立貝式前方後円墳、4世紀末)から出土。句兵のような武器は見当たらない。




キーワード: 盾持人埴輪、盾持ち人埴輪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発掘された日本列島2008 太子塚古墳 馬の埴輪

2008年08月25日 | Weblog
 太子塚古墳は群馬県高崎市にある、古墳時代中期末(5世紀末)築造、全長24mの帆立貝式古墳。
 馬形埴輪は5世紀中から6世紀前半に現れるという。
 太子塚古墳の飾り馬の埴輪は、飾りも細かく描かれているし、ひときわ可愛らしいのが特徴。
 切り揃えたたてがみ、そして、かなりの馬具が認められる。鏡板付き轡、面繫(おもがい)、辻金具、手綱、胸繫、馬鐸、前輪、鞍、後輪、輪鐙、障泥(あおり)、尻繫、鈴杏葉などである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする