松山市教育委員会と同市埋蔵文化財センターは28日、国指定史跡・久米官衙遺跡群の1つ、久米高畑遺跡(同市南久米町など)で、飛鳥時代7世紀前半の古代役所である「一期政庁」の外郭(外壁)の柱列などを確認したと発表した。
今回は主要施設の「政庁」跡の南西側を調べた。その結果、政庁の外郭南辺に25mにわたり、9本の柱列(8本が直径約1-1.3m、1本は未確認)が東西に並んでおり、政庁が東西に延びる長方形をしていた可能性が高まったという。
2002年に確認された柱列と今回発見された柱列には約10mの間隔があり、両柱列の間に政庁入り口があったとみられる。
また、柱穴の近くから直径約20cmの丸瓦「単弁十葉蓮華文軒丸瓦」が3点見つかった。
久米官衙は他の地方の官衙より1世紀近く早い7世紀前半ごろに出現したとみられ、国の地方統治体制が確立する過程を知る上で注目されている。
松山市教育委員会は31日午前10時から、現地説明会を開いた。
[参考:朝日新聞、愛媛新聞、松山市埋蔵文化財センターHP]
今回は主要施設の「政庁」跡の南西側を調べた。その結果、政庁の外郭南辺に25mにわたり、9本の柱列(8本が直径約1-1.3m、1本は未確認)が東西に並んでおり、政庁が東西に延びる長方形をしていた可能性が高まったという。
2002年に確認された柱列と今回発見された柱列には約10mの間隔があり、両柱列の間に政庁入り口があったとみられる。
また、柱穴の近くから直径約20cmの丸瓦「単弁十葉蓮華文軒丸瓦」が3点見つかった。
久米官衙は他の地方の官衙より1世紀近く早い7世紀前半ごろに出現したとみられ、国の地方統治体制が確立する過程を知る上で注目されている。
松山市教育委員会は31日午前10時から、現地説明会を開いた。
[参考:朝日新聞、愛媛新聞、松山市埋蔵文化財センターHP]