歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

横浜開港150周年

2009年06月02日 | Weblog
 今日6月2日は、テレビで横浜が開港された日だと放送していた。安政6年(1859)6月2日に開港したのであるからで、新暦では7月1日になる。
 調べてみると、開港記念行事は万延元年(1860)から行われるようになり、明治41年までは6月2日が記念日であったが、翌年からは7月1日に変わり、昭和3年になって再び6月2日に戻されたという。
 今年は、開港150周年の年にあたるので盛大なイベントが計画されている。
 それにしては、横浜開港の歴史と尽力した人については、公としては詳しく触れらていないようである。
 主催である、横浜開港150周年記念式典実行委員会HPでは、「この式典は、開港150周年を祝い、横浜が歩んできた150年の歴史と先人たちの業績に思いを馳せ、誇りを新たにし、あわせてこれからの横浜を考え、未来への希望を共有すること、そして横浜がこれまでに世界から受け取り育んできた多様な文化や価値感を、新たな可能性のメッセージとして、国内外に向かって発信することを目的に開催します。」とだけ、具体的なことは記されていない。
 一般図書で見る範囲では、岩瀬肥後守忠震(1818-1861)と井上信濃守直清(1809-1867)の尽力により日米修好通商条約が締結される。(安政5年6月19日)。その後直ちに起こる安政の大獄で岩瀬忠震は永蟄居となり、井上直清は時期もやや遅れて翌年になって一時小普請奉行に左遷される。その後横浜開港の実務を行うのは安政5年(1858年)5月に新設された外国奉行に就任し、翌年には神奈川奉行も兼務した堀織部正利熙(1818-1860)と思われる。
 日米修好通商条約の締結から横浜開港に至る時期は、いずれにしても井伊掃部守直弼(1815-1860)の大老時代であるが、それが明確に井伊直弼の自らの意向で行わせたこととは考えにくいのだが。

参考文献:幕末五人の外国奉行/土居良三(中央公論社)
     軍艦奉行木村摂津守/土居良三(中央公論社)
ほかに、インターネットで下記の資料が参考になったのであげておく。
 横浜開港150周年の歴史/横浜税関 http://www.customs.go.jp/yokohama/history/history150_index.pdf
 二代目の肖像と履歴/阿部安成(滋賀大学経済学部研究年報Vol.14 2007)http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/nenpo/Vol14_2007/abe_vol14.pdf.pdf

写真は日米修好通商条約において下田駐在総領事のハリスと優れた交渉にあたった井上信濃守直清の墓
 一樹山宗柏寺(日蓮宗) 東京都新宿区榎町 57
  寛永8年(1631)日意上人により開創
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