歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

浜松市・鳥居松遺跡 昨年出土した金装円頭大刀が今日浜松市博物館で初公開

2009年06月06日 | Weblog
  鳥居松遺跡(同市中区森田町)で、昨年3月に出土した「金装円頭大刀」が、6日から同区蜆塚の市博物館で初公開される。
 国内初発見となる精巧な竜の文様が施され、金銀の箔が張られたカエデ製木の柄部分が見どころという。
 6世紀中ごろに朝鮮半島で作られたとみられる。
 7日午後1時からは、発掘成果の報告会がある。
[参考:毎日新聞]、中日新聞、浜松市文化振興財団HP]

過去のニュース・情報
2008年03月19日 浜松・鳥居松遺跡 完全形の金装飾大刀が出土
 奈良から平安時代頃の貴重な木簡が出土したばかりの浜松市中区森田町の鳥居松遺跡で、「金装円頭大刀(きんそうえんとうたち)」と見られる金装飾付きの大刀がほぼ完全な形で出土し、同市が19日、現地で報道陣に公開した。 6世紀ごろの伊場大溝の小川の跡の底から出土した。水のあった場所から完全な大刀が見つかったのは全国初。全長80cmで刀身は鉄製。木製の柄と柄頭は唐草文様の装飾が施され、幅4cm、長さ4cmの柄頭と呼ばれる先端部分には、竜と鳳凰が立体的に彫られ、一部に金箔が残っていた。全体を金箔で覆っていたとみられる。ひもを通すための懸通孔(かけどおしあな)はハート形で、類例がないという。 市は「朝鮮半島から輸入されたものかもしれない。神を鎮めるため金の刀を川底に沈めたのではないか。遺跡周辺に豪族がいたことの裏付けにもなる。」としている。
 過去の出土品で付近に遠江国敷智(ふち)郡役所があったと考えられている。
[静岡新聞、読売新聞、毎日新聞]
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八幡市・宝寿院 阿弥陀如来立像の胎内から「定慶」作の墨書名発見

2009年06月06日 | Weblog
 八幡市教委が5日、同市美濃山大塚にある浄土宗・宝寿院の本尊・阿弥陀如来立像の内部から、文暦2年(1235)に「泉州別当定慶」が制作したとの墨書銘が見つかったと発表した。
 像はヒノキ材で、高さ77.5cm(2尺5寸)。修理で見つかった銘文に「泉州別当定慶造也」と書かれていた。「泉州別当」は肩書の一種で、運慶らと連なる慶派仏師の1人とみられるという。
 理知的な表情や着衣の表現が快慶の作品に似ており、いわゆる「安阿弥様」(あんなみよう)の像である。 
 これまで存在が確認されている3人の「定慶」のうち2人は活動年代が異なり、同時期の「肥後別当定慶」とは作風が異なるため、市教委は第4の定慶がいたとみている。
 宝寿院は、江戸中期の享保19(1734)年に開拓された美濃山に、明治36年(1903)年開設。それ以前も集落の会所に仏像があった記録はあるが、鎌倉時代の仏像が伝わった経緯は不明という。
 阿弥陀如来立像は、木津川市山城町の府山城郷土資料館で常設展示されている。
[参考:京都新聞、毎日新聞、京都府HP→文教課]

 これまでの3人の定慶
①大仏師法師定慶(生没年不詳)12世紀後半の慶派仏師。康慶の弟子とされる。春日定慶とも称される
 作品:興福寺東金堂の、維摩居士、梵天、帝釈天、金剛力士など。
②肥後別当定慶(1184? - 1256?)鎌倉時代の仏師。慶派、康慶の弟子といわれる。運慶の次男・康運との説もある。
 作品:大報恩寺の六観音像、鞍馬寺の聖観音菩薩など。
③越前法橋・定慶(鎌倉後期)
 伝存作品はないが、法隆寺新堂の日光・月光菩薩像などの修理に従事したことが知られる。

 王塚古墳の隣にある宝寿院には王塚古墳の碑文(考古学者・濱田耕作氏、別称浜田青陵の書)が立てられている。
 
過去の関連ニュース・情報
 2008.12.3美濃山王塚古墳
 2008.7.6女郎花遺跡
 2008.7.4女郎花遺跡


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