歴歩

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徳川13代将軍家定の正室・澄心院の墓所に八角覆堂の遺構が見つかる

2009年06月13日 | Weblog
 昨年、6月9日付け、「徳川12代、13代将軍の正室・浄観院と澄心院の墓誌が見つかる」の記事について、ある新聞社では上野・寛永寺としているが、同寺・谷中霊園であることがわかった。
 さて、寛永寺谷中徳川家近世墓所調査団(名誉団長・坂詰秀一立正大名誉教授)が、昨年6月に墓誌が見つかった寛永寺谷中霊園の徳川将軍家墓所をさらに調査を進めた結果、「澄心院の墓など7基それぞれの宝塔を保護する八角覆堂(おおいどう)の跡とみられる柱穴や礎石が出土した」との記事が11日付けで記事が掲載されていた。
 八角覆堂の遺構が見つかったのは同寺では初めてであるが、江戸時代の墓所で八角覆堂が確認されているのは増上寺(芝公園)にある2代将軍秀忠の墓のみ(1945年の戦災で焼失)。将軍家では、秀忠の葬儀や墓が、後のモデルになったとされており、家康、秀忠の葬儀に影響を与えた天台宗の天海大僧正(1536?~1643年)の思想が受け継がれたとみられている。寛永寺の将軍家墓所を含め、八角覆堂は一つも現存しておらず、いつ失われたかは分かっていない。将軍家の葬送思想を解明する貴重な手がかりという。
 遺構は、7基のうち6基が柱穴、1基が礎石で、それぞれ2~3m間隔でほぼ正八角形に配置されている。柱穴はいずれも直径約1mで、深さは約1m半。
[参考:2009.6.11読売新聞]
寛永寺の将軍家墓所に八角覆堂の遺構…異例にして貴重(読売新聞) - goo ニュース

過去の情報・ニュース
 2008.6.9浄観院と澄心院の墓誌が見つかる
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