平安後期に備中国を統治した備中国衙跡とみられる総社市金井戸の御所遺跡で、源平合戦が激化した12世紀後半に焼失した大型建物跡が出土した。 一帯を治めていた平家の有力武将・妹尾兼康(せのおかねやす、1123-1183)が源氏の木曽義仲軍に敗れた戦いの痕跡ではないかと注目されている。
これまでの総社市教委による同遺跡の調査で、大溝と土塁で囲まれた約100m四方の敷地から方形居館と判明し、祭祀用井戸2ヵ所が見つかり、京都との強いつながりを示す儀式で使用した8トン近くの土師器が出土している。
12世紀後半の土器とともに、建物の柱を支えた礎石(一辺30〜40cm、柱の直径25cm)が5個出土。その間隔などから、元の建物は南北約10m、東西はそれ以上の長さが想定されるという。
礎石は赤く変色し、地面も赤色に硬く焼き締まっており、高熱を受けた痕跡が見られた。
現地説明会が6月2日(土)午後2時から開かれる。
[参考:2012.5.25山陽新聞、2012.5.31産経新聞]
これまでの総社市教委による同遺跡の調査で、大溝と土塁で囲まれた約100m四方の敷地から方形居館と判明し、祭祀用井戸2ヵ所が見つかり、京都との強いつながりを示す儀式で使用した8トン近くの土師器が出土している。
12世紀後半の土器とともに、建物の柱を支えた礎石(一辺30〜40cm、柱の直径25cm)が5個出土。その間隔などから、元の建物は南北約10m、東西はそれ以上の長さが想定されるという。
礎石は赤く変色し、地面も赤色に硬く焼き締まっており、高熱を受けた痕跡が見られた。
現地説明会が6月2日(土)午後2時から開かれる。
[参考:2012.5.25山陽新聞、2012.5.31産経新聞]