奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査中の脇本遺跡で、7世紀後半頃の大来皇女が滞在した「泊瀬斎宮(はつせのいつきのみや)」、と関連する可能性なる建物跡以外に、弥生時代前期末の竪穴建物跡1棟が見つかった。
直径7・5mの楕円形で、中央に2本の柱穴と炉跡を中心に柱穴8本が巡る「松菊里型住居」(注1)と呼ばれる竪穴建物で、県内では鴨都波遺跡(御所市)、原遺跡(五條市)・越部ハサマ遺跡(大淀町)に次いで4例目。
床面からは、石器づくりをしていたと考えられる原料となるサヌカイトの破片が出土した。
[参考:奈良新聞、毎日新聞、TVN奈良テレビ、橿原考古学研究所HP]
(注1) 松菊里型住居跡: 韓国語(ハングル)では“송국리형 주거지”
過去の関連ニュース・情報
松菊里型住居跡“송국리형 주거지”
直径7・5mの楕円形で、中央に2本の柱穴と炉跡を中心に柱穴8本が巡る「松菊里型住居」(注1)と呼ばれる竪穴建物で、県内では鴨都波遺跡(御所市)、原遺跡(五條市)・越部ハサマ遺跡(大淀町)に次いで4例目。
床面からは、石器づくりをしていたと考えられる原料となるサヌカイトの破片が出土した。
[参考:奈良新聞、毎日新聞、TVN奈良テレビ、橿原考古学研究所HP]
(注1) 松菊里型住居跡: 韓国語(ハングル)では“송국리형 주거지”
過去の関連ニュース・情報
松菊里型住居跡“송국리형 주거지”