歴歩

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大田市・石見銀山遺跡 1600年前後の山吹城の防衛の郭を確認

2012年08月28日 | Weblog
 島根県教委は27日、大田市大森町の世界遺産「石見銀山遺跡」内にある本経寺(ほんきょうじ)墓地の発掘調査で、山斜面の岩盤を人工的に削り出した平地(幅50m、奥行き20m)一帯が、戦国時代末期から江戸時代初期(16世紀末~17世紀初め)に山城・山吹城を防衛するための郭(くるわ)跡であることを確認したと発表した。
 江戸時代初期(17世紀初頭)の唐津焼の皿や壺の破片、火縄銃の弾丸、槍に付けた鉄製の石突(いしづき)、銅製の無文銭などが出土した。
 山吹城は要害山(標高414m)に築かれた山城で、鎌倉時代末期(14世紀初頭)に石見銀山が発見され、その防御のために築かれたという伝えがある。 16世紀に採掘量が増大し、大内氏、小笠原氏、尼子氏や毛利氏など中国地方の戦国大名が激しく奪い合った。
 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、10月に大久保長安(1545-1613)が石見銀山検分役として下向し、11月に初代石見奉行に任じられた。 翌年、山吹城の麓の休谷に代官屋敷を置いたといい、慶長18年(1613)に2代目石見奉行竹村丹後守道清の時に、大森町に代官所を移した。
 代官所が設けられた時に、山吹城の実質的な廃城といわれるが、不明な点が多いという。
 現地説明会は9月1日午前11時~正午に開かれる。 大森町の龍源寺間歩前に集合。
[参考:読売新聞、産経新聞、山陰中央新報]

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