京都市埋蔵文化財研究所の調査で、平安宮跡(同市中京区)で、宮内にあった楼閣「白虎楼(びゃっころう)」の屋根に葺かれたとみられる平安時代中期の瓦片100点以上が見つかった。 白虎楼はこれまで遺物や遺構は確認されておらず、「延喜式」などの記述を裏付ける発見となる。
天皇即位の大礼を行う「大極殿」(だいこくでん)の東には「蒼龍楼」、西には「白虎楼」があった。「白虎楼」は二重屋根の建物で、宮内の人の動きを眺めたり、外敵を見張ったりした施設とみられている。
5月の調査で、白虎楼があったとされる場所付近の穴(直径3m以上)から軒平瓦(長さ20cm前後)と軒丸瓦(直径15cm前後)などが出土した。 軒丸瓦と軒平瓦には唐草と蓮の文様が描かれており、11世紀後半に丹波国の瓦窯(京都府亀岡市)で作られたものと一致することが判明した。 歴史書では、大極殿の修復に丹波守・源高房(みなもとたかふさ)が担当したとされ、丹波の瓦が出土したことで、白虎楼の建設にも源高房がかかわったことがうかがえるとしている。
また、近くでは、「緑釉瓦」の破片(最大で10cm四方、10点)も出土したが、平安時代前期の大極殿に関連する瓦とみられる。
[参考:読売新聞、産経新聞]
天皇即位の大礼を行う「大極殿」(だいこくでん)の東には「蒼龍楼」、西には「白虎楼」があった。「白虎楼」は二重屋根の建物で、宮内の人の動きを眺めたり、外敵を見張ったりした施設とみられている。
5月の調査で、白虎楼があったとされる場所付近の穴(直径3m以上)から軒平瓦(長さ20cm前後)と軒丸瓦(直径15cm前後)などが出土した。 軒丸瓦と軒平瓦には唐草と蓮の文様が描かれており、11世紀後半に丹波国の瓦窯(京都府亀岡市)で作られたものと一致することが判明した。 歴史書では、大極殿の修復に丹波守・源高房(みなもとたかふさ)が担当したとされ、丹波の瓦が出土したことで、白虎楼の建設にも源高房がかかわったことがうかがえるとしている。
また、近くでは、「緑釉瓦」の破片(最大で10cm四方、10点)も出土したが、平安時代前期の大極殿に関連する瓦とみられる。
[参考:読売新聞、産経新聞]