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多賀城市・山王遺跡 奈良-平安時代の区画された町並みがさらに明らかに 貞観津波で運ばれた砂層も

2012年08月31日 | Weblog
 宮城県教委は29日、多賀城市市川の山王遺跡多賀前地区の発掘調査で、奈良-平安時代の古代都市の区画や、建物の移り変わりがあらためて明らかになったと発表した。
 多賀前地区は奈良・平安時代には、多賀城の南約1kmを横切るメインストリートである東西大路の南側に位置する。
 今回は、平成4~6年の調査で確認された身分の高い役人の家や宴会を催した庭、町並みを区画する道路跡などの遺構の延長部分のほか、多数の建物跡等を新たに発見し、町並みの様子がさらに明確になったという。

 また、庭園の遣(や)り水跡の周辺で、洪水で堆積した約10cmの砂の層が新たに見つかり、貞観津波(869年)で運ばれた可能性もあるとみている。
 現地説明会は、9月1日午前10時半から開かれる。
[参考:河北新報、多賀城市HP]

古代都市の区画を再確認 多賀城山王遺跡多賀前地区(河北新報) - goo ニュース

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キーワード:多賀城跡、貞観地震、貞観津波

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