九州歴史資料館(小郡市)は7日、福原長者原遺跡(行橋市南泉)で見つかった奈良時代の官衙跡が、官衙の面積が約22,500㎡と推測され、九州最大の大宰府政庁(同県太宰府市、約25,600㎡)に次ぐ大きさあることがわかったと発表した。
大型の掘立柱建物跡3棟や、官衙の範囲を区画する大溝などが見つかった。
1棟は縦約17m以上、横約5m、2棟は縦約12m、横約5mだった。 溝(幅4・5m)は最大で東西約150mと推定され、内側には回廊跡がみられた。 ほかに、硯や瓦なども数百点出土した。
建物を囲む回廊状の遺構の規模(東西121m)などから大宰府政庁(南北約215m、東西約120m)に匹敵するという。
南門(正門)には、格式が高い「八脚門」(幅約8・5m、奥行き約5・1m)が使われており、豊前国府跡の可能性が極めて高いとしている。
出土した須恵器の特徴から、遺跡の時期は8世紀前半と推定している。
約2km離れたみやこ町国作の豊前国府跡は9世紀以降のものとみられていることから、8世紀まで福原長者原遺跡の位置にあったものが移転した可能性もあるという。
発掘調査は東九州自動車道の建設に伴い2010年度から始まっていたが、今月末で調査を終え、遺跡の範囲が東九州道の建設地の外にも広がっていることから、行橋市教委が引き続き、範囲を調査する。
現地説明会は、10日午後1時から3時まで開かれる。
[参考:西日本新聞、TNCテレビ西日本、読売新聞]
過去の関連ニュース
2011.3.17 行橋市・福原長者原遺跡 8世紀の官衙跡の一部が出土
官衙の面積は全体で約14,000㎡と推定され、京築地区で2番目の規模。
大型の掘立柱建物跡3棟や、官衙の範囲を区画する大溝などが見つかった。
1棟は縦約17m以上、横約5m、2棟は縦約12m、横約5mだった。 溝(幅4・5m)は最大で東西約150mと推定され、内側には回廊跡がみられた。 ほかに、硯や瓦なども数百点出土した。
建物を囲む回廊状の遺構の規模(東西121m)などから大宰府政庁(南北約215m、東西約120m)に匹敵するという。
南門(正門)には、格式が高い「八脚門」(幅約8・5m、奥行き約5・1m)が使われており、豊前国府跡の可能性が極めて高いとしている。
出土した須恵器の特徴から、遺跡の時期は8世紀前半と推定している。
約2km離れたみやこ町国作の豊前国府跡は9世紀以降のものとみられていることから、8世紀まで福原長者原遺跡の位置にあったものが移転した可能性もあるという。
発掘調査は東九州自動車道の建設に伴い2010年度から始まっていたが、今月末で調査を終え、遺跡の範囲が東九州道の建設地の外にも広がっていることから、行橋市教委が引き続き、範囲を調査する。
現地説明会は、10日午後1時から3時まで開かれる。
[参考:西日本新聞、TNCテレビ西日本、読売新聞]
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