歴歩

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奈良県上牧町・久渡3号墳 画文帯環状乳神獣鏡が出土

2012年08月02日 | Weblog
 奈良県上牧(かんまき)町が1日、宅地開発に伴う昨年11月からの調査で、標高約70mの丘陵地で古墳時代前期初頭から終末期の古墳7基を発見し、久渡(くど)古墳群と名付けたこと、そのうち古墳時代初期(3世紀後半)の3号墳(1辺15mの方墳)から、後漢時代に作られた中国鏡「画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)」が見つかったと発表した。 同時代の古墳は政権があったとされる奈良盆地東南部に集中しており、盆地北西部の同町では初めての出土。
 画文帯環状乳神獣鏡は、直径約14.2cm、約511gで、和泉黄金塚古墳(大阪府和泉市)で出土した鏡(重文)と同型鏡だった。
 一方、町は、3~5号墳の埋葬施設などを発掘中に計約46㎡を重機で破壊し、施設の構造や副葬品の配置などが分からなくなったと発表した。3号墳から出土した中国鏡も2つに割れていた。
 遺物などは5日午前10時~午後3時、町文化センターで一般公開する。

 また、昨年末5月末に3号墳の南側では、新たに飛鳥時代(7世紀頃)に築造されたとみられる久渡2号墳の存在が確認された。丘陵の南側斜面にあり、墳丘の背後に東西30m、高さ3mにわたって大規模に背面カットされた直径約16mの円墳と判明した。凝灰岩片も採取されこのような築造方法は終末期古墳の皇族などの墓の特徴とされるという。
 平安時代の延喜式に、2号墳のある地域周辺に天武天皇の皇子・高市皇子(654?-696)の墓が存在したとの記述(注)もあり、2号墳は高市皇子の墓の可能性もあるとしている。
 (注) 三立岡墓/高市皇子。在大和国広瀬郡。兆域/東西六町。南北四町。無守戸。

[参考:共同通信、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞、産経新聞、奈良新聞、NNNニュース、読売テレビ、上牧町HP]

重機で発掘、銅鏡真っ二つ 奈良・上牧町の古墳で(朝日新聞) - goo ニュース

久渡古墳群の位置が、新聞情報および上牧町HPの情報ではよくわからない。読売新聞の記事にある写真から3号墳の位置を推定しみた。


久渡古墳群、久渡3号墳
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米沢市・舘山城跡 伊達政宗生誕の地の可能性が高まる

2012年08月01日 | Weblog
 米沢市教委は30日、伊達氏と関わりが指摘されていた同市口田沢の舘山城跡で、大規模な石組みの排水路を備えた「枡形虎口」(幅10m、奥行き6m)や、虎口に通じる道路の遺構を確認したと発表した。16~17世紀のかわらけ(素焼きの陶器)や土鍋の破片、瓦質土器など50点以上も周辺から見つかった。これにより、当時、人が生活していた大規模な山城で、山形県南部を支配していた伊達家の居城であり、出土品の年代から伊達政宗生誕の地だった可能性も高まったとしている。
[参考:山形新聞、産経新聞、読売新聞]
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