の、あとに続くとしたら?
普通ならば、「(凍える)ような(寒さ)」だろう。
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最初の学校で、一緒に仕事をした同僚(先輩)は、そのような寒さのことを、ちょっと違う言葉で表現した。口癖にもなっていた。冬場になると、いつもその人はこう言った。
「凍えてシマウマ」
「凍えてしまう(ような)」からできあがった、まあ、典型的なオヤジ何とかである。似たような表現で、「勝手にシロクマ(勝手にしろ)」もあった。
その人は、ダジャレが多く、生徒には「ダジャ(先生)」と呼ばれていた。ダジャレからきた称号(のようなもの)である。ある意味生徒に畏怖されていた。
ダジャ先生が、生徒に呼ばれた時の返事も決まっていた。
「センセ~」
「(何だ)セ~ト~」
そう言って、「〇〇先生」と言うまで、相手にしなかった。『僕には〇〇という名前がある。諸君にも親にもらった名前がある。僕は諸君を、〇〇クン・〇〇さんと呼んでいる。諸君も僕を〇〇先生と呼ぶべである。』と、いうのが、ダジャ先生の主張・意見だった。もっともなことなのだが、どこまで本気なのか、かわからない人だった。
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どんなに忙しいときでも、慌てない。何か生徒指導で事件があっても、平然としていた。こんな発言を覚えている。
「〇年〇組〇〇が、問題行動です。
ダジャ先生、しばし沈黙。。。
「『イスラム教の神さまぁ~』ですな。
周りの僕を含めた若手が、何のことだかわからずに、その先生をじっと見る。誰かが尋ねた。
「何ですかそれ。〇〇先生?
「わかりませんか?
「ハイ。
「そのココロは、『あら~(アラー)』ですよ。
何だか、”ばちあたりな”感じのオチに、周りはずっこけた。
ダジャレはきついけど、学年の20代の僕たちを助けてくれた。
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昨夜、雨(みぞれ)の中を家まで歩きながら、ダジャ先生のことを思い出した。阪神・淡路大震災の、'95年3月に定年退職。もう15年になる。
…お元気なのだろうか、ダジャ先生。
事実に基づいた、一部脚色ありのお話しである。