<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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図書館でこの本を見つけたとき、
「ん〜、ウクライナに取材する今どきの日本人戦場記者のレポートなんか、もしかしたら左巻きかもしれないぞ」
と思ったものの、この手の新刊を読んでこなかったこともあり借りてみたところ、グググっと引き込まれて最後まで一気に読んでしまいました。

確かに左巻き的な箇所もなくはなかったものの、この本が意味する最大のポイントは、
「国を守るということはどんなことか」
ということ。
それもウクライナの置かれている現状からそれを考えることになるので、日本人としては深く考えさせられるものなのであった。

ある調査によると侵略を受けたときの「国防に従事したい」という人口のパーセンテージは日本がダントツの最下位。
全世界でも100位以下の驚く位置にいて、ウクライナ侵攻が始まったばかりの頃に橋下徹元大阪市市長・知事が発言した
「すぐに降伏すばいいじゃない。そしたら誰も死ななくて住むし」
と思っている人が多いことだ。

戦争に負けるということがどういうことなのか。
平和ボケのためにわかならなくなっているのはかなり重症だ。
多分、平和教育とそれに連なるメディアの平和一辺倒の副作用なのだろうが、少々憂鬱にさせるものがあるのも事実だ。

ウクライナは「戦争に負ける」ということがどういうことなのかを国民の大多数が理解してロシアからの侵略に坑がっている。
その流れをソ連崩壊あたりから詳しく述べているのも本書の特徴で、ただ単にウクライナが戦っているのは、国民の命や国土を守ることだけではなく、自身のアイデンティティやようやく獲得した自由主義を略奪されないための戦いであるということ。

ウクライナが未だソ連法時代の遺産として国内の腐敗と戦わなければならないことも含めて、非常に読み応えのある前線レポートなのであった。

戦況は刻一刻変化しているので情報がちょっぴり古い感じがあるものの、出版そのものは昨年暮れなので、著者の調査を含めた執筆努力はかなりのものがあったのだろう。

同じロシアの隣国として日本は何を考えるべきか。
そういう思いを巡らせる一冊だった。


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