<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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新型コロナウィルスは観光産業を崩壊へ導いているのだろうか。

先日2週間ほどの間隔を開けて京都の清水・産寧坂、嵐山と訪れてきてそこそこ旅行客を目にして微かな安心感を受けたのだが、先週、奈良公園を訪れてみると夕方だったこともあり動くものと言えば鹿ぐらいしか見当たらず、商店街の奈良町も開店休業の状態なのであった。
奈良は京都と比べると平常時でも地味ではある。
外国人観光客が増え始めたのも京都に遅れることつい数年前の話で昨年は鹿に悪戯をする中国人や韓国人観光客のマナーの悪さが話題になっていたくらいなのだった。

興福寺のあたりといえば春先の今頃は観光客がぞろぞろ来ているはずだが県庁前から五重塔を抜けて猿沢の池に出るまで、出会った人は数人なのであった。
鹿でさえ歩いておらず芝生に座り込みむしゃむしゃと反芻を繰り返していた。

私はどちらかという京都よりも奈良の方が圧倒的に好みなので、静かな奈良は大いに結構だがここまでくると寂しさを通り越して災害と言えるだろう。
事実、災害なのだ。

奈良が都であった天平時代。
首都奈良を中心に日本全土を恐るべしパンデミックが襲った。
そのパンデミックとは天然痘なのであった。
亡くなった人は当時の日本の人口の三分の一と言われていて100万人を越える。
パンデミックの収束には数年の時間を要し、国は想像を絶するダメージを受けた。
科学知識のない時代。
この恐るべし伝染病に対決するための有効な手段はなかった。

このパンデミックが収束が見えてきた時、時の聖武天皇は仏教を尊び釈迦の教えに国民救済を祈られた。
そして日本史上初となる国民のための仏教寺院東大寺が勅令により建立された。
奈良の大仏様は伝染病に疲弊した国民を立ち直らせ安寧を祈るために作られたのだった。

などどということを少しも考えずにただ「人、少ない。お店気の毒」と思いながら大阪への家路についたのであった。






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