<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





「我々はボーグだ。抵抗は無意味だ。」

というのはSFTVシリーズ「スタートレック」に登場するボーグというキャラクター。
生命とマシンの中間という存在で、あらゆる文明、科学、生物、テクノロジーを吸収し続けて宇宙を侵略。
そういうトンデモ生命体なのだ。
彼らの殆どはヒューマノイドタイプの生命体。
その人体には「ナノプローブ」という名の人工微生物が注入され「インプラント」という名の人工器官が組み込まれている。
いずれも超人的な能力を発揮するのだ。
しかも彼らはネットワークで連結されており「集合体」と呼ばれるグループを形成。
意識を共有し、個というものは存在しない。
敵に遭遇して攻撃されても、その弱点をすぐにネットワークを使って「同化」して瞬時に対策が講じられるため相手の武器は無力化されてしまう。

なかなか死なないツワモノでもある。

番組の中ではこれらの技術のことを「ボーグテクノロジー」と呼んでいる。
驚異的なレベルで惑星連邦が誇る科学技術をも上回るものとして扱われている。
もちろん当初は恐ろしい技術との扱いを受けていたのだが、キャラクターが登場してから時間が経過するにつけ、ボーグテクノロジーを応用して、良い方に利用しようという試みが開始されるのが面白い。

その最大のエピソードは「スタートレック ヴォイジャー」という20年ほど前に放送されていたシリーズの最終回。
主人公の宇宙艦ヴォイジャーが数万光年彼方の空域から地球に戻ってくるという手段にこのテクノロジーが使わた。

この空想の世界だと思っていたボーグテクノロジー。
実は徐々に実現化しているということを、カーラ・プラトニー著「バイオハッキング」という書籍で知り大変に驚いたのであった。
ボーグとは言わないまでも、少なくともリー・メジャースやリンゼイ・ワグナーが主演した「600万ドルの男」「バイオニックジェミー」のバイオミック技術に迫りつつあるようだ。

前半は味覚についての考察が多くなされている。
これは生体埋め込み技術とは違う話題だが、感覚とはどういうものなのか、ということを説明するための前振りであり、これも面白い。
日本人が生み出した「うま味」「ふか味」が取り上げられており、文化的背景にこの2つの言葉がなければ説明もできないため、両方共日本語が標準になっているのだという。

やがて味覚から視覚や聴覚の話に移っていくのだが、最初に登場する「人工角膜」でもうこのテーマの本題に突入する。
ここからはSFだと思っていたことが現実になってきていることに驚き、感動し、期待が膨らむ一方、言い知れぬ不安感も浮き上がってくるというわけだ。

記憶のダウンロードとアップロードが可能になる。
眼球にデジタルカメラを埋め込む。
磁気を感じ取るために手に磁石を埋め込む。
などなど。

まさしくごく初期のボーグ技術ということができるかもしれない。

人類は使う道具を進化させてきたが、これからはその道具は人体と一体化して人そのものを進化させてしまうところまで接近してきている。
ボーグのようにネットワークで繋がれたりしたら、個は存在しなくなったりしないか。
その先にあるものを考えるとこれはかなり怖いと思う科学ノンフィクションなのであった。

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この連休前。
10年間ほど加入していた「ひかりTV」を解約した。
理由は番組を殆ど見なくなってしまったからなのであった。

10年前。
今の場所に引っ越してきてからどうしてもCSの番組を見たくてケーブルテレビではなくひかりTVに加入した。
もともと住んでいたところではJ-COMに加入していて、韓国製を除く海外ドラマを中心に各種番組を楽しんでいたので、J-COMのない地域だった現在の場所で継続して堪能するために加入したのがひかりテレビだった。

それから時間が経過するにつけ、仕事が忙しいこともあってテレビ番組自体を楽しむということが激減。
地上波放送もニュース程度。
ひかりTVを通じてのCS放送に至っては時代劇専門チャンネルの「鬼平犯科帳(吉右衛門版)」と月に1〜2本の映画だけを見るという有様。
これで毎月4000円近くを払っているのがとってももったいなくなってしまい、家族会議のうえで解約することに決めたのであった。

で、テレビはどうしているかと言うと、大半がネットでYoutube。
ニュースも、一部のTV番組も、全てネットなのだ。

考えてみればYoutubeを中心に動画をみるというとインターネットが主流になってしまい、しかも見方がテレビの前でどっしりとではなくパソコンの前で作業をするついでに、というスタイルに変わってしまった。

見なくてもいい、見ない番組にもお金を払うより、なにか見たいときには単品で購入するのが経済的なのがネットでの鑑賞の合理的なところでもある。

もしかするとCS放送は早晩なくなるかも。
ネットを活用すると、必要なものだけ、見たいものだけにお金を遣うことができる。
不要なチャンネルは淘汰され、ついでに受信チューナーもいらなくなるのでNHKの受信料も払う必要がなくなるので、メデタシメデタシなのだ。

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憲法記念日となるといつも話題になるのが「憲法改正」。

自民、維新は憲法改正派。
それに対して立憲民主、国民民主、共産、社民などは改憲反対派。
公明は日和見。

支持率を見れば明らかだが国民の大多数が憲法改正を叫んでも反対するのは少人数。
しかも憲法改正に反対する人たちは憲法論議も否定していて憲法に保証されている言論の自由には逆らうという、わけのわからない状態になっているのだ。

この憲法改正反対派のわけのわからないのは、なにも憲法第21条には盾突きながら憲法9条は守れという理論ばかりではない。
その代表的矛盾は共産党の主張だ。

昨日も日本共産党のステートメントで小池党書紀局長が「変えるべきは憲法ではなく、憲法をないがしろにし、国民の権利と民主主義を蹂躙する安倍政治である。」と述べていた。
憲法21条をないがしろにしているところを横に避けておいて、よくこういうセリフを吐くものだと思っているのだが、それよりも重要なのは最後のところ。
国民の権利と民主主義を蹂躙するというが、共産主義はまさに国民の権利を制限して、民主主義を否定する政治思想そのものではないか、ということだ。

果たして共産主義の国に民主主義があるだろうか。
国民の権利を守っているだろうか。
そういう共産主義の国があれば是非ともお目にかかってみたいものだ。

例えば中国。
まず、社会科のテストでここが民主主義だと回答したら欠点を食らうであろう。
さらに「中国は国民の権利を制限せずに守っている民主国家だ」と真顔で話しをしたりしたら病院へ入院させられるかもしれない。
それどころか、その話を聞いた当の中国人が怒るであろう。

なぜなら、
国家の中枢はいつもニコニコ共産党。
公務員も例外なく共産党員。
代表選出は一部の人の話し合い。
都合の悪いニュースは放送中でもブラックアウト。
党に反対意見を述べる人は有無を言わさず逮捕監禁。

実に反民主主義だ。

共産主義を掲げた国は多かれ少なかれかなりエグい。
中国の大躍進、文化大革命はもちろんのこと、ベトナムのボートピープル、カンボジアのクメール・ルージュ、北朝鮮の現政権、ソ連のスターリンによる大粛清。
例を上げればキリはない。

だから共産党が民主主義を主張するのはお笑いの一種。
そうでなければ、善人そうな表情のまま平気嘘を付くのでかなり怖いものがある。

ちなみに立憲、国民民主党も自由がないから民主党なのかも。

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令和元年。

新しい元号を聞いて新鮮さとお祝い気分が同時にやってきたのははじめての体験だ。

30年前の昭和から平成への改元は昭和天皇の崩御と上皇陛下の即位に伴われ行われたものだった。
だからどちらかというとめでたい気分はあまりなく、自分ちのお爺ちゃんが亡くなってしまったような雰囲気に似た喪失感の方が大きかったように記憶している。
やはり天皇も人間。
昭和天皇とて永遠に生き続けていくわけはなかったわけだが、昭和に生まれ、昭和に育ち、昭和で社会人になった私のような世代からすると昭和が永遠に続くような錯覚もあったのだろう。

ところが今回は譲位に基づく改元。
だから先の天皇陛下、現上皇陛下の引退という一種の寂しさはあったものの、それ以上に新時代を迎えるというお祝いムードが他を圧倒している。
日本全国が日の丸色に盛り上がったのは、良い意味で驚きなのであった。

しかも、先に述べたように昭和から平成に変わるときと違って、明るい気分で新元号を迎えた。
このため非常にポジティブな明るい雰囲気が社会全体に漲り、あるかないかは疑わしいが希望に満ちた切り替えが心に生まれたのだ。
経済的にはたいへん不景気だった平成が、本当に終わって、違う社会が生まれる予感さえ漂っている。

元号というのは、もはや日本にしか残っていない文化だ。
しかし21世紀の現代でも、元号には社会をリセットすることのできる素晴らしい能力があることを考えると古人の作ったシステムの凄さは驚くばかりなのだ。

ニュースを見ていると皇居前でインタビューを受けた高校生の一言がそれを言い当てていて頷いた。
「令和は僕たちの時代です。」

そう言える幸せが日本にはあるのだ。

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