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萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.1 another,side story「陽はまた昇る」

2018-10-08 23:55:20 | 陽はまた昇るanother,side story
Once again 
kenshi―周太24歳3月末


第86話 建巳 act.1 another,side story「陽はまた昇る」

Le mimosa du souvenir
Sui ton chapeau se reposa,
Petit oiseau, petite rose,

想い出のミモザが
君の帽子の上に安らぐ、
ちいさな鳥、ちいさな薔薇、

「…、」

ぱたん、

記憶の本とじて花を見る。
頭上の黄色に詞なぞらす、この「今」みたいで。
その続き踏みだしたテラス、深いアルトが呼んだ。

「周太くん、出かけるの?」

潮騒あまやかな陽だまりの庭、黄色い花枝ゆれていく。
おだやかな春の陽ざし振りむいて、大叔母に周太は向きあった。

「おばあさま、僕、家に帰ります…沢山ご面倒をおかけして、本当にすみませんでした、」

鞄ひとつ携えて頭さげる。
こんな申し出は正しいのか解らない、それでも本音から微笑んだ。

「ちゃんとしたいんです、退職のことも、家のことも…自分のことは自分でしたくて、」

誰かに守られる、

そんな生き方も悪いことではない、そんな生き方を周りに望まれる人もいる。
それでも自分は自分の足で立っていたい、ただ願う春の海に切長い瞳しずかに笑った。

「時間が戻ったみたいだわ…、」

潮騒やわらかな響き、アルトの吐息がやさしい。
黄金の花枝ゆらめくテラス、ダークブラウンの髪そっと傾げた。

「斗貴子さんにも同じこと言われたのよ、自分のことは自分でしたいって…体が弱くても、」

ため息やさしいアルトが過去を紡ぐ。
なぞられる面影に祖母の従妹へ微笑んだ。

「僕も祖母と同じかもしれないですね、でも僕は男だから、」

祖母と同じ病気が自分にもある、けれど祖母と自分はまた違う。
その想い真直ぐ切長い瞳が瞬いた。

「そうね…男のひとだわ、立派な、」

長い睫ゆっくり瞬かす、その瞳きらきら陽が透ける。
黒い瞳しずかに自分を映して、皺やさしい口もと微笑んだ。

「周太くん、お願いしてもいいかしら?」
「…はい、」

何を願われるのだろう?
わからなくて、それでも肯った肩に白い手ふれた。

「ただいま、ってここには来てほしいの、お家へ帰ってからもずっと、」

肩やわらかに温もりふれる。
潮騒あまく香る風、金色の花ゆれて切長い瞳が笑った。

「ここも周太くんの家だってこと忘れないで、私も家族だと忘れないで?お願いよ、」

家、家族、そう願ってくれる。
こんなふう祖母も笑ってくれたのだろうか、皺ひとつ美しい眼に自分が映る。

「おばあさま、僕…」

問いかけて言葉そっと消す。
こんなこと訊くだけ消えるようで、ただ微笑んだ。

「はい…忘れません、」

ここにも想いあえるひとがいる。
その幸せ笑いかけて、温もりひとつ抱きしめる。


古い錠前、鉄の匂い。
鍵が開く。

ぎしっ…

古材が軋む、門がひらく。
古い懐かしい扉を押して一歩、緑が香った。

「…、」

言葉なく仰いだ頭上、若葉やわらかな庭ひろがる。
まだ山桜は咲かない、染井吉野いくつか薄紅ほころばす。
飛石ひとつ、ひとつ、靴底ひたす静謐と歩きだして黄金の枝ゆれた。

「咲いてた…」

見あげた花枝やわらかに黄金ゆれる。
この花に今朝は懐かしかった、そうして決めた帰宅に微笑んだ。

「ただいま…おとうさん、おじいさん?」

“Le mimosa du souvenir”

そんなふう異国の詩は綴る、この詞きっと祖父は知っていた。
きっと父も知っていただろう、だから植えられた庭の花木に扉ひらく。

※校正中

(to be continued)
【引用詩文:Jean Cocteau「Cannes」William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】

第85話 春鎮act.65← →第86話

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第85話 春鎮 act.65 another,side story「陽はまた昇る」

2018-09-06 06:52:00 | 陽はまた昇るanother,side story
With a soft inland murmur.-Once again 声もう一度、
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.65 another,side story「陽はまた昇る」

大叔母は、何も訊かなかった。

「おかえりなさい周太くん、」

ただ笑って、温かなカップひとつ差し出して。
風呂の支度してあるわと笑って、おやすみなさいと微笑んだ。

月の波うつ潮騒が香る、そんな町のマンション一室。



ぱたん、

髪ゆらせて一滴、頬ふれてタオルぬぐう。
灯り穏やかな部屋しんとして、深くなる夜ひそやかに沈む。
カーテン染める薄青い闇、ものしずかなベッドに座りこんだ。

「は…、」

ため息こぼれて肩そっと緩まる。
どこか緊張していた想いに、周太はスマートフォンの画面ひらいた。

「…、」

指先ふれて受信ボックス開ける。
届いている名前ふたつ見つめて、最初の一つあらためて開いた。

……
From 湯原美幸
件名 出張になりました
本文 急にごめんね周太、今から大阪支社に出張なの。
   明日の夜、19時にはそちらに戻るはずよ。
   おばさまには出張のこと電話したわ、菫さんにもメールしてあります。
   奥多摩は雪だったのかしら、風邪なんてゼッタイにひいちゃだめよ?
   今日は話したいこと色々あったけど、今夜はおたがい一人が良いのかもしれないね?
……

綴られる電子文字、母の気遣い行間くゆる。
どうして息子には電話しなかったのか?理由に唇なぞった。

「おたがいひとりで…そうだね、」

話したいこと色々ある、自分も母も。
だからこそ「一人」が良いのかもしれない、今日あの一日の後は。

―お母さんもいろんなこと考えたんだね、今日…美代さんのこと、英二のこと、

今日、ふたり。
あの二人にめぐる想いと約束、その全て母は聴きたいだろう。
聴いて話して、そうして結論いくつか見つけなくてはいけない。

―ここにいつまでもいたらいけない、

ここは安楽の場所、大叔母に守られて。
それを大叔母も望んでいる、けれど自分も母も同じ気持ちだ。

「…お父さんの家に帰りたいね、おかあさん?」

想い唇にして慕わしい、あの家には父がいるから。

『…今日は何を読もうかな、周?』

あの家で父は生まれて、生きて、そして最後の夜を過ごした。
そして父が愛した本がある、そんな書斎にひとり母は過ごす。
あの時間いつも母は父と過ごしていた、それは自分も同じだ。

父がいる家、だから帰りたい守りたい。
それから、それだけじゃない。

『お母さんにもらったんだ、』

あのひとが笑って見せた、ちいさな金属細工。
あの小さな一片に母が籠めた想い、もう、話し合わないといけない。

―きちんと考えないといけない僕は…英二、

あのひとを、自分はどうしたい?

そんな結論とっくに解っている、最初から同じだ。
そのために選ばなくてはいけない道、もう一通をひらいた。

……
From 小嶌美代
件名 ありがとう
本文 さっき田嶋先生のお宅に着きました、奥様とってもキュートなひとよ。
   先生ったら周太くんの自慢話ばっかりするもんだから、
   なんだか妬けちゃうねって娘さん笑ってたよ。
   娘さんが引越しを手伝ってくれるの、初対面なのに気さくで安心できる人。
   今日はたくさんごめんなさい、それ以上にたくさんありがとう。
……

今日ずっと共にいた声が、電子文字から笑いかける。
笑っても泣いても快活な女の子、その聡明に微笑んだ。

「僕こそありがとう、たくさん…」

画面を閉じて顔をあげて、窓のカーテン薄青い。
青色ゆらす音やわらかい、その響きにベッド立ちあがった。

かたん、

床から窓へ、カーテン開いて錠を外す。
かすかな軋みガラス開かれて、潮騒あまやかに頬ふれた。

「…あかるい、」

夜の海、月が波を渉る。

墨色なだらかな光ゆれる、かすかな潮騒やわらかな響き。
ふかく藍色にじむ空、黄金よこたわる波きらめいて鎮む。

―夜だけど明るいんだ、こんなに…海、

街灯り海岸線、黄金の橋が海を渡る。
金色はるかな水平線あおいで、月光のデッキに立った。

「きれい…」

月まばゆい潮騒の風、まだ冷たいくせに温かい。
もう三月も終わる海辺の町、木枠の手すり凭れた。

―お父さんも海に来たのかな、田嶋先生と…、

ほら、また考えてしまう父のこと。
父を知る人に逢ったからなおさら、ほら想いだす。

『…Shall I compare thee to a summer's day?Thou art more lovely and more temperate.』

父の声なぞる異国の言葉、それは讃える歌。
あの夏の日に父が謳ったのは一人の文学者で山の男、父の唯ひとりのアンザイレンパートナー。

「…あなたという知の造形は 夏より愉快で調和が…美しい、」

そんなふうに想えるひとに父は出逢えた。
それは父にとって幸福で、そんな人生ならばこそ生きてほしかった。
そんな願い見つめるから想ってしまう、あんなふうに讃える相手は自分にとって誰だろう?

「ぼくのたいせつなひと…」

見あげる月まばゆい、波うつ潮騒あまく香る。
海ばかり見て聴いて、山の雪すべて夢幻になつかしい。

雪ふる奥多摩の森、白銀たたずんだ時間と、眩しい激しい色。

「…あ、」

カーディガンのポケット震える。
この振動はメールじゃない、取り出して鼓動ひっぱたかれた。

この番号きっと、予兆に通話つないだ。

「…えいじ?」

呼びかけて唇が熱い。
耳もと熱やわらかに昇りだす、その中心に呼ばれた。

「しゅうた…俺だよ、」

呼んでくれた声、瞳、深紅色の背中。
ただ幸せな幻、けれど瞬いても消えない唯ひとつの赤。

※校正中

(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey, 」William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】

第85話 春鎮act.64← →第86話
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第85話 春鎮 act.64 another,side story「陽はまた昇る」

2018-08-21 08:52:26 | 陽はまた昇るanother,side story
rolling from their mountain-springs 懐あふれて、
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.64 another,side story「陽はまた昇る」

ぱちり、

爆ぜたのは、焚火だろうか呼び声だろうか?
今この雪に爆ぜたのは?

「んっ、ごめんよ周太?」

テノール透って幼馴染の手、携帯電話ぱちり開く。
その明眸かすかに細めて、涼やかな口もと微笑んだ。

「国村です、どの山ですか?」

朗らかなトーン、けれど微かに硬い。
雪白の横顔すっと空を仰いで、そんな雪の視線に息ひとつ呑んだ。

―もしかして遭難事故の連絡…どうして、光一、

雪空あおぐ横顔に鼓動が軋む、疑問どうしてと絞めつける。
この幼馴染は今朝に警察官を辞した、その午後に繋がれた電話にテノール笑った。

「そうですね、最後のご奉公ってヤツきっちりヤりますよ?」

ぱちり、幼馴染の手が携帯電話を閉じる。
涼やかな唇ふっと靄くゆらせて、白い吐息に笑った。

「ごめんね周太、ちっとオシゴトになっちまった、」

底抜けに明るい眼きれいに笑ってくれる。
怜悧な瞳はるかに澄んで、そんな幼馴染に微笑んだ。

「僕こそごめんね光一…あの、気をつけて帰ってきて?」
「きっちり帰ってくるよ、」

雪白の頬からり笑って、慣れた肩が登山ザック背負う。
白銀の森に青い登山ウェア立ちあがる、その長身につられ立ちあがった。

「あのっ、光一、」
「ん?」

青い肩くるり振りむいてくれる。
雪ふる黒髪の笑顔ほがらかで、すこし鼓動ゆるめられ微笑んだ。

「さっき光一が訊いてくれたこと僕、きちんと考えるから…ありがとう光一、」

やさしい言葉じゃない、言ってくれたことは。
易しくないからこと優しいと解る、そんな発言者は明眸にやり笑った。

「また続き、聴かせてよね?」

笑って登山グローブの手さらり掲げて、澄んだ瞳が明るい。
その掌に自分も手さしだして、ぱんっ、掌かさね敲きあって登山靴は歩きだした。

「みやたっ、招集だよ!」

テノール透って青い背まっすぐ歩きだす。
細身だけれど広やかな背中きれいで、白銀の舞いふる青に祈った。

「無事で…どうか、」

無事で帰ってきて、どうか。

ただ祈り見つめる真中、青い登山ジャケットに雪が降る。
白銀また濃やかになる森の底、青色のむこう深紅色まぶしい。

―英二と行くんだ光一は…遭難救助に、

あの深紅色と幼馴染は駆けてゆく。
白い森あざやかな赤い色、あの背中ずっと見つめた時間がまばゆい。

「…ぶじで、」

唇こぼれる祈り、深紅色の長身ただ見つめている。
視界ふる雪に青色も映る、深紅色のかたわら華奢なベージュのコート姿が佇む。

「ワルイね美代っ、宮田ちっと返してもらうよ?救助コールきちまったからねえ、俺の車よろしくね美代、」

テノールほがらかに雪を透る、青い長い腕が女の子に掌のべる。
華奢な横顔も手さしだして受けとめて、マフラーはためく濃桃色に雪がふる。

「光ちゃん今朝もう退職したんでしょ?なのに救助の連絡が来たの?」
「月末まではイチオウ在職だからね、地元民だしさ?焚火の後始末よろしくね、」

雪風きらきら声が伝う、青と濃桃色に白銀きらめく。
向かいあう二人は明るくて、けれど深紅色ひとつ見つめてしまう。

―英二が行ってしまう、まだなにも…話せていないのに、

明るい二人のむこう、白銀ひとり佇む深紅色。
風さらすダークブラウンの髪が白皙を隠す、今、あなたはどんな貌しているだろう?

―僕が言ったこと英二どう想って…なにも話してもらってない、のに、

英二が生きたいように生きていいんだ、どんな英二でも僕はずっと。

そう僕が告げた想い、あなたに聴こえているだろうか?
その本音を知りたい、向きあわせてほしい、それとも望んでくれないのだろうか?
いつものよう何も話してくれないのだろうか、ついさっき、幼馴染が言ったように。

『ソウイウスレチガイってアイツはね、たぶん埋めらんない男だよ?』

話してくれない、そういうひと。

そういうひとを僕は受けとめられるのだろうか?
そういうひとを受けとめることなんて、出来るのだろうか?

「マッタクの超過勤務だよねえ、ほら?さっさとドア開けな、」

雪のむこう、あなたの車に幼馴染が笑う。
助手席の扉ノックする青い腕、あんなふうに僕は笑えない。

―行ってしまう英二…任務だから遭難救助だからあたりまえ、だけど、

あなたは任務に向かう、山岳救助隊員だから。
そんなこと解っている、そんな姿まぶしくて好き、そんな横顔が好きだ。

けれど、行ってしまうなら言葉ひとつ残してほしい。

そんな願いは僕の我儘だろうか?
それとも他に僕は?

「…っ、」

とくん、

鼓動ひっぱたいて登山ザックひきよせる。
ざらり雨蓋のファスナーひらく、ペンとりだして手帳ひらいた。

「ほら宮田、おまえの携帯が呼んでるよ?黒木だろうけど出てやんな、」

ばたん、

雪に空気ふるえる、あなたの車の扉が閉じる。
もうじき走り出してしまう、それでも雪のはざまペン走らせた。

「待ってっ、」

じりっ、引き破ったページ手に足が動く。
雪さくり登山靴が沈む、右足首じわり引き攣れる。
捻挫まだ痛む、それでも雪を駆けて懐かしい車の窓、拳にぎりしめた。

こんっ、

「…、」

ガラスごしダークブラウンの髪ふりむく、イヤホンマイク着けた白皙が見あげる。
切長い瞳まっすぐ自分を映して、運転席のパワーウィンドウ動いた。

「八丁橋で国村さんがいます、救助要請ですね?」

下がるガラスに低い声が徹る、きれいな低い懐かしい声。
話す相手は僕じゃない、それでも見つめてくれる瞳に紙切れ一つさしだした。

「…、」

声がでない、それでも手はメモ差しだす。
受けとってくれるだろうか?願う真中、端整な唇は通話する。

「行きます、大ダワから落ちましたか?」

きれいな低い声は話し続ける、けれど切長い瞳まっすぐ僕を映す。
僕を見つめて、そして登山グローブの掌さしだしてくれた。

「、」

かさり、

さしだされた掌にメモ一枚、小さな折紙にして載せる。
この意味あなたに伝わる?想い見つめる真中、切長い瞳が微笑んだ。

「わかりました、」

端整な唇たんたん話しながら、掌の折紙かるく握りしめる。
そして登山ウェアの胸ポケットにしまった。

―受けとってくれた、

受けとってくれた、あなたの胸ポケットに入れてくれた。
けれど、このまま忘れられてしまうだろうか?

「あの件は断ってもらえますか?今日中に戻れるかわからないので、」

きれいな低い声すこし笑っている、電話の相手なにを話すのだろう?
言葉つい拾ってしまう真中で端整な唇は微笑んだ。

「はい、行ってきます、」

微笑んで通話を終えて、携帯電話そのまま胸ポケットしまいこむ。
イヤホンマイク着けたままの白皙ふりむいて、端整な瞳きれいに笑った。

「行ってきます、」

笑いかけてくれる瞳に僕が映る。
映したまま濃やかな睫そっと瞬いて、イヤホンマイクの横顔は前を見た。

さくり、

雪一歩さがって、エンジン音が雪ゆらす。
タイヤチェーン唸り銀色ちりばめて、雪の森を四輪駆動車は走りだした。

「…いってらっしゃい、」

言えなかった言葉こぼれて、視界やわらかに熱あふれだす。
ゆるやかに揺れて滲んでゆく雪の森、明るい声が微笑んだ。

「おかえりって言いたいね、周太くん?」

ほら、優しいんだ君は?

「美代さん…僕は、」

声こぼれて熱あふれだす、喉やわらかに温もり締められる。
伝えたい想い告げたい心、あふれて温められて言葉にならず瞳こぼれた。

「ん、無理に話すことなんてないよ?だいじょうぶ、」

ソプラノ朗らかに笑ってくれる、ほら君は優しい。
こんな君だから好きになった、好きなぶんだけ喉あふれだす熱の痛み。
そんなこと全て見つめてくれる大きな瞳は微笑んで、桃色の唇やわらかに口ずさんだ。

「やさしいウソなんていらないよ?周太くんの心のまんまでいてね、泣き虫もすてきだよ?」

澄んだソプラノがうたう、なつかしい言葉やわらかに鼓動ふれる。
この言葉を知るはずもない唇、けれど告げてくれた実直な瞳に微笑んだ。

「ありがとう美代さん…泣き虫でいさせてもらう、ね、」

微笑んで熱あふれてしまう、瞳ゆらせて頬こぼれて涙になる。
雪の森むきあった温もり、ふれそうな心、隠す涙、仮面のはざま。
面影あふれて熱うつろうまま追いすがる、そんな僕でも赦されるなら?

『行ってきます、』

戻ってくる、それとも帰ってくる?
帰ってくるのは時間、記憶、感情、幸せ、それとも幻?

『周太、』

呼んでくれた声、瞳、深紅色の背中。
ただ幸せな幻、けれど瞬いても消えない唯ひとつの赤。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey, 」】

第85話 春鎮act.63← →第85話 春鎮act.65
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第85話 春鎮 act.63 another,side story「陽はまた昇る」

2018-08-09 00:10:26 | 陽はまた昇るanother,side story
rolling from their mountain-springs 一滴に旅は、
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.63 another,side story「陽はまた昇る」

雪がふる、春三月の門出に。

「…きれい、」

銀色やわらかに額ふる、やんで、また銀色が舞う。
銀色おだやかな森の道、味噌やさしい香くるんだ。

「周太くん、お味噌汁どうぞ?」

紙コップくゆる湯気、芳ばしい甘み香りたつ。
手渡してくれる明るい瞳に周太は笑いかけた。

「ありがとう美代さん…山の道具も手慣れてるね、」

味噌くゆらすコッヘル、炎きらめく雪。
登山用コンロ手慣れた横顔はソプラノ笑った。

「山仕事のとき使うの。山って、あったかい汁物がおいしいでしょ?」

大きな明るい瞳くるくる笑ってくれる。
あたたかい眼ざしに紙コップ口つけて、湯気ほっと息ついた。

「ほんとおいしいね…」

あたたかな塩気、やわらかに甘い。
すすりこむ香ふかく温まる、やさしい湯気に薔薇色の頬ほころんだ。

「味噌に粉末ダシを溶いただけなの、カンタン恥ずかしいんだけど、ね?」
「恥ずかしくないよ、お味噌に手が込んでる…」

味噌の香に笑いかけて、鼓動そっと突かれる。
だって彼女は明日から「手が込んでる」できるだろうか?

―大学に行ったら美代さん、もう味噌とか作れないよね…ここで暮らしてた生活はできない、

春三月、今日、彼女は故郷を離れる。
この故郷を愛して、この郷土に物を作って、そんな生活が消えてゆく。
それでも旅立ちを決めた笑顔は紙コップひとつ、湯気くゆらせ立ち上がった。

「さて、遭難救助がんばってみようかな?」

紙コップ一杯、味噌の香ほがらかに笑う。
大きな瞳あかるく澄んで、その意志まぶしく訊いた。

「美代さん…英二のこと、たすけたいの?」
「あははっ、言葉にされちゃうとやっぱりオコガマシイね?」

澄んだソプラノ笑って薔薇色の頬あかるい。
大きな瞳くるり雪を透かして、唇の端ちょっと上げた。

「たすけるなんて大それたことでもないの、私が意思表明したいだけだもの?だけど受けとるのは宮田くんだから、ね、」

あかるい薔薇色の頬に雪がふる。
その視線まっすぐ彼を見て、紙コップやわらかな湯気は歩きだした。

「…受けとるのは…」

彼女の言葉なぞらせた唇、雪ふれる。
かすかな冷たさ潤って消えて「違い」が沁みた。

“受けとるのは”

それは相手次第ということ、相手の心に任せて決めつけない。
そんな彼女だから自分のことを送りだしてくれた、あの日も。

―美代さんは相手の気持ちを大事にしてる、だから…僕のことも新宿駅で送りだしてくれた、ね、

あの現場に向かった日、あのとき彼女は泣いた。
あのとき彼女は何も知らない、それでも別離の兆し感じていた。
そんな哀しみきれいに笑って見送って、そうして独り泣いた瞳はただ、ありのまま見つめている。

「そういう美代さんだからなんだよ…英二?」

想い唇こぼれて雪にとける。
この想い伝わったらいい、だから本音あなたに話した。
そんな時間どんな想いあなたに生んだろう?願う春の雪、テノール朗らかに呼んだ。

「周太、なーんだか難しい顔しちゃってるね?」

軽やかな声が笑って、青い登山ウェアが腰下す。
目の前に座った笑顔あざやかに明るくて、一呼吸ほっと笑った。

「ん…光一には僕、むずかしく見える?」
「ちっとね、」

あいづち雪白の貌が笑って焚火、からり枯木くべてくれる。
からら燃えくずれる朱色きらめいて、やわらいだ空気に微笑んだ。

「あのね光一、僕はずるいんだ…美代さんのこと好きって英二に話したの、」

あなたじゃない、他の誰かに心よせてしまった。
そんな自分を理解してくれと願う、想い幼馴染に口ひらいた。

「英二を怒らせて、嫌われるかもって思う、でも話したのは…ほんとうの僕を知っても、それでも僕を好きなのか考えてほしいんだ、」

あなたの本音を知りたい、だから話した。
こんなこと狡いかもしれない、それでも願う想いに明るい瞳が訊いた。

「周太は英二のこと、好きかね?」

すき、好き?

問われた言葉に見つめて、明るい瞳が自分を映す。
底抜けに明るい眼まっすぐ自分を見つめて、幼馴染が微笑んだ。

「周太にとっちゃアイツがお初だろ?ハツタイケンの相手だってお義理に縛られちゃいないかね、」

並べられた言葉に瞬いてしまう、けれど驚いている場合じゃない。
だって大切な質問だ。

「ちっとキツイ話するけど、いいかね?」

ほら、澄んだ深い声が問いかける。
やわらかなトーン穏やかで、素直にうなずいた。

「ん、話して?」
「うん、」

うなずき返してくれる笑顔、雪白の頬なめらかに明るい。
底抜けに明るい眼ふかい思慮が見つめて、唇ひらいた。

「周太はさ、英二は母親の家を継いだってコト知ってるかね?」

とくん、

心臓ひそやかに痛み刺す。
こんな場所で問われてしまう、その現実ただ頷いた。

「知ってるよ、でも…」

頷いて、うなずくからこそ痛み深くなる。
そんな想い見つめてくれる眼は微かに微笑んだ。

「でも、聞いたのは英二の口からじゃないんだね?」

ほら、このひとは解ってくれる。
それだけ互い知る瞳が見つめて、澄んだ深い声は言った。

「アイツから話してくれなかったコトに周太はナットクしてないんだろ?ソウイウスレチガイってアイツはね、たぶん埋めらんない男だよ?」

埋められない、そういうひと。

そうだろうと今は頷ける、つい少し前、雪の森でもそうだった。
そういうところ前と変わらない、それでも想い続けられるのだろうか?

「なにより今の周太はさ、見えないんだよね?」

テノール微笑んで、明るい瞳が見つめてくれる。
その言葉に見つめる焚火あわい煙、率直な声は言った。

「ダイスキな恋人に再会しましたって幸せオーラ、なーんも見えないんだよね周太。ただただシンドソウに見えるんだけど?」

ぽとん、

雫ひとつ紙コップ、波紋あわく味噌が香る。
あまい塩辛い芳香やわらかな湯気、頬ひそやかに温もり伝う。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey, 」William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】

第85話 春鎮act.62← →第85話 春鎮act.64
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第85話 春鎮 act.62 another,side story「陽はまた昇る」

2018-07-25 23:30:13 | 陽はまた昇るanother,side story
rolling from their mountain-springs めぐりきて、
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.62 another,side story「陽はまた昇る」

あなたの背に揺られて、あたたかい。

「周太、足は痛まない?」
「ん…だいじょうぶ、」

あなたに呼ばれて応えて、唇そっと雪が香る。
銀色やわらかな午後の森、雪ふる冷厳くるみこむ。
春三月ゆく奥多摩は冬のとき、その空気そっと周太は瞳とじた。

―英二の背中にいるんだ、ね…僕、今は、

瞑る頬やわらかに鼓動ふれる、登山ウェア透かす体温の鼓動。
ことん、ことん、端整に乱れず静かに敲いてくれる。
こんなふう雪山にも乱れない、あなたの鼓動。

―なつかしい英二の鼓動…ほっとする、

瞑らせて頬に温もり響く、この音も温度も知っている。
こうして広やかな背に頬よせ眠った記憶、その幸せな時間が瞳ふかく熱ゆらす。

―ずっとこうしていられたらいいのに、でも、

ずっと、ずっと鼓動を体温を感じていたい。
でも「こうして」なんかいられない、それくらい解っている。

“あの女”

そんなふう呼んでしまうひと、彼女のことだけじゃない。
そんな呼び方これからもっと増えてしまう、あなたは多分きっと。
これから違う場所に生きてゆく、その「別世界」あなたは許してくれるひとじゃない。

―美代さんのことだけじゃない、きっと…賢弥のことはもっと、

あの友だちを知ったら、あなたは何て呼ぶのだろう?
もう蝕まれてゆく不安感、あなたの「別世界」もっと不安になる。
それでも今ひと時は赦されていたい、願いと額ふれる冷厳の風に呼ばれた。

「周太くん!」

あかるい声に瞳ひらかれる、銀色まばゆい。
白ふかく蒼い森きらめいて、ことっ、凭れる背が鳴った。

―あ、英二の鼓動?

温もり頬ふれて、その鼓動が違う。
雪の斜面でも変わらなかった心臓のトーン、けれど小さな違和感が呼んだ。

「なんで周太、小嶌さんが名前で呼ぶんだ?」

あなたの声が問いかける。
きれいな低い声、けれど棘ささくれる。

―あの女って言った声と変わらない、英二…どうして、

どうして、あなたは苛立つのだろう?
その理由もう解らない、あなたの心どこにあるのだろう?

―僕には秘密だらけ何も教えてくれない、のに…僕には質問するんだ、ね、

問いかけて、問いかけられて。
そうして答えるのは僕ばかり、いつも答えてくれない。
こんな関係だから言われたのだろうか、あの聡明な山っ子に?

『戻ったらね、美代とは名前で呼びあいな?いろいろイイこと起きるよ、』

なぜ光一は「名前で」と言ったのか?
その理由かすかに見つめながら頬、そっと背から離した。

「あの…英二、おろして?」

告げながら見つめる背中の視界、白皙の貌ふりかえる。
ダークブラウンの髪なびいて睫ふりむいて、切長い瞳が周太を見た。

「教えないと降ろさない、なんで名前で呼ばせてんだよ周太?」

美しい瞳が自分を映す、捉えてくる。
こんなふう見つめられたら昔、僕は何も言えなくなった。
でも今は唇ひらく。

「なんでって…光一にも名前で呼ばれるでしょ?」
「光一は幼馴染だからだろ、俺よりつきあい先なんだからあたりまえだ、」

反論すぐ赤い唇が微笑む、その声に刺される。
深紅の登山ウェアひろやかな肩越し、その視線に声に哀しい。

「僕…今の大学の友だちも名前で呼んでる、よ?」

哀しい、けれど唇から声が出る。
こうして僕のこと解ってほしい、願いに赤い唇が微笑む。

「どんなやつ?」

ああ「やつ」なんて言うんだ、どうしても?

―そんな言い方どうして…僕のたいせつな友だちなのに、

大学、そこに出逢えた友だち。
それが僕にどれだけ大切なのか、あなたは理解してはくれない?

「僕の研究パートナーだよ?僕、これから研究に生きるんだ、」

切長い瞳を見つめて告げる、ただ解ってほしい。
けれど自分を映した眼ただ微笑んで、低い声が言った。

「そっか…よかったな?」

睫ふかい瞳が笑ってくれる、でも遠い。
こんなに遠くなってしまった、いつからだろう?

「またちゃんと話すね、大学のことも…聴いてくれる?」
「うん、聴かせてよ、」

あなたが肯く、でも届いているのだろうか?
こんな約束ひとつ投げてしまう僕のこと、あなたの眼は見てくれている?

「それでね英二、おろして?光一と美代さん待ってくれてたんだから、」

笑いかけて、とん、背負ってくれる肩ひとつ敲く。
肩ひろやかな背中は温かで、けれど腕ほどいて周太は雪に降りた。

「ありがとう英二、」

笑かけて踵かえして、頬そっと香ふれる。
ほろ苦い深い香なつかしい、けれど銀色の道へ出た。

“なんで名前で呼ばせてんだよ周太?”

名前、どうして?

どうして呼び方も認めてくれない、あなたは苛立ってしまう。
そうして僕の人間関係ごと認めてくれない、僕のこと。

―認めてくれない英二は、でも僕は解ってほしいんだ…すきだから、

あなたに認めてほしい、解ってほしい。
だから約束ひとつ投げかける、あなたには別世界の僕の未来。

“大学のことも聴いてくれる?”

笑いかけて約束ひとつ投げて、距離そっと引きよせたい。
こんなこと願う自分は愚かだろうか?

さくりっ、さくりっ、

雪を踏んで登山靴から銀色きらめく。
もう遅い午後の陽やわらかな道、雪白の笑顔が手をふった。

「オツカレサン周太、」

底抜けに明るい眼きらきら雪に舞う。
黒髪ゆらす木洩陽の下、なつかしい笑顔に息ほっと吐いた。

「光一ありがとう…だいぶ待たせちゃって、ごめんなさい、」
「ホント待ったけどね、英二ほどはクタビレてないんじゃない?」

からりテノール笑って向こう見る。
そんな幼馴染の隣、まるい薔薇色の頬に笑いかけた。

「美代さんも待たせてごめんね、寒かったでしょ?」

薔薇色の頬に待たせた時間が映る、寒くなかったはずがない。
けれど桃色の唇は明るく笑ってくれた。

「へいき、私の地元だもん、」

あかるい瞳きれいに笑ってくれる。
あたたかに真直ぐで、鼓動ふわり周太も笑った。

「あ、そうだったね?」

あいづちに笑って、鼓動ゆるやかに解けてゆく。
ほどけて肩ゆるむ木洩陽の雪、ほがらかなテノールが言った。

「そうだよ周太、美代は奥多摩ならヤマンバだからね、」
「やまんば?」

言葉くりかえした真中、薔薇色の頬また笑いだす。
屈託ない笑顔やわらかに明るい、その明朗ころころ唇ひらいた。

「光ちゃんにヤマンバ呼ばれるとオコガマシイけど、山育ちって意味ならそうかも?」
「そ、美代は山の畑に通う毎日だったからね、」

テノールからりと相槌する。
いつもの明るい声、けれど言葉そっと鼓動を突いた。

―もう山の畑に毎日通えないんだ、美代さんは…これから、

故郷を愛している、そんな心が都会の大学へ発つ。
もう近い未来あらためて見る森の道、春に雪がふる。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey, 」William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】

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第85話 春鎮 act.61 another,side story「陽はまた昇る」

2018-07-09 09:26:01 | 陽はまた昇るanother,side story
five summers, with the length 、夏より響く、
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.61 another,side story「陽はまた昇る」

呼んでくれる声、あなたの声だ。

「…周太、」

泣いている声、あなたの体温が泣いてあたたかい。
雪の森つめたく午後に凍える、それでも温かい。
この温もり離したくない、あなたを。

「行こう?英二、」

呼びかけて見つめて、立ち上がる。
雪から膝たちあがる、その隣にはあなたがいる。
この手さしのべて温もりふれる、あなたの掌ふれて握りしめて、あなたが笑った。

「一分だけ待って、周太?」

切長い瞳が笑ってくれる、その長い睫に陰翳が蒼い。
笑ってくれている、けれど逸らされた眼ざしに鼓動うった。

―どうして英二…泣きそうなの?

雪の樹影、白皙の輪郭あわく光る。
午後の陽ゆるやかに髪を梳く、ダークブラウン艶めいて銀色ゆらす。
きれいで、けれど古木を見つめる睫かすかな震えが哀しい。

―このブナに泣いて…英二どうして?

あなたの手が大樹にふれる、あなたの唇かすかに微笑む。
けれど深紅の登山ウェア透けて伝わる。

「英二、…訊いていい?」

呼びかけてダークブラウンの髪ゆれる。
白皙の横顔ふりむいて、切長い瞳が微笑んだ。

「どうした、周太?」
「ん…教えてほしいんだ、」

応えながら見あげる陽ざし、ダークブラウンの髪を梳く。
透けて朱い髪まぶしくて、それでも真直ぐ見つめて訊いた。

「どうして英二、このブナに今、いたの?」

どうか答えて、本当のこと。

「周太、」
「こたえて…英二?」

あなたは隠してしまう、いつも。
そのたび僕から消えてゆくものがある、もう消さないで?

―本当のこと教えて英二…信じたいんだ、

あなたを信じていたい、この想い消さないで?
もう隠さないで応えてほしい、想いに赤い唇ひらいた。

「周太、馨さんの手帳を憶えてるか?」

忘れるはずなんてない、父の警察手帳。

「忘れられないよ、お父さんの…血をすってた、もの、」

父は殺された、その残滓に染まった手帳。
もう色を変えてしまった血液は、深い昏い茶色だった。

―お父さんの心臓の…手帳も、桜の花びらも、

父の手帳に挟みこまれていた、ふたつの花びら。
あの春の日が遺された小さなかけら、僕と母に一枚ずつ。

―あの花びら栞にしてるかなお母さん…きっと手帳も大切にして…でも、

あの花びら一枚、きっと母は宝物にしている。
あの手帳もそうすると想っていた、でも今あなたが口にしたことは?

『馨さんの手帳を憶えてるか?』

憶えているか?と尋ねる、それは「憶えている」から問いかける。
それなら今あの手帳は、どこにあるのか?

「あの手帳、お母さんに渡したけど…英二が?」

あの手帳、あなたが持っている。
だから今こんなこと訊いたのでしょう?

―ほんとのこと教えて英二…もう疑いたくない、

信じていた、でも隠されてしまう。
何も話してはくれない、それが疑いになってゆく。
そうして穿たれてしまった溝の涯、雪の森しずかにあなたが笑った。

「手帳の血を染み抜きしたんだ…そのとき使ったガーゼとかご供養した灰をさ、ここに埋めたんだ、」

白い息、あなたの視線ゆるく霞む。
音もない白銀の森、大樹のもと長身おだやかに膝ついた。

「馨さんは山が好きだったろ?だからここに埋めたんだ…奥多摩の森なら喜んでくれると思ってさ、」

きれいな低い声おだやかに響く、深紅の登山ウェアに雪がふる。
銀色ひそやかな雪の底、空を抱くブナに声こぼれた。

「…お父さんを、ここに?」

ここに、奥多摩に。

『雪山を見せてあげるよ、周?』

ほら、父が笑ってくれる。
おだやかな微笑やさしい声、ずっと幼い幸福の記憶。

「そう…お父さんここにいるんだね?」

さくり、大樹の根もと膝くずおれる。
見つめる白銀ふかく聲がゆく、遠い遠い幸せな瞳。

『いる…大切な人がいるよ、僕には、』

大切な人がいる、そう告げた父の瞳。
あの瞳が見つめていた人は今日、奥多摩にいる。

―お父さん、田島先生も今いるよ…この奥多摩に、

父の大切なひと、それが誰なのか?
その名前もう知っている、その心も貌も今この山里にいる。

―教えてあげたいね、田嶋先生にも…おとうさんがここにいるよって、

闊達な瞳のまま大人になった、そんなひと。
あの鳶色の眼は父のこの場所を知ったなら、どんな貌するのだろう?

「よかった…」

想い唇こぼれる、父を、父の大切な人を想うから。

『夏みたいなひとだね、うんと明るくて、』

遠い夏、家の庭、微笑んだ父の声。
あの声がつむいだ山の男は今、この冬山の麓にいる。

『ちょっと暑苦しいくらい情熱的でね…木蔭の風みたいに優しくて清々しい、大らかな山の男、』

大らかな山の男と父は山を歩いた。
その時間が幸せだったから、きれいだった父の瞳。

“But thy eternal summer shall not fade, ”

きれいな瞳くちずさんだ詩、あの声が今この雪山に眠るなら。
いつか父の永遠の夏も訪れるかもしれない。

「よかった…ありがとう英二、」

微笑んで視界ゆるやかに熱一滴、頬なぞる。
なぞる熱ふわり凍える風、あわい渋い香かすかに響きだす。

Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate.
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
 So long as men can breathe or eyes can see,
 So long lives this, and this gives life to thee.

夏が香る、この雪にも永遠に。
そんなふう想えてしまうのは山ふところ、大樹に抱かれるからかもしれない。
だって父もこのブナに出逢ったかもしれない?遠い遠い、あの学者と父が笑った若い夏に。

「ありがとう…」

ここに眠れるなら、その願い涙ゆれて雪にふる。


銀色の静謐、あなたの音だけ温かい。

さくり、さくっ、

雪の音が僕の前をゆく、端整でおだやかな登山靴の声。
ひそやかに確実に山をゆく、あなたの足音だ。

―英二が雪山を歩いてる、ね…、

あなたの靴音たどる森、銀色まばゆい道をゆく。
こんなふう歩いた時間が幸せだった。
それは二人だから、そして記憶。

『そうだ…周、雪山を見せてあげるよ?』

ほら?幼い冬の声が呼ぶ。
なつかしい雪の日の記憶、大好きな声。

―僕、奥多摩の雪を歩いてるよ…おとうさん、

大好きな父、その声と歩いた冬が今この雪なぞる。
今は春三月、今は24歳、それでも遠い幼い雪はふる。
だって今もう聴いてしまったから。

―英二がさっき言ったこと本当なら、ここは…おとうさんの、

さくり、さくり、雪の足音が前をゆく。
やわらかな音に見つめる真中、深紅の背中ひろやかに逞しい。
赤い登山ウェアきらめく木洩陽がダークブラウンの髪ゆらす、艶やめく光ほら言葉を熾す。

『手帳の血を染み抜きしたんだ。そのとき使ったガーゼとかご供養した灰をさ、ここに埋めたんだ、』

あなたの声が言ったこと、それが真実だとしたら。
それは父の血がこの森に眠ったことで、それから。

―染み抜きしてくれたんだ英二は…それはきっと…読めるようにしたってこと、

手帳を読めるようにした、それは「読んだ」ということ。
そこに何が記されていたのか?

―読んだんだ英二は…だったら、

だったら、なぜ?
だったらなぜ、あなたは何も教えてくれない?

父の警察手帳「なにか」無いはずないのに。

―ないはずないんだ…

殉職した父、でも本当は殉職じゃない、だって殺された。
その殺害犯は同僚で、けれど本当は同僚じゃない「私人」だ。

―お祖父さんの息子だから、警察官として死なせたかったんだ…観碕さんは、

観碕征司、あのひとは「祖父の」息子だから父を殺した。
その理由を知りたい、その鍵「なにか」あるはずなのに?

―お父さん警察手帳…話して英二、

話してほしい、僕が訊く前に。
もし話してくれたなら、どんなに嬉しいだろう?

もう疑いたくない、ただ信じていたい、だから話してほしい。

「周太は」

ほら、あなたの声。

「一人で雪山って初めてだろ、よくトレースして来られたな?」

さくり、さくり、雪音に声が訊いてくれる。
この声このまま話してほしい、願い唇ひらいた。

「ん、足跡ちゃんと見えたし…ぼくなりいっしょうけんめいで、」

僕なりに「足跡」を見ている、いつも。
だから話してほしい。

「なんか嬉しいな、そういうの、」

声が笑いかけてくれる、振りむかない登山靴が雪をゆく。
さくり、さくり、規則正しい足音あわく風くれる、ほろ苦い深い香そっと頬なでる。

―英二のにおいだ、ね…雪と、

ほろ苦い深い、かすかに甘い香が鼓動ふれる。
なつかしい香ずっと大好きだった、その広やかな背中も。
深紅あざやかな登山ウェアの背中、ただ銀色きらめく山をゆく姿、世界でいちばん見惚れている。

けれど、あなたはどれほど僕を見ているのだろう?

―英二から話してほしいんだ、僕を認めて…認めてくれないのなら僕は、

もし僕を僕として認めてくれないとしたら、あなたはたぶん「同じ」だ。
もし「同じ」だとしたら僕はあなたの隣にいられない、そしてそれは、祖父と同じ道。

同じだ観碕征司と、祖父の道と僕は。

―もう英二なら気づいている、同じだって…このままだと僕たちは、

あなたも解っている、だから僕をさっきは拒んだのでしょう?
それでも僕は諦めきれない、そうして共にゆく雪山の道、深紅色が立ち止まった。

とくん、

「…どうしたの英二?」

とくん、あなたを呼んで敲く。

呼びかけて、けれど深紅色ひろやかな背中ふりむかない。
ただ銀色の森あざやかな登山ウェア、きれいな低い声が笑いかけた。

「このペースで周太、大丈夫かなって思ってさ?雪のなか歩くの大変だろ、」

心配してくれる、あなたは。
その心配より今は真実がほしい、それでも素直な感謝に微笑んだ。

「…ありがとう英二、」

あなたが僕を心配する、それは偽らない温もり。
温かで嬉しくて、それでも認める真実がほしい。

「もしかして周太、右脚ちょっと辛い?」

ほら、あなたは気遣ってくれる。
まだ捻挫は痛む、でも本当に辛いのは右脚じゃないのに?

「ケガしてるんだろ、周太?」

綺麗な低い声が問いかけてくれる、ほろ苦い深い香かすかに届く。
なつかしい香なつかしい時間ふれてしまう、その背中が雪に片膝ついた。

「無理するなよ周太、おいで?」

背負わせてほしい、そんなふう深紅の背中がさしだされる。
あの背ただ無条件に抱きしめられたなら、どんなに幸せだろう?

―こんなになっても僕はすきなんだ…英二のこと、

あなたは話してくれない、きっと。

そんな未来もう解ってしまう、その涯どこへゆくのだろう?
それは「同じ」だろうか、それとも違うのだろうか、そこは温かいだろうか?

“観碕征司”

あの名前がくれた家族の死。
最初に曾祖父の死、そして祖父も父も死んでしまった、そうして哀しい記憶のこされた僕の家。
もし観碕征司がありのまま認めていたのなら祖父はあのとき死んでいない、父は今も生きていた。

そんなふうに僕のゆく涯も哀しいだろうか?
それでも銀色の森あざやかな深紅の背がまばゆい。

「…ありがと、」

僕の唇こぼれる、そっと体温もたれこむ。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey, 」William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】

第85話 春鎮act.60← →第85話 春鎮act.62
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第85話 春鎮 act.60 another,side story「陽はまた昇る」

2018-07-03 23:32:31 | 陽はまた昇るanother,side story
and again I hear 聲をふたたび、
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.60 another,side story「陽はまた昇る」

大事なひと、浮気じゃない本気だ。

ほら?声にして自分自身が確かめる、あの女の子のこと。
あの明るい大きな瞳どうしても本気になる、どうして偽りなんて言えるだろう?

「本気ならいいよ、」

ほら切長い瞳が応える、僕の言葉をくりかえす。
低い声いつもどおり綺麗で、だけど苦しい視線が微笑んだ。

「なのに周太、なんで俺のとこに来たんだよ?」

そっちにいればいい、ここじゃなくて。

そんなふう切長い瞳が自分に笑う、陰翳ふかい瞳が微笑む。
この瞳ただ見ていたかった、そう願う鼓動が声ひらく。

「同じだから、」

ほら僕の声が応える、自分勝手な想いだ。
それでも静かな雪の森、切長い瞳が訊いた。

「同じって周太、俺とファントムが?」
「そう、でも英二だけじゃない、」

想い穏やかに唇ひらく。
白銀やわらかな古木の根元、雪ふる瞳を見つめた。

「ファントムは醜いから売られて、でも勉強して成功して、だけど才能のために酷いめに遭ったよね?それでも生きたんだ…僕も同じでしょう?」

売られて、それでも生きて。
そうして廻り逢えたから今、僕は後悔しなくていられる。
あなたに廻り逢えたから自分を肯定できた、あなたが生きる姿を見惚れさせてくれたから。

『だから逃げないで?醜くても生きるひとが大好きなくせに、』

あの女の子が言ってくれたこと、あの言葉そのまま僕の本音だ。

―美代さんが言ってくれなかったら僕は気づけなかったんだ、英二をこんなに…すき、って、

あなたへの想い教えてくれたひと、そんな彼女だからもっと大切になった。
あなたを想う鼓動ごと彼女の本気が肯定してくれる、だから浮気だなんて嘘は吐けない。
だって僕は知っている、男同士の恋愛を等身大に見てくれる人どれくらい?

―僕を僕として好きでいてくれるから本当に大切なんだ…あの女、って英二は言うけど、

あんなふう教えてくれるから彼女が大切になる、だから解ってほしいのに?
こんな願い自分勝手だと解っている、それでも何年いつかは叶うだろうか、届くだろうか?
それとも今ここで消えるだろうか?想い見つめる真中、白皙の頬おだやかな光ふる。

―考えてる、…英二、

深紅の登山ウェアもたれる大樹、ゆるやかな銀色あわい。
雪ふるダークブラウンの髪きらめく銀色、たたずむ白皙の輪郭が美しい。
午後の光ふちどる頬なめらかに端整で、黙りこんだ赤い唇ひそやかに声を待つ。

―言葉を選んでるね英二、訊くこと…僕の言葉の意味、それとも…ファントム?

『Le Fantôme de l'Opéra』

あの物語なぞらえて僕が話した「Fantom」その想いなぞる?
それとも「Fantom」もう一つのことだろうか、あなたは僕の声に何を聴いたのだろう?
それとも両方だろうか?想い見つめる雪の樹下、切長い瞳ゆっくり瞬いて、低い声しずかに言った。

「周太…Fのファイル見たんだ?」

アルファベット一文字、あなたの声が訊く。
そこにあるのは抽象化されてしまった現実、それから僕の父の時間。

“倉田さんと湯原警部の事件は共通点がある、”

伊達が教えてくれた「共通点」それを束ねこんだファイル。
そこに綴られた父の欠片に微笑んだ。

「すこしだよ僕は、でも見当ついてるから、」

あなたの方が知っているのでしょう?
それが僕を傷つけるなんて知らない瞳は頷いた。

「そっか、」

赤い唇こぼれた声、白い雪おだやかに霞む。
午後あわい光ふる銀色の森、つかんだ赤い登山ウェアの肩に問いかけた。

「英二は…才能があるからお母さんの実家を継ぐため鷲田さんになって、だから売られる人形みたいに感じて…それでも生きてきたんでしょう?」

あなたは名前を変えた、僕に何も言わないまま。

『いわゆる権力者だ、その後継者として宮田は鷲田になった、』

他の声で告げられた、あなたの現在。
もし告げられなかったら、僕は知らないままだったろうか?

『男の愛人は邪魔な立場になったんだ宮田は、本人の意志とは関係なくそういうことだ、』

なぜ伊達に告げられることになったのか?
なぜあなたじゃないのだろう?

―伊達さんは心配して教えてくれたんだ英二のこと…それくらい英二の立場は今、もう、

もう自分とは別世界の人になってしまった。
そういう名前をあなたは選んだ、その想い何ひとつ話してくれない。
あなたは何も教えてくれなくて、何も解らなくて、それでもあなたの聲がめぐる。

『俺はきれいな人形じゃない、』

人形じゃないと叫んだあなたを、山の貌のまま生かせたらどんなに幸せだろう?
そんなふう願ってしまう山ふところ、美しい切長い瞳が告げた。

「そうだよ、」

肯定した、ああ名前ほんとうに変えたんだ?

―ほんとうに鷲田さんになったんだ英二…もう戸籍はひとりじゃないんだ、ね、

あなたは「鷲田」になった、それは戸籍ひとつ消えたことだ。
その「戸籍ひとつ」どんなに僕に大切だったろう?

『分籍したんだ俺、だから周太が結婚してくれないと独りだよ?』

男同士で結婚なんて、愚かだと嗤われる。
そんな現実もう知っていて、それでも嬉しかったあなたの言葉。
そんな僕の喜びなんて忘れてしまったのかもしれない、それでも見つめたい瞳が問いかける。

「祖母から聴いた?それとも菫さんかな、」
「ん…、」

肯いて見あげる先、濃やかな睫ふかい陰翳が蒼い。
翳の底であなたは何想うのだろう、ただ見つめる想い微笑んだ。

「売られて、酷いめに遭って、それでも生きてきた気持ちは同じだね…英二と僕と、」

結局のところ、あなたと僕は同じだ。

―同じだから僕は離れたくなかったんだ、あの夜も…はじめての、

同じだから惹かれて、あの夜に僕は肯いた。
あの夜、はじめて肌ふれた夜あの瞬間、同じまま融けあえた。
あの瞬間から離れられないまま見つめて、あなたの肩この掌つかんで唇ひらく。

「僕は、警察に売られたようなものでしょう?祖父を恨んでるひとのために…僕の父もそう、それで人生ごと殺されたんだ、」

人生ごと殺された、

こんな言いかたは哀しい、でも事実だ。
その現実に生きようとするのは、僕もあなたも同じだ。

「だから英二の気持ち、僕はわかるんだ…同じだから、」

同じだ、あなたも僕も。
だって殺された現実から始めてしまった、生きることを。

「だから愛せるんだ全部、同じだからよりそえるんだ…、」

同じだから、あなたは僕に寄りそった。

“おまえが好きだ、”

あの夜にあなたが告げてくれた、あの瞬間あたえられたのは同じ警察官だったから。
同じ警察学校で同じ男だったから同じ時を過ごして、そんな「同じ」が想い育てた。
きっと「同じ」が一つでも「違う」だったなら寄りそえない、そんな今が声になる。

「だから生きて英二…英二が生きたいように、」

もう「警察」にこだわらないで生きて?

父が殺された、その現実に押されて僕は警察官になった。
殺された男がいる、その事実にあなたは警察の立場を利用する。
そんなふうに時を寄りそって、今この瞬間まで生きて、だからこの先は「あなた」を生きて?

もう縛られてほしくない「警察」そして「あの男」にも。

―あのひとが父を死なせたのは…僕がそうなったとしても英二、もうやめて?

祖父を恨んだ「あの男」が父を死なせた。
それは現実の過去だろう、それが自分の未来かもしれない。
そんな未来は「鷲田」の名前にも同じかもしれない?それでも、あなたが生きたい世界を駈けるなら。

「英二が生きたいように生きていいんだ、」

ふれそうな唇に吐息が熱い、あなたの生きた呼吸だ。
つかんだ肩に掌が温かい、あなたが息づく温度ふれる。
あたたかくて熱くて、ふれて抱きしめて睫の陰翳のぞきこんだ。

「どんな英二でも…僕は、ずっと、」

告げる唇にあなたの吐息が温かい、隔てる息ひとつ熱ふれる。
熱くて温かくて融けたいと願う、あの現実の声が響いても。

“男の愛人は邪魔な立場になったんだ宮田は、本人の意志とは関係なくそういうことだ、”

伊達が教えてくれた現実、あなたの傍で起きるだろう未来。
あれは嘘なんかじゃない、あなたの傍を選べば僕の現実になる。
このまま今、あなたに口づけたら、あなたの現実が僕を消すかもしれない。
それでも今、どうしたら諦められるだろう?あなたの唇あと1センチで触れるのに?

『俺はきれいな人形じゃない、』

人形じゃないと叫んだあなたを、山の貌のまま生かせたらどんなに幸せだろう?
そう願ってしまった僕がいる、その願いすら「同じ」だと響いてしまったから今、唇あと5ミリで触れる。

『Le Fantôme de l'Opéra』

あの物語に語られる「Fantom」は愛した歌姫に全て捧げて消えた。
愛した歌姫のために命も時間も捧げて、歌姫の恋に自分を消した一人の男。
あんなふうに僕もあなたを愛してしまう、もう大切な女の子がいるのに、夢も進路もあるのに、それでも唯ひとつ願うから。

「生きて英二…僕と、」

あなたは生きて、唯それだけが願い。
ただ願って唇そっと笑って、熱ふれる。

「…しゅうた?」

ほら、あなたが僕を呼ぶ。
あなたの声ふれて唇、熱が抱きしめる。

「英二…」

唇ふれる熱、あなたの呼吸がすべりこむ。
吐息ふれる舌やわらかな熱、接吻けられる温もり。

「しゅうた…周太、」

あなたが僕を呼ぶ、熱ふれる。
あの夜も呼んでくれた熱、声、肩が背が熱くるまれる。

「周太…しゅうた、」

呼んでくれる声、あなたの声。
すこし震えて、ああ、泣いている。

「英二、」

呼んで口づけて、ほら、あわく潮が甘い。
あなたの涙どれくらいぶりだろう?

『なきむし宮田、』

ほら自分の声があなたを呼ぶ、ずっと前の声。
まだ想いはじめたばかりの夏の聲、あれから何度あなたは泣いたのだろう?
あなたが泣くたび僕の鼓動は波うって、あなたの涙くれる波紋に揺らされて響いて、あたたかで。

「…しゅうた、」

あたたかい、あなたの聲。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey, 」】

第85話 春鎮act.59← →第85話 春鎮act.61
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第85話 春鎮 act.59 another,side story「陽はまた昇る」

2018-06-29 22:45:01 | 陽はまた昇るanother,side story
Three winters cold 三つの冬へ
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.59 another,side story「陽はまた昇る」

うつくしい、切長い瞳。

深い睫あざやかな陰翳が美しい、視線こもらす怜悧が美しい。
覗きこまれるような透かされるような、けれど踏みこませない静かな深淵。

ほら?きれいな深淵が僕を見る。

「あいつのことは今いいよ、それより周太?あのお…小島さんがなんで歌姫に怒るのか教えてよ?」

ああ、まただ。

“あの女”

あなたは「あの女」と呼ぶ、その「評価」が哀しい。
彼女をかけらも認めようとしない、それが僕にどんな意味か解らない?

―美代さんを英二どうして…僕がどんな気持ちになるか解らないの?

あの女の子は大切なひと、この僕には。
大切なひとをそんなふう呼ばれる僕は、あなたにとって何だろう?

「ファントムは一生懸命に生きるひとだって、美代さんは言うんだ、」

彼女の言葉を唇になぞる、大切だから。
どうして大切なのか、あなただから解ってほしいのに?

「あの怪人はようするにストーカーだろ、それが一生懸命なのか?」

問いかけてくれる唇が赤い、その瞳ゆっくり頭上を仰ぐ。
濃やかな睫から陰翳こぼれて、もう僕を見ない。

―どうして目を逸らすの、英二?

見つめてくれない、視線も言葉も。
それでも捉まえたい想い声になる。

「それもそうだけど、それだけじゃない…」

答えながら見つめる先、白皙の横顔に雪がふる。
大樹の根もと深紅の登山ウェアに白が舞う、その肩が美しい。

―きれいな英二…山に鍛えられて、

登山ウェア馴染んだ肩、ひろやかな鋭角なめらかに隆起する。
雪ふる髪ダークブラウン艶めく、白皙の頬えがく銀色まばゆい輪郭。
白きらめく肌うかぶ薄紅一閃は雪崩の痕、その刻まれた誇りが深淵も輝かす。

―もっと傷跡たくさん英二は…だからきれいで、

山に負った傷、いくつ?

その数いくつか自分は知らない、ただ、こんなにも山のあなたは美しい。
そんなあなたが好きだと、唯ひとつの想い声になる。

「ファントムは醜いから売られた子どもだったでしょう?でも勉強して成功して、才能のために酷いめにも遭って…それでも生きたひとだよ、」

醜悪に生まれて才能に生きた男、そんな姿とあなたは似ている。

“Le Fantome de l'Opera”

あの小説なぞらえる存在「Fantome」は、誰のことだろう?
その一つは父を「墜としこんだ罠」隠される歪な存在、そして、それだけじゃない。

『俺はきれいな人形じゃない、』

あなたの声が記憶に叫ぶ、初めての夏が秋が揺すられる。
あの時も今も変わっていない睫の陰翳、その深淵に続けた。

「でも歌姫の初恋のひとはハンサムでしょう?貴族に生まれて、みんなに愛されて良い人で苦労なんかしらない…ファントムと真逆なラウル子爵、」

美しい貴族の青年、そんな外貌とあなたは似ている。
けれど素顔は真逆だ「愛され」なかったから。

『俺はきれいな人形じゃない、』

もし“愛され”たなら“人形”じゃなくなるの?

そんな設問ずっと廻っている、あなたにずっと。
もしそうなら僕でも生かせるのだろうか、あなたを?
人形じゃないと叫んだあなたを、山の貌のまま生かせたらどんなに幸せだろう?

「…幸せなヤツだよな、そいつはさ、」

あなたの声がつぶやく、赤い唇に雪が舞う。
端整なきれいな唇、きれいな深い哀しい声、でもそれだけじゃないあなたは。
あなたはただ「きれいな人形」なんかじゃない、そう信じたくて声にする。

「英二…英二は、歌姫はどちらと似てると思う?」

呼びかけて見つめて、切長い瞳が自分を見る。
ふかい深淵が雪に見つめる、冷えてゆく風に息が白い。

「歌姫は家が没落して、それでもがんばってプリマドンナを目指したんだ…苦労から夢を叶える逞しいひとだよ、」

没落、それとは真逆に生きてきたひと。
それでも「目指した」強さは同じでしょう?

「ね、英二…ふたりは一生懸命に生きるひとなんだ、ひとりはご飯の心配したこともないのに…歌姫はご飯が食べられなくても舞台を選んだひとだよ?」

ただ一生懸命に生きる、そんなあなたが好きだ。
どうしても。

―山に駈ける英二が好きなんだ僕は…美代さんのこと好きになっても、まだ僕は、

一生懸命に生きる、そんな女の子を僕は好きになった。
それは恋かもしれない、それが「普通」で幸せかもしれない、ただそれだけじゃなく彼女を好きだ。

『誰もいなかったら独りで決めるしかないでしょう?孤独なぶんだけ歪んで、強くなって、』

そう彼女が言ってくれたから僕は、今、ここにいる。
あなたを独りにしたくないと気づけたから。

『でも私は醜くても生きる強さが好きよ、だって逃げるよりずっといいでしょ?』

そう彼女が言ってくれたから僕は今ここにいる。
あなたを肯定したいと気づけたから、だから声にしたい。

「そういう歌姫に、ほんとうに寄り添えるのはどっちだと思う?」

あなたに寄り添いたい、独りにしたくない。
だって逃げるよりずっといい、今、こうして向きえる一瞬が幸せで。

「ね、英二…もしファントムが天使みたいに美しいひとだったら、それでもラウルを選んだかな?」

あなたが美しくなかったら、選んだろうか?

そんな自問めぐりかけて、そんなこと無意味だと瞳に見つめられる。
だって結局あなたは美しい、今、こんなにも凍え傷んで、無理解でも。

「歌姫はファントムのこと、音楽の天使って呼んで憧れてたのに素顔を見て変わるよね…でも英二、もしファントムの素顔が綺麗だったら?」

声にして呼びかけて、切長い深淵が自分を見つめる。
白皙まばゆい貌に瞳ただ黒くて、それが闇でもきっと美しい。

―僕は英二のこと怖いんだ、でもそれだけじゃない、

あなたの闇を知っている、そのたび厭きれて傷んで。
けれど何も知らなかった感情より今がいい。

「英二…もしファントムの貌が天使だったら、歌姫はどちらを選ぶかな?」

天使だと、あなたを想っていた。

自分を救ってくれたひと、優しいひと、天使のように美しい心と体の人。
ただそう想い慕っていた、でも今は違うと知っている。

“Fantome”

醜い、けれど才能あふれた男。
醜い、それ以外すべて備えているのに選ばれない。
その醜さは外見じゃない、孤独でもない、あなたは気づいている?

「そうだな…、」

あなたの口もと微笑む、赤い唇に銀色くゆる。
なんて答えてくれるのだろう?想い、低い声かすかに哂った。

「ようするに周太が言いたいのはさ、歌姫は内面じゃなくて顔で選んだってこと?」

きれいな低い声が雪に舞う。
凍てつく森のふところ、切長い瞳に答えた。

「そう、だから…もし見た目が同じくらいだったらって…そういうの英二はわかるよね?」

声にして白く凍える、とけてゆく吐息に記憶うつろう。
あなたが教えてくれた過去の言葉、そのままに赤い唇が微笑んだ。

「きれいな人形って言われてる俺なら、ってことだろ周太?」

母親にとって俺は、人形なんだ。

そう告げた瞳が忘れられない、深淵ふかく傷んだ孤独。
あなたの母親だけが原因じゃない、そうして抉られた視線を見つめた。

「そう…だから美代さんは歌姫に怒るんだ、」

だから好きだ、あの女の子が。

『だから逃げないで?醜くても生きるひとが大好きなくせに、』

あなたの仮面ごと彼女は見つめてくれる、あの実直な勁さが眩しい。
ただ真直ぐに見つめる大きな瞳、あの明るい眼が好きだ。
だから解ってほしい、けれど赤い唇が哂った。

「は、なんだそれ?」

きれいな低い、冷たい声。

「…、」

英二、そう名前を呼びかけたい。
でも動けない唇の雪、切長い瞳が刺した。

「怒る?あの女も俺のこと顔だったくせによく言えるな、」

冷たい声が大気つらぬく、冷厳の森に刺しこめる。

「なあ周太?俺とあの女をデートさせたこと、憶えてるだろ?あのとき言われたよ俺、」

赤い唇やわらかに微笑む、赤色なめらかに硬く鋭い。

「光ちゃんよりも宮田くんの方がどきどきしますってさ?アレって顔だけ見てたってことだろ、同類だから怒ってんのか?」

きれいな低い声、たぎる冷厳の底から瞳が嗤う。

「そういえば言われたよ?俺のこと憧れで好きだけど今は湯原くんが一番大切なの、ってさ?あの頃から狙ってんたんだろ、貌だけの俺より周太をさ?」

冷たい声、冷たい視線つめたい言葉。
どうしてこんなに追いつめるのだろう、あなたは?

「思うんだけどさ、ラウルは顔がイイだけじゃなくて優しいだろ?ファントムと比べられない能無しだけどさ、優しい男は女を幸せにできるだろ?」

あなたの声が白く凍る、冷厳ふかく森が白い。
白銀きらめく山懐、それなのに今あなたの貌が苦しい。

「周太も優しい男だよ、あの女が周太を選ぶのは当然だろ?周太は能無しじゃないし見た目も中身もきれいだよ、でも俺はそうじゃないだろ?」

そうじゃない、なんて僕こそ言いたい。
どうして?

「周太にも前に言われたよな、俺は綺麗な人形の仮面を被ってるってさ?たしかに俺は顔いつも褒められるし無能でもないよ、でも素顔は醜いよな?」

醜いなんて知っている、でもそれだけじゃない。
それだけじゃないのに?

「でもあの女は周太とお似合いだよ、二人とも子どもっぽいけど賢くて大人びてるとこ似てる、一緒にいて楽しいだろ?」

ああまた「あの女」なんだ、どうして?
あなたも知っているはずなのに、そういう存在のこと。

「だから周太、もういいだろ?早く行けよ、」

もういいだろ、だなんて嘘。
もう知っているのに?

「ふつうに幸せになれるよ周太は、だからごめんな?男同士で恋愛とかさ、巻きこんで悪かったな?」

赤い唇が嗤う、その言葉に鼓動たたく。

“巻きこんで”

その言葉ずっと前に僕が言った、あなたに。
その想いずっと変わらない、今も、だから追いかけてきたのに。

「だから周太もうあの女のとこ行けよ?このまま俺に嫌なこと言わせるなよ、巻きこんで悪かった、ごめん、」

ごめん、

そんな言葉こんなふうに言わないで?
どうせ使うならもっと別のこと、それに気づいてほしいのに。

「もう行けよ嫌なこと言わせるなよ?それとも、もっと俺を悪役にしたい?ファントムみたいに、」

切長い瞳が嗤う、濃やかな陰翳から孤独が見あげる。
白銀まばゆい大樹の根もと、赤い唇しずかに動く。

「もうとっくに悪役だよな俺、ファントムは歌姫を閉じこめてラウルを殺そうとしたけどさ、俺も同じこと周太にしたもんな?」

ああ、あの夜のこと言うんだ今?

“Le Fantome de l'Opera”

あの物語の恋は「からくり」そのままに僕とあなたも同じ?
あの夜あのベッドで起きたことは「閉じこめ」かもしれない。
そうかもしれない、でも違う道の分岐点に美しい声が笑った。

「周太も憶えてるだろ?初任総合の夜、俺、周太の首を絞めたよな?」

ああ、それじゃないのに?

「忘れてないよな周太、離したくないからって自分勝手に殺そうとするような俺だよ?」

忘れていない、でもそれじゃない。
僕があなたに厭きれるのは、違う。

「もう周太は警察を辞めるんだ、もう俺に守られる必要もないだろ?俺の傍にいる必要はないんだ、もう行けよ周太?同性愛なんかに巻きこんで悪かった、」

守られるとか、そんなことじゃない。
巻きこむとか、なんてもっと違う。

「ごめん、もう行けよ嫌なこと言わせるなよ?もう俺の汚いとこ曝させるなよ?」

汚いところなんてもう驚かない、知っているから。
醜くて独りよがりで、けれど今ここに僕はいる。

「ごめん周太、もう行けよ?」

きれいな低い声が凍てつく、でも僕は知っている。
こんなにも傷んで無理解で身勝手で、それくらい柔らかすぎる素顔。

『醜くても生きるひとが大好きなくせに、』

あの女の子が言ってくれた、そのままにこのひとが好きだ。

「…だから怒ったんだよ、」

ほら唇うごく、僕の声だ。

「だから美代さんは怒ったんだよ?美代さんはファントムが好きなんだ、ファントムは酷いめに遭っても自分を諦めなかったんだ、」

白い靄くゆらす声、僕の声だ。
そうして声に見つめてくれる、あなたの眼。

「醜い貌もバネにして成功して、そういう強さが美代さんは好きなんだ、だから、」

あなたが僕を見つめる、僕の声に。
このまま視線に声に掴まえさせて。

「だから歌姫に怒るんだよ、歌姫は醜い顔を言訳にファントムを棄てたでしょう?天使って呼んで愛したくせに、だから、」

あの女の子が怒ってくれた、それは肯定だ。
守られるとか巻きこむとか、そんなことじゃない等身大ただの肯定。

「だから僕にも怒ったんだ、だいすきだから歌姫にならないでって、」

だいすき、大好き、大切なひと。

そんな想い抱きしめてしまった、あの女の子にも。
だからこそ彼女に言われて今ここに辿りつけた、大切なひとが願ってくれたから勇気を抱けた。

―美代さんが怒ってくれなかったら僕は追いかけられなかった…怖くて、

怖い、あなたが大好きだから。

大好きだから拒絶が怖い、けれど願ってくれた勇気が足を動かした。
捻挫まだ治りきっていない、それでも辿りついた森にあなたが微笑んだ。

「なに言いたいのか分からない、俺、」

拒絶の言葉が微笑む、でも瞳が自分を映す。
ただ見つめ返して想い声になった。

「ファントムで天使なんだよ英二は、僕にも美代さんにも、だから美代さん怒るんだよわかって英二!」

わかって、どうか。

叫んだ想い腕がうごく、ひろやかな肩を掌つかむ。
切長い瞳が近くなる、その深淵まっすぐ叫んだ。

「どんな貌でも逃げないことが愛することなんだよ英二!だから僕はここにいるんだっ、」

なぜ僕がここにいる?

そんなこと自分でも不思議だ、2年前の自分が首傾げるだろう。
それでも辿りついた三月の雪の森、深紅あざやかな肩をつかむ。

「そうだよ英二は最低だよっ、他のひとにせっくすしちゃうしお父さんの日記も勝手に隠すし、いつも身勝手で独り決めでほんとおせっかい困るよ!」

体も心も、あなたは僕だけを見てはいない。
こういうこと誠実だなんて言えないだろう、こういうこと身勝手と言うのだろう。

でも、

「でも最低なバカだから愛してるくせにって怒られたんだっ、醜くても生きるひとが大好きなくせにって!」

最低なバカだ、あなたは。

―ほんとばかだ英二は…あの雪崩にまで傍にいて、

あの雪崩、高峰はるかな雪中狙撃。
あのとき隣にあなたがいた、あの雪が今この奥多摩の森に舞う。
あのとき追いかけてくれたひとを追いかけて今ここにいる。この覚悟くれたのは奥多摩の女の子。

『醜くても生きるひとが大好きなくせに、』

あの女の子が言ってくれた、この奥多摩に生まれた女の子。
だから今こうして僕は肩を掴めた、それが僕にどんなに大切か解って?

―美代さんが受けとめてくれたから僕は認められたんだ、英二のことも、

同性愛で、警察学校の同期で、そんな恋愛は否定されて当り前。
そんな「普通」だと諦めていた、けれど彼女は真直ぐ肯定してくれた。
そんな彼女だから大切になった、好きになった、だからきっとあなたを好きな分だけ彼女を好きになる。

「そんなこと言ったのか、あの女が?」

ほら?あの女って言うんだ、あなたは。
こんなにも伝わらない、解ってもらえない、認められない。
それでも僕は僕で、こんな自分のまま答えた。

「そんなこと言うよ美代さんは、そういう美代さんだから僕は好きなんだ、」

好きだ、

好きだ、だから今ここに追いかけてこられた。
ただ好きなひとが肯定してくれたから、ただ僕のままで走れた。

「好きなんだ、恋愛としてだろ?」

あなたが問いかける、その瞳かすかに銀色ゆれる。
あなたは泣くのだろうか?

「僕の大事な女性だよ、浮気じゃなくて本気です、悪い?」

本音そのまま声になる。
どこも隠したくない、偽りなんて嫌だ。
あなたに偽られて隠されて、その哀しみ知ってしまったから。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 104」】

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第85話 春鎮 act.58 another,side story「陽はまた昇る」

2018-06-18 22:41:00 | 陽はまた昇るanother,side story
Three winters cold
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.58 another,side story「陽はまた昇る」

どうしてそんなことばかり言うのだろう、あなたはいつも。

“かわいい”

そんなふう自分のこと言うけれど、自分が何か解って言っている?
そんなふう言われるたび思うこと、あなたは解っているだろうか?
そんなふうには、お願い、紛らわさないで?

「…かわいいとかそういうのいまはいいから、」

あなたの言葉に言い返す、また逸らされたくない願いに。
どうか紛らわさないで、そんなふうに誤魔化さないで。
ただ冗談もなく怒りもなく今、本音だけを聴きたい。

「かわいいよ、周太は今も、」

きれいな低い声が微笑む、切長い瞳が笑いかける、いつも通りに。
こんな「いつも」が嬉しかった時もあった、でも今もう違うのに。

―僕のそのままを認めてほしいんだ、今は…僕も同じ、男だって、

自分も男、そんな言葉じゃ無条件に喜べない。
こんなふう認められない、受けとめてもらえない、なぜ?
ただ座りこんだ雪の森、ひそやかな木洩陽の底に赤い唇が微笑んだ。

「…あの女に話したのか周太?ページがない『オペラ座の怪人』のこと、」

ああ、また「あの女」なんだ?
その「話した」なんて質問も。

―美代さんのことも認められないんだ英二は…女の子としてだけじゃなくて、人として…僕のことも、

きれいな笑顔どこか遠くなる、白皙の頬かたどる銀色の木洩陽ゆれてゆく。
今こうして見つめて近い視線、きれいな笑顔、けれど消えてゆく。

「あの本は美代さん何も知らないよ…」

答え声にして、凍えてゆく。
あなたと通じ合えないから。

―簡単に話せることじゃない僕には、でも…それを英二は解っていなくて、

解っていない、僕のこと。

「…知らなくていいんだ、一生ずっと、」

微笑んだ口もと、銀色くゆる。
タメ息まで凍えてしまう森、赤い唇そっと笑った。

「そっか、」

安心した、そんな貌。
それくらい解ってくれない人へ、痛む覚悟に微笑んだ。

「…英二こそ光一には話したでしょ?」

僕のことを責める、それは「している」からでしょう?

「やっぱり周太、俺の本性よく見てるよな、」

赤い唇そっと笑う、安心した貌で。
ばれたって貌して、だったら英二?

「英二…教えて、ほんとうのこと全部、」

どうか誤魔化さないで、もう紛らわさないで。
冗談もなく怒りもなく、ただ本音だけ伝えて?

―光一に話すだけの理由があったから英二は…それも僕は知る権利がある、

自分は知りたい、だって自分の父のことだ。
それを他人にばかり知られたくない、なにより嘘はもうほしくない。

「相談するのに少しな、でも全部じゃない、」

赤い唇すこし笑って応える、その言葉どこまで事実だろう?

「…光一の閲覧権限を使うためだね、警察のデータファイルは盗めたの?」

盗んで、それからどうする?

―どうして英二がひとり抱えこむの?僕のお父さんのことなのに…親戚だとしてもここまでなんて?

どうしてだろういつも、あなたが解らない。
ここまで父に拘る理由どこにあるのだろう?

「周太もデータファイル見たんだ?伊達さんはSATの実権も情報もかなりだもんな、」

赤い唇あざやかに問いかけてくる。
こんな質問するほど「知っている」瞳にありのまま答えた。

「有能で真直ぐだよ…英二にも操れないひと、でしょ?」

もう会ったことあるでしょう?だから訊いてくる。
こうして先回りされること、あなたがされたら何を思う?

「怖い男だよな、あいつ、」

赤い唇きれいに笑いかける、切長い瞳が見つめてくれる。
その眼どんなふうに僕を映しているのだろう?

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 104」】

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第85話 春鎮 act.57 another,side story「陽はまた昇る」

2018-06-06 12:58:31 | 陽はまた昇るanother,side story
Three winters cold 冬、その先は
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.57 another,side story「陽はまた昇る」

こわい、あなたが。

“ファントムは人殺しも厭わない”

あなたの声が言った、それは現実を言うの?
そんな切長い瞳は周太を映して綺麗に哂った。

「それにファントムは人殺しも厭わない、自惚れが強いまま怖いもの知らずだ、」

ダークブラウンの髪きらめいて切長い瞳ゆらす、頬なぶる風に雪がふる。
やわらかな湿度の香ほろ苦く甘く冷たくて、時が凍る。

―もしかして英二、あのひとを…、

あなたに雪が香る、風きらめく、ダークブラウン透かして冷厳が笑う。
冷たくて深くて美しい眼、この瞳ここまで冷たかったろうか?

“Fantome”

この単語が使われた場所、そのために父は死んだ。
その全てあなたは知るのだろう、この自分よりもきっと知って、それでも言ったあなたは?

―あのひとを英二…だから今そんなこと言うの?

厭わない、そう告げた視線が自分に微笑む。
冷たく澄んだ深い瞳ただ綺麗で、まぶしくて、解らなくなる。

『人殺しも厭わない、自惚れが強いまま怖いもの知らずだ』

そんなこと言わないで、あなたは。

―だって英二の笑顔が好きなんだ僕は…山のあなたが、

山に笑う、あの素顔が好きだ。

だから今もここだと信じて追いかけてきた、好きだから。
だから止めたい、その声その瞳そんなことに向けないで?

―どうして英二あのひとのことそこまで…どうして?

どうして?

“Fantome”そうして縛るあの男。

その存在にあなたは動く、それはもう解っている。
その動機はどこから起きるのだろう?あなたのため、それとも僕のため?
そんなこと解らない、ただ止めたい、どうしたら止められる?願い雪の森、呼吸そっと唇ひらいた。

「そうだね…英二はひとりぎめ独善的で自分勝手、」

あなたは自分勝手だ。
それでも伝えたくて見つめる真中、凍える瞳に声を押した。

「自惚れるぶんだけ大事なこと教えてくれない、」

自惚れるほど自信がある、それだけ美しい瞳が自分を射す。
強い視線あなたは自分勝手だ、でもそれだけじゃないから喉しぼった。

「僕なんかじゃ信頼もくれないね?」

どうか信じて?僕という存在のこと。

―僕だって男なんだよ、英二…護りたいんだ、

あなたは男で、僕も男、同じ想い抱いても当たり前でしょう?
どうか認めて信じてほしい、願う真中で美しい唇が笑った。

「小嶌さんに怒られたって周太、こんな自惚れやとつきあうなって怒られた?」

雪の風あざやかに赤い唇、低い声まばゆく響く。
その言葉どんなに僕を刺すかなんて知らないで。

―おばあさまに何か言われたんだね、英二…美代さんのこと、

あの女の子と自分が未来を描く。
それが望まれる姿だと自分も知っている、あの女の子も、けれど。

『歌姫にならないで?』

澄んだ声まっすぐ自分を見あげる、そういう女の子だ。
そうして今この選択を二人で決めて、けれど解ってくれない瞳が笑いかける。

「俺と周太は釣り合わないって俺にも解ってるよ、自分勝手で自惚れやの俺だろ?努力家で謙虚な周太とうまくいかないよな、」

別れを切りだされる、そんな言葉たち。
でも聴かせてほしい、それは本音の聲?

「祖母も俺を周太から遠ざけたがってる、周太の携帯も俺だけ着拒されてるよな?誰にも望まれないなんてさ、よほど釣り合わないんだろ、」

赤い唇まばゆく笑う、でも凍えて哀しい。
だって本音すこし毀れた。

―英二…誰にも望まれないなんて、って…言ったね?

望まれないなんて、って、そんなこと言うのは反対の現実を願うから?
そうだといい、ただ願いたくて選んだ今に微笑んだ。

「あのね…美代さんが怒ったのはね、ファントムを選ばない歌姫なんだ、」

望まれない、うまくいかない、釣り合わない、言葉そんなに連ねて何を選ぶ?
その選択もし僕を護ると言うのなら、どうか僕にも護らせてほしい。

“Le Fantome de l'Opera”

あの小説あの言葉、自分を今に惹きこんだページ。
オペラ座に棲む男は“Fantome”と畏れられ、けれど歌姫は天使と呼んだ。
そうしてファントムは彼女に恋をして、でも美しい貴族の青年を選んだ歌姫、でも僕はそうじゃない。

「なんで周太…あの女が『オペラ座の怪人』の話するんだ?」

ほら?あなたが僕を見た、不可思議な眼で。
不可思議な恋物語つづる小説の記憶、そのページ隣いつもあなたがいた。
あの時間どれだけ自分を温めたろう、だから孤独にならないで?

「今、フランス語の勉強に読んでるんだって…あのね英二、この春から美代さんね、大学に入るんだよ?」

問いかけに答え微笑んで、ほら不可思議な瞳が見つめてくれる。
深い冷たい、けれどすこし揺れる温もりが唇ひらいた。

「合格発表、ニュースに映ってたよ…周太?」

唇の端っこ笑ってくれる、でも瞳が昏い。
きっと「望まれない」めぐっている、そんな視線が哀しい。
だからこそ言われた事実のまま含羞すなおに昇らせて、ただ微笑んだ。

「…えいじみたんだ、ね…はずかしいでしょぼく、」

あんなふうテレビに映った自分、どうか可笑しがって?
そうして笑ってほしくて羞んだ先、雪ふる森に深い眼は笑んだ。

「いや、周太はかわいかったよ、」

ああもう、こんなときまでそんなこと言うの?

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 104」】

第85話 春鎮act.56← →第85話 春鎮act.58
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