A 5 ou 6 heures du soir
第86話 建巳 act.10 another,side story「陽はまた昇る」
窓あわい朱色に染まるころ、母は帰ってきた。
「…あ、」
こつん、こつん、聞きなれた靴音かすかに響く。
飛石をパンプスやってくる、なつかしい音に周太は窓を見た。
「やっぱり、」
レースのカーテン透かす庭、華奢なコート姿が急いでくる。
夕暮やわらかな桜、そしてミモザゆらす黄色に靴音こつん近くなる。
予定より早かったな?ライティングデスクから立ちあがって、インターフォン響いた。
「はーい、」
インターンフォン2つ連打、そして長押し1つ。
ずっと暗号にしていた押し方に玄関ホール、かちり玄関扉が開いた。
「ただいま周、出張先から直帰しちゃった、」
やわらかな香にアルトが笑う、ウェーブゆるやかな黒髪かきあげ瞳が微笑む。
ぱたり玄関扉が閉じて、コート脱いだ母に周太は微笑んだ。
「ん…おかえりなさい、お母さん、」
おかえりなさい、と言えた。
再び言えた当り前の言葉、母の瞳ゆっくり瞬いた。
「ええ…ただいま、」
やさしいアルト微笑んで、黒目がちの瞳から光こぼれる。
あふれてステンドグラスの光ゆれて、スーツの腕そっと伸ばされた。
「…しゅうたっ、」
やわらかな香くるまれる、やさしい腕が肩を抱きしめる。
頬ふれる熱しずかに衿元こぼれて、ふるえるスーツの肩を抱きしめた。
「…、」
スーツの肩ちいさく震える、背中ふれる華奢な手。
こんなふう抱きしめられるほど、不安も哀しみも与えてしまった。
―ずっと我慢してくれてたんだ、おかあさん…
ただいま、
おかえりなさい、
何気ない出迎えワンシーン、ずっと繰り返してきた親子の日常。
あたりまえで、けれど消えてしまうかもしれなかった。
「ずっとごめんなさい、おかあさん…」
呼びかけて腕の中、母の肩ふるえてしまう。
声は無い、けれど泣いている震えまっすぐ鼓動に響く。
こんなふう泣いてしまうほど耐えて堪えて、母はずっと苦しんだ。
『そんなのやめて周太っ…お願いよ、』
警察官になると告げた夜、母は泣いた。
それでも自分は警察官になってしまった、どれほど母を苦しめたろう?
「ごめんなさい、心配いっぱいかけて…ごめんねおかあさん、」
呼びかける言葉ずっと言いたかった。
けれど言えないまま消えるかもしれなかった、あの長野の夜。
『あのひとが命懸けで信じたのっ、だから私も息子が警察になること頷いたのよっ、あなたが護ってくれると信じたから!それが何よその拳銃っ、』
母は知っていた、父を誰が殺したのか。
命懸けで信じた、頷いた、護ってくれると信じたから、そんな言葉たちに母の十四年を知ってしまった。
知って、知っているから信じて、そして独り毎夜あの書斎で抱きしめた涙、それから父への終わらない慟哭。
そんなふう生きた歳月ずっと、父が消えた桜の夜からずっと、堪えた肩が今ふるえる。
―もう泣かせたくない僕は…お父さんもそうでしょう?
ふるえる肩に面影ふれる、あの夜、父が消えた夜より細くなった肩。
背中すがる手も細くなった、こんなふう泣かせたくない。
この肩に手に、ふりつもった歳月に今日を告げた。
「お母さん、今日、退職届を出してきたよ、」
告げて、背中の手そっと緩められる。
スーツの肩すこし離れて、長い睫ゆっくり瞬いた。
「…周太が、自分で出しに行ったの?」
「ん、」
うなずいて笑いかけて、母の瞳ゆっくり瞬く。
ステンドグラスやわらかな黄昏の光、ふわり周太は笑った。
「警察官を辞めてきたよ、明日から大学院の受験勉強したいんだ、」
今日終わる、そして明日から始まる。
それが簡単に叶うのかなんて思っていない、それでも。
『俺が消えても次がいる、辞めた後も気をつけてくれ…おまえは生きろ、』
長野の夜、父の殺害犯が自分に言ったこと。
あの言葉は真実だった、そして贖罪で、そのためにも自分は生きる。
だから今日は自分で退職届を出したかった、それは父の願いでもあるから。
『あの日の翌日に辞表を出すつもりだったのよ…今も私が保管してあるわ、馨さんの絶筆だもの?』
長野の夜、母が叫んだ父の真実。
『雪崩の巣に送りこんで今度は拳銃ってどういうことよ!黙って死んだ馨さんを踏みにじってんじゃないよこの殺人鬼っ、』
病院の駐車場、雪を貫いた怒鳴り声。
雪ふる闇に白い手あがって、母は彼の頬ひっぱたいた。
あんなふうに怒鳴る母を初めて見た、それだけ堪えた理由は父の想いだ。
“辞表を出すつもりだったのよ…絶筆だもの”
警察官を辞めて、父は何を叶えたかったのか?
その想い解るのは父の世界たどった自分の時間、その涯に今、願いを抱いている。
そうして生きたい場所に自分は向かう、その願いに母の涙そっと笑った。
「そう…おめでとう周太、」
「ありがとう、でも、まだ合格するか分からないよ?」
わざと混ぜっ返して笑って、母も小首かしげ笑ってくれる。
頬こぼれる雫そっと細い指はぬぐって、やわらかなアルト微笑んだ。
「おかえりなさい、周太?」
おかえりなさい、そう母の声が自分を見あげてくれる。
ステンドグラスの黄昏やわらかな玄関、なつかしい日常に周太は笑った。
「ただいま…ごはん出来てるよ?」
※校正中
(to be continued)
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kenshi―周太24歳3月末
第86話 建巳 act.10 another,side story「陽はまた昇る」
窓あわい朱色に染まるころ、母は帰ってきた。
「…あ、」
こつん、こつん、聞きなれた靴音かすかに響く。
飛石をパンプスやってくる、なつかしい音に周太は窓を見た。
「やっぱり、」
レースのカーテン透かす庭、華奢なコート姿が急いでくる。
夕暮やわらかな桜、そしてミモザゆらす黄色に靴音こつん近くなる。
予定より早かったな?ライティングデスクから立ちあがって、インターフォン響いた。
「はーい、」
インターンフォン2つ連打、そして長押し1つ。
ずっと暗号にしていた押し方に玄関ホール、かちり玄関扉が開いた。
「ただいま周、出張先から直帰しちゃった、」
やわらかな香にアルトが笑う、ウェーブゆるやかな黒髪かきあげ瞳が微笑む。
ぱたり玄関扉が閉じて、コート脱いだ母に周太は微笑んだ。
「ん…おかえりなさい、お母さん、」
おかえりなさい、と言えた。
再び言えた当り前の言葉、母の瞳ゆっくり瞬いた。
「ええ…ただいま、」
やさしいアルト微笑んで、黒目がちの瞳から光こぼれる。
あふれてステンドグラスの光ゆれて、スーツの腕そっと伸ばされた。
「…しゅうたっ、」
やわらかな香くるまれる、やさしい腕が肩を抱きしめる。
頬ふれる熱しずかに衿元こぼれて、ふるえるスーツの肩を抱きしめた。
「…、」
スーツの肩ちいさく震える、背中ふれる華奢な手。
こんなふう抱きしめられるほど、不安も哀しみも与えてしまった。
―ずっと我慢してくれてたんだ、おかあさん…
ただいま、
おかえりなさい、
何気ない出迎えワンシーン、ずっと繰り返してきた親子の日常。
あたりまえで、けれど消えてしまうかもしれなかった。
「ずっとごめんなさい、おかあさん…」
呼びかけて腕の中、母の肩ふるえてしまう。
声は無い、けれど泣いている震えまっすぐ鼓動に響く。
こんなふう泣いてしまうほど耐えて堪えて、母はずっと苦しんだ。
『そんなのやめて周太っ…お願いよ、』
警察官になると告げた夜、母は泣いた。
それでも自分は警察官になってしまった、どれほど母を苦しめたろう?
「ごめんなさい、心配いっぱいかけて…ごめんねおかあさん、」
呼びかける言葉ずっと言いたかった。
けれど言えないまま消えるかもしれなかった、あの長野の夜。
『あのひとが命懸けで信じたのっ、だから私も息子が警察になること頷いたのよっ、あなたが護ってくれると信じたから!それが何よその拳銃っ、』
母は知っていた、父を誰が殺したのか。
命懸けで信じた、頷いた、護ってくれると信じたから、そんな言葉たちに母の十四年を知ってしまった。
知って、知っているから信じて、そして独り毎夜あの書斎で抱きしめた涙、それから父への終わらない慟哭。
そんなふう生きた歳月ずっと、父が消えた桜の夜からずっと、堪えた肩が今ふるえる。
―もう泣かせたくない僕は…お父さんもそうでしょう?
ふるえる肩に面影ふれる、あの夜、父が消えた夜より細くなった肩。
背中すがる手も細くなった、こんなふう泣かせたくない。
この肩に手に、ふりつもった歳月に今日を告げた。
「お母さん、今日、退職届を出してきたよ、」
告げて、背中の手そっと緩められる。
スーツの肩すこし離れて、長い睫ゆっくり瞬いた。
「…周太が、自分で出しに行ったの?」
「ん、」
うなずいて笑いかけて、母の瞳ゆっくり瞬く。
ステンドグラスやわらかな黄昏の光、ふわり周太は笑った。
「警察官を辞めてきたよ、明日から大学院の受験勉強したいんだ、」
今日終わる、そして明日から始まる。
それが簡単に叶うのかなんて思っていない、それでも。
『俺が消えても次がいる、辞めた後も気をつけてくれ…おまえは生きろ、』
長野の夜、父の殺害犯が自分に言ったこと。
あの言葉は真実だった、そして贖罪で、そのためにも自分は生きる。
だから今日は自分で退職届を出したかった、それは父の願いでもあるから。
『あの日の翌日に辞表を出すつもりだったのよ…今も私が保管してあるわ、馨さんの絶筆だもの?』
長野の夜、母が叫んだ父の真実。
『雪崩の巣に送りこんで今度は拳銃ってどういうことよ!黙って死んだ馨さんを踏みにじってんじゃないよこの殺人鬼っ、』
病院の駐車場、雪を貫いた怒鳴り声。
雪ふる闇に白い手あがって、母は彼の頬ひっぱたいた。
あんなふうに怒鳴る母を初めて見た、それだけ堪えた理由は父の想いだ。
“辞表を出すつもりだったのよ…絶筆だもの”
警察官を辞めて、父は何を叶えたかったのか?
その想い解るのは父の世界たどった自分の時間、その涯に今、願いを抱いている。
そうして生きたい場所に自分は向かう、その願いに母の涙そっと笑った。
「そう…おめでとう周太、」
「ありがとう、でも、まだ合格するか分からないよ?」
わざと混ぜっ返して笑って、母も小首かしげ笑ってくれる。
頬こぼれる雫そっと細い指はぬぐって、やわらかなアルト微笑んだ。
「おかえりなさい、周太?」
おかえりなさい、そう母の声が自分を見あげてくれる。
ステンドグラスの黄昏やわらかな玄関、なつかしい日常に周太は笑った。
「ただいま…ごはん出来てるよ?」
※校正中
(to be continued)
【引用詩文:Jean Cocteau「Cannes」】
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