ひと、文章の意味
文学閑話:マイノリティを書くのなら
富士山麓、青木ヶ原樹海。
緑の生態系豊かな、原始の色彩が濃く鮮やかに息づく古代の森です。
けれど数十年前から、自殺の名所としての知名度が高く広まっています。
この現状は「小説が原因」だってご存知ですか?
その小説が発行されて数十年が経っている、それでも現実に今も樹海で自殺遺体は発見される。
おかげで上九一色村の方達は定期的に山狩りを行って、自殺遺体の収容に務めていらっしゃいます。
この小説を書いた作者の意図は「生命力豊かな森に『再生』を懸ける」だったそうです。
けれど、その文章が招いた現実は「自殺への憧憬」でした。
何げなく書いた文章で破滅した書き手、読み手、いったいどれだけいるのでしょうか?
って言うコトを踏まえて、以下読んで下さると解かり易いかなって思います。
理屈ヤな自分が苦手な、心理描写&感情表現を克服してみよっかな。
どうせ苦手にチャレンジするんなら、苦手要素を全部詰め込んで書いてみようか?
そんな苦手塗れでも納得できる文章が書けるかなあ?って感じで始めたのが、今連載中の小説ですが。
前にも苦手筆頭にあげた「恋愛小説」どうせ書くんなら、今まできちんと描かれていない恋愛関係がいいかな?
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リアルな同性愛のことを書いてみようって今、描いています。
学生時代と社会人になってからと、バイセクシャルの友人と出会いました。
いわゆるセクシャルマイノリティである痛み、同性と恋愛することの喜び哀しみを話してくれます。
彼らから聴いて共通するのは「偏見」に対する感情でした。
どうしても今の日本社会だと「普通」では無いものへの排除感情が根強い?
そういう現実の側面と、彼らの幸せについてを考えさせて貰う経験を与えられたなら、リアルな同性愛を描いてみよう?
そんなこと決めて、今の小説も設定を作りました。
で、書くにあたって、いわゆるBL小説をWEBで拝見しました。
ひとくちに「BL」と言っても多岐で、純愛からエログロまで色色あるんですよね。
けれど、大半の作品に共通したのが「BL小説ってファンタジー」だなあという感想です。
この「fantasy」って言葉自体が「叶いっこない望み=非現実」という意味ですが、その通りに説得力を感じられないんです。
で、思ったのは4つのポイントがBL小説の特徴だなって事でした。
a.設定からありえない
b.同性愛に対する偏見と差別が書き手の根底にある
c.なぜ「同性」なのか背景が無くて、その因果関係が不分明
d.同性愛ならではの悩みや喜びが描かれていない
aとbに付いて言えば、リアルの同性愛者に対して「暴力」を文章から奮っているなって感じます。
cやdは内容的に男女の恋愛と変わらず同性愛である必然性が無い、言うてしまえば→同性愛を「ネタ」と見ているんだなあと。
BL小説を読んで、いちばん感じたことは「娯楽に潜む人間の惨酷性」って事です。
申し訳ないけれど「腐女子」の「腐」の意味がマジオゾマシイって意味なんだなあと納得しました。
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もし該当の方が読まれていたら、ごめんなさい。
でもこういう現実に繋がる可能性を知ってほしいな、って思うので書きます。
拝見したBL作品に幾つか、いわゆる「性的虐待」のシーンがあったんですよね。
トイレ等の不潔な場でのセックスも該当しますが、かなり残酷で病的な描写もありました。
こうした作品の作者である方は「BLはファンタジーだから何やってもOK」って普通に宣言する方が多いです。
この発言は、BLがファンタジーじゃなくて「現実」である人を無視=否定する、結局は差別しているから言える。
その「何やってもOK」とは奴隷に対する残虐性と同じ論理です、この差別感が快感だから残酷なシーンも書けてしまう。
いわゆるSM趣味の原型は「差別に正当化する残虐性」これと同じ心理が、そうした発言の根底に透けてオゾマシイなあと。
たとえば上述のトイレでのセックスシーンですけどね?
本当に相手を大切に思っていたら異性同性関係なく、どんなにエロい気分でも汚い場所ではしませんって。
雑菌とか相手の体に入っちゃったらヤバいでしょ?それくらい考えますよ、本当に相手を考えるなら。
そういう現実を無視したBL作品の方は、いわゆる「妄想」に刺激を求めて書いて読むのでしょうが?
でもね、その公開した妄想=同性愛者の現実、って曲解を生んでいる責任をとれますか?
まあ男女の官能小説とかでもソウイウのありますよ、でも考えてほしいなあと。
男女の恋愛の方が絶対的多数派なのが現在です、だから即差別には繋がらない。
けれど同性愛、BLとも言われる男性同士の恋愛は少数派なのが現状ですよね?
同性愛はセクシャルマイノリティ=少数派ゆえに指名性が高く、本人たちはモロに「自分事」として受け留めやすい。
そして周囲も「少数派」=少ない人数なんだから全員が同類項、って考えやすいでしょう?
だから同性愛者がモンダイ起こすと、全員そうだって偏見が生まれるわけです。
これがマイノリティ、少数派に「溝と壁」が生まれる構図です。
でね、「腐女子」の「腐」はマジオゾマシイと思った、もう1つの根拠ですけどね。
先にも書いた「言葉の暴力」いわゆる汚い文章を生みだす精神的病巣ってヤツを考えてしまうからです。
いちおう自分は教員免許と法曹系の資格を持っているのですが、どちらでも心理学は勉強します。
で、児童心理学と犯罪心理学、その両面を考えながら今の作品も描いているんですけどね。
この二つの心理学から考えたとき、彼女たちの関わる将来の畸形が哀しくなります。
aやbに見られるセクシャルマイノリティへの態度は「玩弄」です。
この玩弄をする原因は、自身に対する絶対的信頼感の欠如、いわゆる自信が無いことです。
ちょっと極論的に言うと、自分は弱者・無能だからと研磨の努力を放棄しているから、成長は無い。
けれど、自分を高く保っておきたい欲求はあるら、誰か他を貶めて「自分より下位」とする事で自己満足を保つ。
ようはね、誰かを攻撃することで自分は助かろうっていう「イジメの原理」が玩弄って行動になります。
で、この貶める相手は反撃できないヤツが楽でしょ?だからマイノリティを狙って「玩弄」してしまう。
だからね、思ってしまいますよ?
彼女らが性的虐待とかを描いた結果、偏見を作り出すのは「ワザと」なんだろうなって。
そうしてマイノリティを差別化「偏見」に落としこむことで、自分の下位を作りだし優越感に自己満足する。
だからね、リアルの同性愛者の方が「BLが好き」って言う女性にカミングアウトすると、どうなるか知っていますか?
大概は珍獣扱いor気持ち悪がられて、イジメに繋がるケースが多いそうです。
そういう「玩弄」が酷いのは、所謂エログロ系の作品でした。
大抵に共通するのは男性器を虐待・破壊するシーンです、このことに精神病理のケースを考えてしまいます。
こういうの書く方で、男性との恋愛に愛されて幸福なセックスをした人は、どれ位いるんでしょう?
おそらく、ほぼ0%だと思います。
ちょっと気持ち悪い話になりますが、苦手な人はこの段落は飛ばしてくださいね。
猟奇的殺人の事例に多いのが、被害者遺体に見られる性器の破壊と、加害者の親子関係と異性関係の畸形です。
男性器の切断、女性器の穿孔や切断などを行ってしまう、こうした加害者は男女とも存在し、日本にも事例があります。
なぜ加害者は被害者遺体を破壊するのか?その根底にあるのは「性」への歪曲した心理と破綻です。
自分自身のセクシャルな能力を否定された経験、それが性的な残虐行動の根底にあります。
その心理的成長過程を刑務所の医官等が著した論文は国内外とも多く、そのケースとして多いのが「母子関係の破綻」です。
これは父親よりも母親の影響力は何倍も大きく、ここが歪だと異性との感情関係も畸形化するケースが非常に多く見られます。
女性=母体である、この本能的で社会的な女性特有の役割は「人間」を構築する基盤になると、こんな事例にも裏付けられます。
だからね、女性で残虐性の強いBLを嗜好されているのは、結構危険です。
たとえ仮想現実としてであっても、嗜好する以上は「性的歪曲」が深層心理に存在する可能性がある。
でね、女性はいずれ母になる可能性があるでしょう?その母体に残虐性嗜好がある場合、その子供がどうなるか?
腐女子の皆さんの全員が、猟奇的殺人者と同類とは思いません。笑
だけど大切なことは護ってほしいなと。
cやdの、同性愛で描く必然性自体が無いストーリー。
これを書くことも一種の「玩弄」になり得ます、だって男性同士の恋愛と全然違うこと書いてあるわけで。
だってね、男女の恋愛小説なのに、女性的心理や肉体的都合と全く違う事が書いてあったら、気持ち悪いでしょ?
男がやってイイこと、女がやってイイこと、やっぱり性差って体の造りも脳の構造も違う以上は、当然あるわけですから。
で、BLの大部分に共通するのが「受」またはネコなんて言いますけど、セックスで女性の役割をする男性が女性と同一に描かれる。
受でも男は男ですよ?ゲイだからと言って女性化するってことはありません、中性的なタイプでも女性ではありません。
そういうこと混同した作品は、もう単に同性愛を「ネタ」にして面白がっているだけだなって感じます。
女性にとってBLがネタとして面白いのは、BL=男性だけの世界=女性は責任を持たなくていい世界 だからです。
けれど、現実に同性愛の方は存在しています。そして大半のゲイは腐女子が嫌いです、上述の「玩弄」が解かるから。
取材と言ってBL作家の方が、歌舞伎町や2chの同性愛板に入りこまれるそうですが、それは彼らにとって「侵害」でもある。
そういう境界線を引かせているのは、BL特有のファンタジー=虚構性が作りだす偏見が、根底にある。
この為に傷つく人が現実にいて、その加害者に安直なBL作品がなる側面も知ってほしいトコです。
こういう少数派マイノリティへの「マイナス要因」に成り得る表現は「偏見」の温床となる現実があります。
もし「BLはファンタジーだから何やってもOK」って発言するなら、それこそ現実逃避の責任逃れです。
どうせ「知らなかったし、自分はそこまで影響力無いからイイじゃん」とか言うんでしょうけどね、笑
無知を盾に責任逃れをしがちだから、職場や社会での責任ポストを女性は任せられ難いんですよ?
ホントの責任ある社会人だったらね、「公共性」ってモンを責任の中いつも考えます。
そうした公共性が欠落しているから「何やってもOK」ってプライド無く言えてしまう。
そんな人間に責任と立場は与えられません、それは役割分担として平等的差別です。
だから言いたくなるのは、
BLが好きなのは個人的嗜好、それも有りだって思います。
けれど、WEB公開するなら「責任ある」作品だけにして欲しいです。
文章には力があります、人間の心を明にも暗にも動かすことが出来てしまう。
書いたものを読んだ人が感じること、それに「責任」がとれない文章は公開すべきじゃない。
WEB公開は、誰にでも読めてしまいます。
印刷された出版物なら校閲など有識者の目も通り選別されます。
同人誌でも「買う」ことで選別できる可能性がまだ残されている、でもWEBは選別が無い。
だからこそ書いて公開する人間の「責任」は重たい、匿名性だからって甘えているなら文章を書く資格はありません。
ぶっちゃけね、ちらしのうらにでもかいてかってにおなればかって思います、エログロとか特にね。
きっと彼女たちは、こういうこと考えていないんだろうなって思います。
そんな難しいコト考えなくて良いじゃんとか言うんだろうなって。
でもさあ?「書く」は考える「思考」なワケだよね。
で、「読む」も考えるコトです。
考えることなく書いた文章が無残な影響を招いた時「自分は無罪」って言えるのか?ってことです。
よくツイッターとか問題になりますよね、その手のコト。
スレッド板とかが切欠で事件に発展した事例も現実に存在する、小説でもそういう事例は数多い。
上述した青木ヶ原樹海の件以外にも所謂「間接的教唆」または「幇助」を犯した作品は実在します。
校閲も通った出版物でもこの結果がある、それならチェックも通らないWEB公開作品はどうなのか?
WEB公開の文章と事件の因果関係、この統計を厳密に調査したら怖いことになりそうですね。
何げなく書いた文章で破滅した書き手、読み手、いったいどれだけいるのでしょうか?
いま連載中の小説では、主人公たちは男性同士で共に生きる道を選ぼうとしています。
こうした男性同士で恋愛した場合「一緒にいる人生」を選択することは、はっきりいって難しいです。
社会的な面でも、精神的な面でも、それこそ生物学的側面から難しい。
だから自分の友人は、ひとりは女性と結婚する道を選びました。
彼の本気の恋愛対象は男性で、女性との恋愛は半分義務、完全にゲイよりのバイセクシャルです。
だから彼も本当は、最愛の男性との人生を選ぼうとしました。養子縁組による入籍も考えていた、でも出来なかった。
彼は長男で、家業の後継者だったからです。その義務と責任で女性との結婚を選びました。
ぶっちゃけ卑怯モンです、彼は。
だってね、今の奥さんに自分からゲイだって告白出来なかったんですから。
結局はね、彼の言動を疑った彼女が周囲に聴いて知っちゃった、っていうある意味最悪のパターン。
でも、それくらい彼にとっては「同性愛者であることが受容れられない」って思いが根強くて。
そこまで追い込まれていく経緯が彼にもあったこと、自分は弁護してあげたいとこです。
今の奥さんの前にも、彼は付合った女性がいました。
すごく幸せそうでしたよ?彼も彼女を信頼して、いつか結婚するのかなあって思っていました。
でもね、彼女から拒絶されてしまった。彼がカミングアウトをしたことが切欠だったそうです。
本当に信頼していた彼女で、彼女も彼を愛していた、でもバイセクシャルだと告げたことで壊れてしまった。
この別離は彼が仕事でキツイ時期だったんですけどね、不眠症に苦しんでいました。その後まあ少し閑散期になって。
そのころ元彼女と友人としての付合いが再開して、彼女からやり直してみないかと言われたそうです。
でもね、そう言われた彼は彼女から離れて、もう会う事も止めてしまいました。
その後に今の奥さんと出逢い、5年くらいかな?付きあって結婚しました。
この奥さんも自分の友人ですが、彼がゲイだと知ったときは大きなショックだったと話してくれました。
それは「同性愛」に対する思想の差異も含まれると思います、けれど、それ以上にショックだったのは別の事です。
彼にとって自分以外の「1番」が存在する、そのことが彼女にとってショックで哀しみで怒りでした。
でね「彼の言動を疑った彼女が周囲に聴いて知っちゃった」と書きましたけど。
この彼の言動って「他に好きな人がいる」って当時は恋人だった奥さんに言っちゃったことです。
それもクリスマスかなんか、そういうスペシャルな日に言っちゃったらしいんですよね。
↓
こういうのって、女性にとったら大打撃でしょう?
でもね、彼がなぜこういう日に言いたかったのかも、自分は解かる気がします。
それで彼に聴いたら、自分が想った事と同じことを想って、彼女に話したのだそうです。
「大切な日だからこそ、大切な人にもう偽りたくなかった」
ま、馬鹿正直なトコですよね、男っぽいって言うか。笑
彼女の方からしたら「他の日にしてよっ!」大切な日くらい幸せにしていたいですもんね。
この2人、どっちの言うことも否定は出来ないです。どちらも本気だし、ただ食い違っているだけで。
そして、この日は2人にとって最悪だったことも否めません。
彼は本当は共に過ごしたい相手がいる、けれど想いの叶わない相手だと解かっている。
彼女は彼の1番でいたい、その隣に今いるのは自分だけれど、でも1番は他の人で彼の心はそこにある。
それでも彼女は彼の隣にいたくて、そういう彼女に縋って彼は「叶わぬ恋」の孤独から逃げようとする。
もし彼が正直になって最愛の人の許に行けば、彼の家族も従業員も不幸になり相手の人も巻き込んでしまう。
だから、周りにも1番犠牲が少ない選択として、彼は彼女との結婚を選び、彼女も解かった上で結婚をしました。
この彼の気持ち、って解りますか?彼の奥さんの想い、女性の皆さんはどう思いますか?
もし今、これ読んでいる方でBL小説とか漫画を書く方、いらしたら考えて下さい。
このバイセクシャルな彼が何に苦しんで恋人と別れたか、元彼女と別れたのか、奥さんと結婚したのか?
そして奥さんはどんな想いで彼を受けとめて、彼との人生を選んで結婚したのか、考えられますか?
こういう彼は偽善者だ、そう言われたらその通りです。
でも、そういう生き方しか出来ないのが彼です、その人格を否定する権利は誰にもありません。
彼の弱くて狡い部分も、叶わぬ恋を思い続ける強さも、すべてが現実に存在して今も生きています。
人間の清らかで汚くて、弱くて強いという本質は、マイノリティでも多数派でも変わりません。
如何なるカテゴリーに属していても「人間」である以上、誰もが弱さも強さも抱きしめて生きている。
だから、誰にも責める権利はない。
こういうのって、人間なら誰にでも形は違えどあります。
自分は異性との恋愛しか経験ありませんが、彼らの話から「人間」を理解し学ぶ事も多くて。
そういうこと考えながら、今の小説を書いています。
主人公の恋は、純愛です。
生真面目に一途すぎて、求めすぎて危なっかしい純情すぎる恋愛です。
これが男女の恋なら世間一般的に受容れられる門戸は広がるでしょうね、でも敢えて男同士の恋愛で描いています。
現実の世界では「難しい」恋愛、それでも選んでいこうとする人間の弱さと強さを書いてみたいなって思います。
なぜ男同士は「難しい」のか?
それでも恋愛関係が成立するのは何故か、その要因は何か?
そういうことを、精神面・肉体面といった内的要因から、社会や家族との外的要因まできちんと描けたらなあと。
R18も描きますが、男性同士ならではの感情と心理的&肉体的問題と向き合うには必須要素だからです。
男女恋愛との差で最も顕著なのは身体面と「同性である」ことのライバル心です、これを描くにはR18シーンは顕著です。
ソレを書いたのがsoliloquyとsecret talk9「愛逢月」同性である故の対等性、お互いの「男性」への尊重を描きたかったんです。
この小説は純文学として書いています、それで同性愛を描くなら必ず描いておくべき心理描写だろうって「愛逢月」を書きました。
ちなみに愛逢月は七月の異称です。七夕の逢瀬をイメージした「短夜の恋愛」の愛惜が合うなって付けました。
そして、この場でお詫びを→R18が苦手な方いつも申し訳ありません、
また乱筆乱文ですが、読んで下さった方ありがとうございます。
ご意見ご感想等、もしありましたら是非お聴かせてください。文章or写真、いずれでも大歓迎です。
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