萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

八月、木染紅染―言葉譚

2013-08-24 23:03:47 | 文学閑話散文系
初秋の山、葉隠の色彩



八月、木染紅染―言葉譚

葉月、木染月、紅染月

どれも八月を表す言葉です、短篇の題名にも遣いましたけど。
葉月は樹木の葉が豊かに繁るイメージ+「八=は=葉」っていう言葉遊びかなって思います。
木染月は2つの解釈、緑繁れる葉=緑翳染まる月or葉色が黄葉・紅葉し始める初秋月、だろうと。
紅染月は字の如く、葉が紅く染まり初める月だと表した月名になります。
そんな八月は古来「秋」に属する月、7・8・9月は旧暦の秋です。

旧暦は現行の西暦=太陽暦と違って太陰暦が旨でした。
太陰暦は太陽暦より約1ヶ月ほど遅くカウントされます、で、季節も1ヶ月はズレ込んだワケです。
なので八月は現在の九月に該当=紅葉の始まる時だったので、紅染月という異称が生まれました。

そんな八月の今日に行ってきた場所は紅染月でした。



新掲載「Vol.1 Introduction 永遠の夏-Savant」と「愁雨の席―morceau by Lucifer」は校了です。
で、昨夜UP「後朝の花The middle stage」このあと加筆校正します。

取り急ぎ、


※追記
新掲載「Vol.1 Introduction 永遠の夏-Savant」当初2013.8.24に掲載しました
が、ナゼか記事表示が途中で切られていた為、2013.8.25に再掲載してあります。


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燈花の百合―万葉集×古事記

2013-08-20 09:19:26 | 文学閑話散文系
花燈火、ゆり戻す戀に



燈花の百合―万葉集×古事記

燈火の 光に見ゆる紗由理花 由利も逢はむと 想ひ初めてき  内蔵縄麻呂
ともしびの ひかりにみゆる さゆりばな ゆりもあはむと おもひそめてき

燈火の光に見える薄紅いろ清らかな百合の花 
薄暮ほの白く揺れて明るませ、また揺らぎ夕風の戻るように 
君の許に戻りたいと想い初めてる、清らかに優しい百合のような君に今逢いたい 

『万葉集』第十八巻に掲載の歌です。
宴席で読まれたちょっと政治的な色もある歌ですが、相聞歌に訳しました。
宴の土産として百合の花で作った髪飾りが贈られた歌になります、が、百合の花にある恋愛伝説から恋歌解釈です。

歌中「由理」は百合のことで、万葉仮名では「由理」「由利」と表記されていました。
現在の「百合」は中国から伝来した書き方で、2~3世紀頃の中国の古書に記載されています。
いずれも読み方は「ゆり」ですが、語源の説は幾つかあってドレと正解特定はされていません。
その一説に風揺らぐ花の様子「揺り」があるんですけど、上記の歌そのまんまです。
また、球根が寄り重なり集まっている形「寄り」が転訛したとも言われています。

百合の花物語には伊須気余理比売命の伝説があります。
読みは「いすきよりひめのみこと」この「余理」が転訛して「ゆり」になったという語源説ですが「寄り」にも通じます。
彼女が百合の花を摘んでいる姿に神武天皇が恋して妻とした物語が『古事記』に記載され、これが日本最古の百合に関する記述です。
この花物語は奈良の三輪山麓が舞台とされており、当時の植物分布などから彼女が摘んだ百合は笹百合だと考えられます。

笹百合は中部地方より西から四国や九州に分布する日本固有種で、芳香があり葉や茎が笹に似ているので「笹百合」の名が付きました。
花色はごく淡い薄紅色でアルビノの純白もあります、この変成種として新潟や東北に自生する姫早百合があり淡紅色で芳香性の花です。
姫早百合は別名に乙女百合・春百合・小町百合・会津百合など異称も多く、淡桃色と香が親しまれ園芸種として乱獲されました。
またダム建設などで植生地が絶滅させられた為に絶滅危惧IB類ENに指定され、そのあと保護活動で少し持ち直しています。
現在は2008年の新レッドリストでは準絶滅危惧NTにランクされていますが、希少種であることは今も変わりません。
それは笹百合も同じで園芸目的の乱獲が続けられるために分布を狭めていく現状があります。

で、写真の花は鉄砲百合だと思うんですけど、台湾固有種の帰化植物である高砂百合との交雑がちょっと入っている感じです。
鉄砲百合は南西諸島や九州南部が原産で本州以東は園芸用として移入され野生化して根付きました、写真も野生化した花です。
高砂百合は白ベースに淡紫色の筋が特徴で、根元がつながっている細めの花被片は6枚で外側は橙褐色になります。

歌は冒頭「燈火の光」とあることから百合の花色が明るい色だと解かります。
ここでは薄暮ゆれる燈火のようなイメージ+当時スタンダードだった笹百合の花色で訳してみました。
薄紅あわい花色は優しい柔肌と頬なめらかな貌をを想わせて、伝説の花物語にもなぞらえる恋愛の相聞歌です。




昨夜UP「七彩の光 aurora」校正をあと少しします。
第67話「陽照4」も加筆は終わりました、校正ちょっとする予定です。
今夜は第67話の続きと短篇1つ掲載しようかなと思っています。
寝落ちした昨夜は短編2本の予定が1本でしたが、笑

取り急ぎ、




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夏日の恋文―Summer×William Shakespeare×井原西鶴

2013-08-09 14:38:39 | 文学閑話散文系
葉月、光陰の瞬き



夏日の恋文―Summer×William Shakespeare×井原西鶴

Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,

荒い夏風は愛しい初夏の芽を揺り落すから、 
夏の限られた時は短すぎる一日だけ 
天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、
清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす 
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、

William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」の抜粋です。
いま連載している第67話「陽向」に何度も引用されていますが、シェイクスピアの代表作な詩です。
夏は短く移ろいやすい美、そう定義しながら「thy」貴方と呼びかける相手の永遠性と美を謳いあげています。
英文学における「summer」は最も輝かしい季節と描かれ、特に「May」晩春から初夏を最上の季節と称えます。
これはイギリスの風土も影響が大きいんですよね、イギリスの夏イメージは爽やかな風と緑豊かな季節なんで。
これが日本だと夏=湿度高くて暑いってなり、炎暑とか孟夏とか暑苦しい単語がいっぱいあります、笑

シェイクスピアは日本人にもお馴染な詩人かつ劇作家ですが、演劇文学を一流文学と位置付ける欧米では尚更重鎮。
Hamlet、Romeo&Juliet、名前だけでも知っている作品が多いんじゃないかなって思います。
ソレに日本で該当するのは誰かって言えば近松門左衛門が筆頭に挙げれます。
『曽根崎心中』『国性爺合戦』『冥途の飛脚』など人形浄瑠璃や歌舞伎の名脚本を遺した人です。
次には井原西鶴、『好色一代男』『好色五人女』など現代でも歌舞伎座で上演されています。

井原西鶴の隠れた名作に『男色大鑑』があります、笑
普通の図書館じゃ置いてないかもですが、しっかりした国文科のある大学図書館なら所蔵しています。
自分も学生時代に付属図書館で読んでみたんですけどね、フラットな視点で男同士の純愛小説が書かれています。
男はバイセクシャルで当たり前ってのが当時の日本では一般的感覚だったワケです。

この『男色大鑑』は武士の男同士メインなんで結構感情の発露が激しかったりします、笑
男として武士としてのプライドを懸けた交情は剣の立会っぽい、で、決まりゴトも沢山あったらしいです。
最近よくあるBLとかのファンタジー妄想とは論点×観点が全く違うんですよね、ある意味で哲学的なカンジ。
武士道のバイブル的存在に『葉隠』って本がありますが、アレに描かれている世界観と近いかなって思います。

今回掲載の「Shakespeare's Sonnet」も同性である男性への感情を謳った恋愛詩なんですよね、笑
作中でも宮田家のガヴァネスである日英ハーフの老婦人が英国における同性愛について触れていますが、
イギリスでは同性愛=刑罰対象だった時代もありました、が、男の同性愛の伝統は世界各国にあります。
そういう感覚があるからシェイクスピアのSonnetもフラットに受容れられ、名作と言われているのかなと。

ちょっとシェイクスピアの恋愛について捕捉すると、
短篇「soliloquy木染月」で馨が語っていますが、単なる恋愛感情だけでは無い想いが「thy」にあります。
卓越した文筆家だったシェイクスピアの恋愛観は外見的美貌よりも内面、詩中でも精神と才能を讃美しています。
外貌×肉体関係の恋愛だけでは無い、才能と精神に対する尊敬と愛情を謳う詩文は西鶴の『男色大鑑』に通じるなと。
ま、西鶴は作家の客観性で『男色大鑑』を書いてるんで、リアル同性愛してたシェイクスピアとヤヤ違うんですけどね、笑
作家かつ記者としての客観視点orリアル経験者本人によるノンフィクション、それが西鶴とシェイクスピアの差です。



昨夜UP「七彩の光」加筆校正しました、サブタイトルの変更&増筆しています。
夜までに第67話の英二サイドをUPする予定です、

立秋過ぎたとはいえ暑いですね、笑

取り急ぎ、



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Circuit of the mind ―English×日本語

2013-07-30 12:26:03 | 文学閑話散文系
Words,The force of this expression.


Circuit of the mind ―English×日本語

いわゆる隠れ家ちっくな場所に、雑誌とか自由に読めるカフェがあるんですけど。
そこでスープ飲みながらGARDENなんたらいうミニブックを読んでいたら、

茶道の茶会=tea ceremony 

って英訳にちょっと感動しました。
たぶん直訳英語なら茶=tea、会=partyで「tea party」ですけど、
ceremony=儀式・作法 っていう精神性の高い意味を含んだ言葉を遣ってるんですよね。
茶道の茶会が単なる茶飲み会じゃなくて「道」=精神性が高いってトコ理解して英訳されている。
この訳し方は言語×文化と双方の造詣が無いと出来ないなあと。
で、自分もコレ遣わせてもらおうって思いました、笑

この本は「GARDEN」と題名にある通り世界の名園をガイドしている本です。
日本の名園も幾つか取り上げられる中で、金閣寺か銀閣寺の解説に「tea ceremony」が出ていました。
この二寺は教科書やポスター等でも多く取り上げられる有名ドコですが、政治的背景も濃厚な寺です。
そこら辺の解説もキッチリ載せてる辺り、ガイドというよりも「庭物語」ってカンジの本だなと。



他に西芳寺の説明が印象的です。

苔のgreenが布みたいでmysteriousな空気感が神秘的で素敵、
ってカンジの庭自体を称える文章が4/5を占めて、寺史とかはホボ触れてないんですけどね。
けれど苔庭の空気感を表す文章は文語文としての英語が綺麗だなと思わせられました。

で、自分的には詩仙堂と醍醐寺三宝院の庭も載っけてほしいとこです、笑



The cataracts blow their trumpets from the steep;
No more shall grief of mine the season wrong;
I here the Echoes through the mountains throng,
The Winds come to me from the fields of sleep,
And all the earth is gay;

峻厳な崖ふる滝は、歓びの旋律と響き
この歓びの季節はもう、僕の深い哀しみに痛むことはない
連なる山々が木霊を廻らす歌が僕に聴こえる、
微睡む野から風は僕のもとへ駈けて来る、
そして世界の全ては高らかに明るく笑う

William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」IIIの抜粋です。
この一節は言葉の遣い方も言い回しが人間の五感を惹きだすようなカンジで綺麗だなって思います。
滝の水音に山の谺、風のやわらかさ、太陽の明るさ、聴覚から触覚に視覚へと展開する。
こういうのって、英語から日本語に訳すのに感覚的な言葉を充てたくなります。

この詩の想いは昨日から書き始めた「初陽の花、睦月」も同じ空気です。
昨日UPしたact.1だと前半部「The cataracts blow their trumpets from the steep」って感じですけど、
これから「I here the Echoes through the mountains throng」以降の光景が描かれていくかと思います。
ソンナこともあって載せてみました、自訳がちゃんとしてるかお恥ずかしいんですけどね、笑



昨日UPした「初陽の花、睦月act.1」と日付け変わる頃の短篇「secret talk13 夏霧月」は加筆校正終っています。
今夜は昨日予定だった第67話と「初陽の花」の続き、または「七彩の花」を掲載予定です。

休憩合間ですが取り急ぎ、


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光輝、花に葉に―Shakespeare×Wordsworth+Donald L Keene 鬼怒鳴門

2013-07-20 00:27:20 | 文学閑話散文系
光、草に花に言葉に、そして文学 



光輝、花に葉に―Shakespeare×Wordsworth+鬼怒鳴門

Three winters cold
Have from the forests shook three summers’ pride,
Three beauteous springs to yellow autumn turned
In process of the seasons have I seen,
Three April perfumes in three hot Junes burned,
Since first I saw you fresh, which yet are green.

三つの冷厳なる冬たちが
三つの夏の驕麗を揺らがせ森から奪い、
三つの美麗な春を黄金の秋へ廻らせゆく
そんな季の移ろいを私に見せた、
三つの恋愛月の香気は三つの熱き婚姻月に燃え、
無垢な君を見つめた初めての時から、初々しい翠のままに。

William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 104」の抜粋&自訳です。
Aprilは愛と美の女神アフロディテ、Junesは結婚と幸福の女神ユーノーを意味する月名になります。
で、この「Shakespeare's Sonnet」はシェイクスピアが一人の男性に恋し称える詩なんですよね、笑

「あなたの国のシェイクスピアは何と言う名前ですか?」

これは欧米では無難な話題の一つだと、ドナルド・キーン博士が教えてくれました。
それくらい彼は英文学が誇る文豪として知られていますが、このソネットを読むとちょっと印象変わるかなと。
敢えてココには掲載しませんがカナリ直球ストレートな表現もあって、以前掲載のブレイクレベルR18な部分も。
ちょっと危ないくらいドップリな恋愛詩なんですよね、モチロン美しい表現も沢山あるんですけど。
で、コレがシェイクスピアの素顔&真骨頂かなって思います、文学自体がコンナもん、笑



Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass,
of glory in the flower, we will grieve not.
Rather find strength in what remains behind.

何ひとつ戻せない、草に光宿らす時も、
誇らかな花の輝きもそう、けれど哀惜に沈まなくていい
むしろ後に名残らすものにこそ強い力は見いだせるから

William Wordsworth「Splendor in the Grass」草の光輝っていう詩です。
第67話「陽向1」にも引用しましたが、ワーズワスの代表作の一つになります。
コレもそうなんですけど、自然の中に摂理を詠みこむのがワーズワスの個性です。
で、こうした自然に心情や摂理を謳うのはワーズワスに限らず英国詩には多く見られます。
ソノヘン日本の詩歌とも共通していて面白いんですよね、笑



なんて言われると、日本の短歌など古典はツマンナイって印象の方多いと思うんですけど。
ぶっちゃけ学校の国語がツマンナイからそう思うだけで、ホントは日本古典って世界に誇れるほど面白い。
なんでツマンナイかっていうと授業は文法重視で「文学」作品の内容を軽視するから当然ツマンナイってわけです、笑
でもって日本から一番遠い島国でも『源氏物語』はベストセラー、それは現地の現代語訳だから内容重視で読めるからです。
たぶん『万葉集』を始め多くの日本文学は世界に誇れるほどオモシロイ、そこんとこ日本人がいちばん知らないだろうと思います。

なんてコトいつも考えていたら先日、ドナルド・キーン博士の講演会に行ったら同じこと仰ってました。
あの先生は本物の天才の一人だなって思います、ナンでそう思うかって言うと話の内容が鋭敏&解かりやすいから。
よく偉い先生の話は難しくて解らないって言う方もいますけど、実は逆でホントに偉い一流の学者は話が易しいんです。
モチロン話している内容は深遠広大、だけど言葉の選択と話順や雰囲気が親しみやすい工夫を何げなくされています。
難しいことを難しく話すのって簡単だけど、難解を解かりやすくするのは才能が必要って事です、笑

で、タイトルの「鬼怒鳴門」はドナルド・キーン先生の雅号だそうです。
ふざけて遣うと仰っていましたがコノ名前には奇縁?なエピソードもあったりします。
そんなキーン博士は狂言や能も修めている方で、ホント日本人より日本を知ってるなってトコ多い方です、笑
もし日本文学の論文に触れるならキーン先生の『百代の過客』はおススメ、日本の日記文学を比較文学の視点からも記されています。
先日の公開講座では、既に日本へ帰化された先生は「Donald L Keeneことキーン ドナルド」とパンフレットにも書かれていました。



さっき「光紗の香The middle stage」加筆校正ほぼ終わりました。
このあと続きをUP予定です、で日付変わったけど次は第67話「陽向2」か短編UPします。

取り急ぎ、





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たまには読者になって

2013-05-15 12:45:00 | 文学閑話散文系
お盆過ぎの青空ひろがる日曜です、こちらは。
ちょっと近場の山へ車走らせてきましたが、濃い緑に入道雲の白が映えて美しかったです。

お知らせ掲示板にさらっとふれていますが・影響を受けた本のこと。
いま読んで下さっている方、お薦めの本はありますか?
自分はマアこんな感じで

司馬遼太郎は『街道をゆく』シリーズの文章が大好きです、あの元編集長なバッサリ切れ味が堪らんです。
特に美しいなあと思ったのは、『奈良散歩』の興福寺阿修羅像について。
阿修羅像のモデルを想像して言及しているのですが、表情と姿から読みとる像の内面表現がすごいなーと。
そして『比叡への道』の「鬱金色の世界」法華大会のルポルタージュになっています、この現場描写は日本語の美をガッツリ魅せて頂きました。
光と影、木履の響く音、密やかな問答の声、蝋燭の煙と香。それから二千年の霊場を漂う不可思議な空気感。
伝統的寺院の持つ特有の「時間が止まった空間」を見事に書き切っていて、惚れます。
ああいう客観的な観察力は新聞記者ならではの、現場を踏む人の力というのか・現物を視て書く凄みを感じます。

自分も実際に比叡山は登りました。
夏の朝からでしたがが、司馬さんも書かれた通りに濃霧が凄まじかったです。
視界は30cmもなく足元すら見えない、音も無く人けも無く、なにか得体のしれない空気が流れて。
衣服に霧が浸みこみ冷えていく、堂にあがれば靴下を透し水気は昇ってくる。
真綿で目隠しされたよう白い霧に包まれて、天も地も無い異世界でした。

で、注意ですが。女性だけでは絶対に行かない方が良いです。
根本中道のエリアはまだしも、最奥の横川はマサに異世界・2000年前の時間が籠められたような場所です。
人間に会うこと自体が少なく山道です、あんなとこでナンカ巻き込まれても誰も援けは来ません。



川端康成は内容はそーでもないですが、情景描写の美を学ばせて頂きました。
『伊豆の踊子』と『雪国』の冒頭は秀逸、中学生の時かな?初めて読んで表現が神だと思いました。中身の恋愛話はマアあれですが。
雪国の夜を表現して「夜の底が白くなった」とある、あれは実際に雪深い街に住むと感覚に迫る描写なんですよね。

井上靖『楼蘭』、『敦煌』も影響受けていると思います。ストイックな文章の底流にある熱っぽさがイイ。
それが顕著だったのが『楼蘭』の一体の女性ミイラ発掘についての行でした。
ただの発掘品としてではなく、ひとりの女性として捉える視点が美しいです。

古典で言えば『今昔物語集』と『万葉集』ですが、どちらも世界観と描写が好きです。
万葉は、自然現象と心理現象の呼応表現に凄みを感じます、古代人の大らかな心理には強靭な美を見てしまう。
今昔は、現代の感覚に近いものが数多く出会える世界です、そして見失いがちな「未知への想い」が楽しい。
特に今昔は「巻第二十七 本朝付霊鬼」の描写がどきどきします、闇への感覚を覚ましてくれる感じで。

こちらは論文ですが、小川和佑先生『桜と日本人』は豊富な種類の桜たちを書分ける描写力が凄いです。
文章の軽快さなら小松和彦先生の『異人論』ほかは読みやすく、怪談なんか好きな人には入門書としておススメです。
掲示板にも触れた高橋崇先生の東北史研究書、こちらはフィールドワークで出会った現物への濃やかな描写が秀逸です。
特に藤原四代のミイラ発掘についてが凄みがあります、優れたミステリーを読んでいくような面白さがあって。



恋愛小説で唯一どかんと来たのは高橋治『風の盆恋歌』です。純愛と現実の哀しさがもぉね、人間って美しく哀しいなあと。
この高橋さんとの出会いは友達から貰った『短夜』でした。

「たまには恋愛小説も読めよ、骨董界が舞台だし読みやすいんじゃね?」

など言われて渡されたので、その帰り道の電車で読んだワケです。
そしたら意外と読みやすかった、男性が描いているからかな?友達が言うよう骨董界=コアな世界だからかな?
いつも読んで下さる方は気付かれていると思いますが、和物って自分は好きなんですよ。
だから骨董も嫌いじゃない、眺めに行くこともありますし、茶の湯は骨董扱うしね。
その辺の好みを良く知っている友達に感謝です、笑

で、他のも読んでみようかなーと手を出したら、和物を美しく描く作家さんで。
それで何作か読みました、北陸平泉寺を舞台にした刀の研磨師の話とか面白かったです。
なかでも心を引っ叩かれたのが『風の盆恋歌』でした、恋愛小説に対する考え方を変えてくれた一冊です。
あー、恋愛小説って恋人同士だけの物語じゃないってとこ書くと面白いんだなー感動するんだなーと。



いちばん最近で面白かったのは、青梅警察署警察医の手記です。
掲示板の資料出典に書いてある本です、明快な文章と吉野先生独自の所見が読みごたえありました。
この小説を書くための資料として探して読んだものですが、出会えてよかった名著だと思っています。
これと同時に面白かったのは、青梅署山岳救助隊副隊長の手記『山岳救助隊日誌』これも資料にさせて頂いています。
とても読みやすく、かつ美しい文章で綴られていて副隊長の人柄を感じさせる名文が多いです。
この副隊長さんを小説の後藤副隊長のモデルにさせて頂いています、なので後藤副隊長エピソードは実話ベースが豊富です。

だらっと書いてみましたが、気になる本とかありましたか?
なにかおススメ本ありましたら教えてください、ジャンル問わずで。

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言葉、文字、文章の存在とリアル

2013-03-23 23:33:00 | 文学閑話散文系
リアルと虚構→文責 



言葉、文字、文章の存在とリアル

何げなく書いた文章で破滅した書き手、読み手、いったいどれだけいるのでしょうか?

万朶の桜あふれる今日、山に川に、町でも花見客を見かけました。
花に酒や食事を楽しむ、そういう日本って良いなあと思います。
そんな人の中で印象的だったのは携帯電話で桜を撮っていた青年です。
住宅街を奔る線路脇、連なる桜並木を通りがかりに見上げて立ち止まった。
そんな日常の一コマに花を撮る姿と心は、この国らしい優美が穏やかです。

そういう人や花がある国の言葉を綴り、物語を文章に変えて表し書いている。
そんな自分の今あることに、いつもパソコンの前から「文章の責任」を思います。

この文章を透して自分は、明るいプラスになる何かを読む方に手渡せているのか?
読んで温かい気持になれたら良いなあ、など考えながら写真やイラストを貼って物語を綴っています。
文章を読む時間は一瞬です、それでも言葉から受けとめた心は一生になることもあります。
そういう責任とかを想うほど、いつも一言一句どれもが大切です。

そんなふう自分は想うんですけども。
違う人もいるんだなあと、WEBで文章を書く中で知りました。

文章への敬意、リスペクトが無い。それがWEB小説の現実に対する率直な感想です。



剽窃、って言葉をご存知ですか?

文章や設定などを無断借用することを剽窃と言います。
これを本人に借用許可を得たり、引用文として紹介すればOKなのですが、それをしない。
自分のオリジナルのよう見せかけて言葉などを無断使用する、いわゆる著作権侵害にも抵触する行為です。
この剽窃について、大学時代に教授たちは「最も恥ずべき行為」と固く戒めてくれました。

大学とは「文章を書く」ことを学ぶ場でもあるかと思います。
自分も学生時代には何本のレジュメや論文を書いたか?記憶にないほど書きました。
そこで「剽窃」が嫌忌されるのは、誰もが文章を書く喜びと苦しみを実体験で解かるからです。
だから思ってしまいます、きっと剽窃を出来る人間は「文章を書く」意味も存在も何も解っていない。

WEBは匿名性が高いよう勘違いする為でしょうか?
安易な剽窃や盗作がWEB小説は多いと感じますが、それは「文章」と呼べないと思います。
たとえ書店に並んでいなくても、作品である以上はWEB小説も著作権が当然あることが理解できない。
それは「文章」そのものへの敬意=リスペクトが無いから、他者の創作した文章を「盗む」ことをNGだと気付けない。
そういう無神経な剽窃は、本気で文章を書いている人間には出来るはずがありません。

本気で文章を書く人ならば、その言葉を、表現を、一文を綴るまでには努力があります。
その努力はペンを持って(パソコンを打って?)文章を書くことは勿論、現実の経験を積むことも書く上の努力です。
人が小説を書く時、実際に見た・聞いた・触れた実体験を元にして物語の虚構を設定し、文章化します。
人が感じた感情考えた思考を実体験のフィルターに濾過して生み出された文章、それが小説の側面です。
そして読者の方も自身の実体験をベースに文章、小説を読んでいます。

実体験を透って生まれた文章を、実体験の記憶になぞって読む。
それが出来たとき文章は現実感をもって読み手に響き、そこにリアリティは生まれます。

人間が生きていれば様々な経験をする、その経験を文章化すればリアリティは心響くはずです。
どの人間も誰もが一本は名作を書けると思います、それが成功して一作だけだと俗にいう「一発屋」になります。
この一発屋ではなく幾作も名文を生みだしていける人間が、いわゆる文豪と呼ばれ天才とも言われる作家です。
そうした作家たちは多くの実体験と確かな知識を豊かにする努力をしています、その例外はゼロ・皆無です。
文章が面白くある為には面白い実体験は不可欠、それ無くしてリアリティの力ある名文は生まれません。
この「書き手の実体験」が剽窃作品にはありません、そこに本当のリアリティは生まれ得ない。

小説を描きだす場所は、机ではなく実体験と研究調査の現場です。



言葉、文字、文章、そして論文に小説に物語。

どれも形無く触れられない存在です、そして「無形」だからこそ不滅です。
ペンの力は剣より強い、あの格言が謂いたいことはソンナ無形の普遍性に立っています。
感情や感覚、記憶、想い、そうした形も無いモノの瞬間を結晶させる、そんな力が文章です。
だからこそ「言葉は消せない」とも言われます、無形だからこそ心に直接痕跡を残すのが言葉です。

そういう意味をWEBの書き手は、どれだけの方が理解しているのでしょうか?

WEB公開は誰にでも読めてしまいます。
たとえばR18指定にしても18歳未満の方が読んでしまうことが現実に多いです。
そしてWEB小説には選別がありません、印刷の出版物は校閲で公開の可否が選別されますがWEBには無い。
だからこそ書いて公開する人間の「責任」は重い、その現実に匿名性への甘えが許されるのか?

ぶっちゃけね、匿名性に甘ったれた文章を書くなら。
チラシの裏にでも書いていれば良いと思います、エログロとかは特にね。
そういうチラシ作家はBL小説の書き手に多いなあと、それは実際に読んだ感想です。

女性にとってBLが面白いのは、BL=男性だけの世界=女性は責任を持たなくていい世界だからです。
無責任だからストーリーも犯罪性や残虐性の高いモノも多くて、登場人物を玩弄している陰惨が昏いです。
だから現実に同性愛の方は大半がBL小説の愛好家、腐女子を嫌います。取材と称して入りこまれることも侵害と感じるようです。
そうした境界線を引かせているのは、BL特有のファンタジー=虚構性が作りだす偏見と根底の差別にあります。
この為に傷つく人が現実にいて、その加害者に安直な文章がなっている側面を知ってほしいトコです。

こういう少数派マイノリティへの「マイナス要因」に成り得る表現は「偏見」の温床となる現実があります。
もし「BLはファンタジーだから何やってもOK」って発言するなら、それこそ現実逃避の責任逃れです。
どうせ「知らなかったし、自分はそこまで影響力無いからイイじゃん」とか言うんでしょうけど。
無知を盾に責任逃れをする事は人間としても書き手としても馬鹿だと自覚しろ、と。

ホントの責任ある社会人だったら「公共性」ってモンを責任のなか常に考えます。
そうした公共性が欠落しているから「何やってもOK」ってプライド無く言えてしまう。

確かに小説とは、文章表現はある意味で個人的嗜好です。
けれどWEB公開するなら「責任ある」作品だけに自制することは、人間として当然の責務です。
文章は人間の心を明にも暗にも動かすことが出来る、それを理解できない書き手はチラシ作家です。
文章を読んだ人が感じることに「責任」がとれない文章は、書く事へのプライドに懸けて公開すべきではありません。

きっとチラシ作家さんは、こういうこと考えていないんだろうなって思います。
そんな難しいコト考えなくて良いじゃんとか言うのでしょうが、考えること放棄するなら書く資格すら無い。
だってね「書く」は考える「思考」の結果にある、で「読む」も考えるコトです。思考出来ない人間はロクでもない文章しか書けません。
そして、考えることなく書いた文章が無残な影響を招いた時「自分は無罪」って言えるのか?ってことです。

WEBで何げなく書いた一文が事件になる実例は、よくツイッターやスレッド版で問題になりますよね?
小説でもそういう事例は数多いです、たとえば青木ヶ原樹海が自殺の名所になったのは一冊の小説が原因です。
その小説が発行されて数十年が経っています、それでも今、樹海では自殺遺体の発見は哀しい現実です。
おかげで上九一色村の方達は定期的に山狩りを行って、自殺遺体の収容に務めていらっしゃいます。

その小説を書いた作者の意図は「生命力豊かな森に『再生』を懸ける」だったそうです。
けれど小説が招いた現実は「自殺への憧憬」でした、この作者は文豪と呼ばれるほど著名です。
そんな人間が別の意図で書いた文章ですら何十年もの惨劇を生むことがある、この事実をどう考えますか?
きちんと校閲を受けた小説ですらこの結果がある、それならチェックも通らないWEB公開作品はどうなのか?
意図はなく、何げなく書いた文章で破滅した書き手、読み手、いったいどれだけいるのでしょうか?

いまブログにて文章の練習がてら小説を連載していますが、練習でも1つの言葉を大切にします。
ときおり感想やメッセージをコメントやメールで頂くとき、コンナ文章の責任を思うことも大きいです。
いま独りパソコンに向かい文章を綴る、それが会ったことの無い未知の誰かに何か影響を与えて、未知のまま繋がる。
そんな現実は匿名のようで違っている、実態が無いようでWEBに綴られた物語を透して対話しているんですよね。

何げなく書いた文章で破滅した書き手、読み手、いったいどれだけいるのか?
そしてまた赦されて救われて、泣いて笑って生かされる、そんな文章はどれだけ生まれる?

そんなこと思いながら、また今日も続きを書きます。

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引文解説:提問朗々 『What Is History?』

2013-03-04 01:16:00 | 文学閑話散文系
文章、瞬間の凍結と永劫   



こんばんわ、日曜から月曜に変る今です。笑
いま第61話「塔朗5」の加筆がほぼ終わりました、これが「塔朗」最終話です。
今回は英文からの引用を2つさせて頂きました、どちらも有名なのでご存知の方も多かったかと。

My first answer therefore to the question 'What is history?'
is that it is a continuous process of interaction between the historian and his facts,
an unending dialogue between the present and the past.

問いかけ「歴史とは何か?」へ、まず最初の答えとして、
歴史とは歴史家と事実が対峙し続けるプロセスであり、
現在と過去が交わす果てなき対話である。

Edward Hallett Carr『What Is History?』の原文と対訳です。
対訳は自作なので間違いがあるかもしれません、ミス訳あればご指摘くださいね?
岩波新書で邦題『歴史とは何か?』として邦訳版もあります、ちょっと昔の翻訳なために古語調が特徴的です。
この『What Is History?』は、1961年1月から3月にケンブリッジ大学で行われたE.H.カーの連続講演を収めたものです。
歴史の定義と存在について根本問題を述べた内容で、歴史を研究する導入門として現在も読まれています。

ようするに史学の専門書なのですが、英文学者を目指していた馨の愛読書にリストアップしました。
今まで登場の外国文学は詩文や純文学小説に冒険譚等ですが『What Is History?』は専門書の翻訳が難しいことから今回登場させています。
学者を目指した馨は英文学を深めるため翻訳をしました、母国語=思考言語に変換する作業は思考の学習でもあるからです。
翻訳する対象の言語、ここではイギリス英語を話させる思考回路を学びたい。この目的達成には専門書の翻訳は適任です。
専門的な単語と言い回しを学び、文章の中身である専門知識も思想も学ぶことができる。
そんな一石何鳥の方法論で馨は英文学への造詣を深めていました。



My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die!
The Child is father of the Man : 
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.

私の心は弾む 空わたす虹を見るとき
私の幼い頃も そうだった
大人の今も そうである 
年経て老いた時もそうでありたい さもなくば私は終焉に向かう
子供は大人の父である
願えるのなら私の生きる日々は 自然への畏敬に充たす涯に結びたい

William Wordsworth「My Heart Leaps up When I Behold」日本では「虹」の名で親しまれています。
ワーズワスの詩は本作中でよく引用していますが、英国を代表する詩人の一人です。
自然描写に心情を映しこんだ詩風が特徴で、数篇は岩波文庫の邦訳版があります。
ただ岩波邦訳版に「虹」は無く、部分的な引用が題詞にされた詩が載っています。

The Child is father of the Man : 
And I could wish my days to be 
Bound each to each by natural piety.

この部分が「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」の題詞です。
邦題は「幼少期の回想からうける霊魂不滅の啓示」と幾らか堅物な感じになっています。
この詩の一節も、何度も本編中に遣わせてもらっています。

The innocent brightness of a new-born Day  Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,
To me the meanest flower that blows can give Thoughts that do often lie too deep for tears.

生まれた新たな陽の純粋な輝きは、いまも瑞々しい
沈みゆく陽をかこむ雲達に、謹厳な色彩を読みとる瞳は、人の死すべき運命を見つめた瞳
時の歩みを経、もうひとつの掌に勝ちとれた
生きるにおける、人の想いへの感謝 やさしき温もり、歓び、そして恐怖への感謝
慎ましやかに綻ぶ花すらも、私には涙より深く心響かせる

よく英二が山の現場で思い出している詩、あの一節です。
本作中での英二は日英ハーフの家庭教師がいます、また専属モデルを務めた写真家も英国人です。
そういう人物設定の背景から、よく英文学にからめた回想や思考をさせています。

その点では周太のターンになると、いっそう外国文学が登場します。
祖父が仏文学者で父も英文学を志望していた為、幼い頃から英仏の文学と言葉にふれて育った設定です。
こうした生立ちが父たちの死をめぐる真相を辿る鍵となり、また「夢」人生の支柱ともなっていきます。
筆跡、文字、言語、文法、文学、学問。これらが周太の「50年の束縛」を解く重要な過程です。
ある意味で行動派の英二と対照的な手法、けれど本当の意味で解放するツールになり得るか?
その辺をどう描くのかは、書いてる自分の思案ドコロです。笑



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文学閑話:マイノリティを書くのなら

2012-10-18 05:00:00 | 文学閑話散文系
ひと、文章の意味



文学閑話:マイノリティを書くのなら

富士山麓、青木ヶ原樹海。

緑の生態系豊かな、原始の色彩が濃く鮮やかに息づく古代の森です。
けれど数十年前から、自殺の名所としての知名度が高く広まっています。
この現状は「小説が原因」だってご存知ですか?

その小説が発行されて数十年が経っている、それでも現実に今も樹海で自殺遺体は発見される。
おかげで上九一色村の方達は定期的に山狩りを行って、自殺遺体の収容に務めていらっしゃいます。
この小説を書いた作者の意図は「生命力豊かな森に『再生』を懸ける」だったそうです。
けれど、その文章が招いた現実は「自殺への憧憬」でした。

何げなく書いた文章で破滅した書き手、読み手、いったいどれだけいるのでしょうか?

って言うコトを踏まえて、以下読んで下さると解かり易いかなって思います。

理屈ヤな自分が苦手な、心理描写&感情表現を克服してみよっかな。
どうせ苦手にチャレンジするんなら、苦手要素を全部詰め込んで書いてみようか?
そんな苦手塗れでも納得できる文章が書けるかなあ?って感じで始めたのが、今連載中の小説ですが。
前にも苦手筆頭にあげた「恋愛小説」どうせ書くんなら、今まできちんと描かれていない恋愛関係がいいかな?

リアルな同性愛のことを書いてみようって今、描いています。

学生時代と社会人になってからと、バイセクシャルの友人と出会いました。
いわゆるセクシャルマイノリティである痛み、同性と恋愛することの喜び哀しみを話してくれます。
彼らから聴いて共通するのは「偏見」に対する感情でした。

どうしても今の日本社会だと「普通」では無いものへの排除感情が根強い?
そういう現実の側面と、彼らの幸せについてを考えさせて貰う経験を与えられたなら、リアルな同性愛を描いてみよう?
そんなこと決めて、今の小説も設定を作りました。

で、書くにあたって、いわゆるBL小説をWEBで拝見しました。
ひとくちに「BL」と言っても多岐で、純愛からエログロまで色色あるんですよね。
けれど、大半の作品に共通したのが「BL小説ってファンタジー」だなあという感想です。
この「fantasy」って言葉自体が「叶いっこない望み=非現実」という意味ですが、その通りに説得力を感じられないんです。

で、思ったのは4つのポイントがBL小説の特徴だなって事でした。

a.設定からありえない
b.同性愛に対する偏見と差別が書き手の根底にある
c.なぜ「同性」なのか背景が無くて、その因果関係が不分明
d.同性愛ならではの悩みや喜びが描かれていない

aとbに付いて言えば、リアルの同性愛者に対して「暴力」を文章から奮っているなって感じます。
cやdは内容的に男女の恋愛と変わらず同性愛である必然性が無い、言うてしまえば→同性愛を「ネタ」と見ているんだなあと。

BL小説を読んで、いちばん感じたことは「娯楽に潜む人間の惨酷性」って事です。
申し訳ないけれど「腐女子」の「腐」の意味がマジオゾマシイって意味なんだなあと納得しました。

もし該当の方が読まれていたら、ごめんなさい。
でもこういう現実に繋がる可能性を知ってほしいな、って思うので書きます。

拝見したBL作品に幾つか、いわゆる「性的虐待」のシーンがあったんですよね。
トイレ等の不潔な場でのセックスも該当しますが、かなり残酷で病的な描写もありました。
こうした作品の作者である方は「BLはファンタジーだから何やってもOK」って普通に宣言する方が多いです。
この発言は、BLがファンタジーじゃなくて「現実」である人を無視=否定する、結局は差別しているから言える。
その「何やってもOK」とは奴隷に対する残虐性と同じ論理です、この差別感が快感だから残酷なシーンも書けてしまう。
いわゆるSM趣味の原型は「差別に正当化する残虐性」これと同じ心理が、そうした発言の根底に透けてオゾマシイなあと。

たとえば上述のトイレでのセックスシーンですけどね?
本当に相手を大切に思っていたら異性同性関係なく、どんなにエロい気分でも汚い場所ではしませんって。
雑菌とか相手の体に入っちゃったらヤバいでしょ?それくらい考えますよ、本当に相手を考えるなら。
そういう現実を無視したBL作品の方は、いわゆる「妄想」に刺激を求めて書いて読むのでしょうが?
でもね、その公開した妄想=同性愛者の現実、って曲解を生んでいる責任をとれますか?

まあ男女の官能小説とかでもソウイウのありますよ、でも考えてほしいなあと。
男女の恋愛の方が絶対的多数派なのが現在です、だから即差別には繋がらない。
けれど同性愛、BLとも言われる男性同士の恋愛は少数派なのが現状ですよね?
同性愛はセクシャルマイノリティ=少数派ゆえに指名性が高く、本人たちはモロに「自分事」として受け留めやすい。
そして周囲も「少数派」=少ない人数なんだから全員が同類項、って考えやすいでしょう?
だから同性愛者がモンダイ起こすと、全員そうだって偏見が生まれるわけです。
これがマイノリティ、少数派に「溝と壁」が生まれる構図です。

でね、「腐女子」の「腐」はマジオゾマシイと思った、もう1つの根拠ですけどね。
先にも書いた「言葉の暴力」いわゆる汚い文章を生みだす精神的病巣ってヤツを考えてしまうからです。
いちおう自分は教員免許と法曹系の資格を持っているのですが、どちらでも心理学は勉強します。
で、児童心理学と犯罪心理学、その両面を考えながら今の作品も描いているんですけどね。
この二つの心理学から考えたとき、彼女たちの関わる将来の畸形が哀しくなります。

aやbに見られるセクシャルマイノリティへの態度は「玩弄」です。
この玩弄をする原因は、自身に対する絶対的信頼感の欠如、いわゆる自信が無いことです。
ちょっと極論的に言うと、自分は弱者・無能だからと研磨の努力を放棄しているから、成長は無い。
けれど、自分を高く保っておきたい欲求はあるら、誰か他を貶めて「自分より下位」とする事で自己満足を保つ。
ようはね、誰かを攻撃することで自分は助かろうっていう「イジメの原理」が玩弄って行動になります。
で、この貶める相手は反撃できないヤツが楽でしょ?だからマイノリティを狙って「玩弄」してしまう。

だからね、思ってしまいますよ?
彼女らが性的虐待とかを描いた結果、偏見を作り出すのは「ワザと」なんだろうなって。
そうしてマイノリティを差別化「偏見」に落としこむことで、自分の下位を作りだし優越感に自己満足する。
だからね、リアルの同性愛者の方が「BLが好き」って言う女性にカミングアウトすると、どうなるか知っていますか?
大概は珍獣扱いor気持ち悪がられて、イジメに繋がるケースが多いそうです。

そういう「玩弄」が酷いのは、所謂エログロ系の作品でした。
大抵に共通するのは男性器を虐待・破壊するシーンです、このことに精神病理のケースを考えてしまいます。
こういうの書く方で、男性との恋愛に愛されて幸福なセックスをした人は、どれ位いるんでしょう?
おそらく、ほぼ0%だと思います。

ちょっと気持ち悪い話になりますが、苦手な人はこの段落は飛ばしてくださいね。
猟奇的殺人の事例に多いのが、被害者遺体に見られる性器の破壊と、加害者の親子関係と異性関係の畸形です。
男性器の切断、女性器の穿孔や切断などを行ってしまう、こうした加害者は男女とも存在し、日本にも事例があります。
なぜ加害者は被害者遺体を破壊するのか?その根底にあるのは「性」への歪曲した心理と破綻です。

自分自身のセクシャルな能力を否定された経験、それが性的な残虐行動の根底にあります。
その心理的成長過程を刑務所の医官等が著した論文は国内外とも多く、そのケースとして多いのが「母子関係の破綻」です。
これは父親よりも母親の影響力は何倍も大きく、ここが歪だと異性との感情関係も畸形化するケースが非常に多く見られます。
女性=母体である、この本能的で社会的な女性特有の役割は「人間」を構築する基盤になると、こんな事例にも裏付けられます。

だからね、女性で残虐性の強いBLを嗜好されているのは、結構危険です。
たとえ仮想現実としてであっても、嗜好する以上は「性的歪曲」が深層心理に存在する可能性がある。
でね、女性はいずれ母になる可能性があるでしょう?その母体に残虐性嗜好がある場合、その子供がどうなるか?
腐女子の皆さんの全員が、猟奇的殺人者と同類とは思いません。笑
だけど大切なことは護ってほしいなと。

cやdの、同性愛で描く必然性自体が無いストーリー。
これを書くことも一種の「玩弄」になり得ます、だって男性同士の恋愛と全然違うこと書いてあるわけで。
だってね、男女の恋愛小説なのに、女性的心理や肉体的都合と全く違う事が書いてあったら、気持ち悪いでしょ?
男がやってイイこと、女がやってイイこと、やっぱり性差って体の造りも脳の構造も違う以上は、当然あるわけですから。
で、BLの大部分に共通するのが「受」またはネコなんて言いますけど、セックスで女性の役割をする男性が女性と同一に描かれる。
受でも男は男ですよ?ゲイだからと言って女性化するってことはありません、中性的なタイプでも女性ではありません。
そういうこと混同した作品は、もう単に同性愛を「ネタ」にして面白がっているだけだなって感じます。

女性にとってBLがネタとして面白いのは、BL=男性だけの世界=女性は責任を持たなくていい世界 だからです。
けれど、現実に同性愛の方は存在しています。そして大半のゲイは腐女子が嫌いです、上述の「玩弄」が解かるから。
取材と言ってBL作家の方が、歌舞伎町や2chの同性愛板に入りこまれるそうですが、それは彼らにとって「侵害」でもある。
そういう境界線を引かせているのは、BL特有のファンタジー=虚構性が作りだす偏見が、根底にある。
この為に傷つく人が現実にいて、その加害者に安直なBL作品がなる側面も知ってほしいトコです。

こういう少数派マイノリティへの「マイナス要因」に成り得る表現は「偏見」の温床となる現実があります。
もし「BLはファンタジーだから何やってもOK」って発言するなら、それこそ現実逃避の責任逃れです。

どうせ「知らなかったし、自分はそこまで影響力無いからイイじゃん」とか言うんでしょうけどね、笑
無知を盾に責任逃れをしがちだから、職場や社会での責任ポストを女性は任せられ難いんですよ?
ホントの責任ある社会人だったらね、「公共性」ってモンを責任の中いつも考えます。
そうした公共性が欠落しているから「何やってもOK」ってプライド無く言えてしまう。
そんな人間に責任と立場は与えられません、それは役割分担として平等的差別です。

だから言いたくなるのは、

BLが好きなのは個人的嗜好、それも有りだって思います。
けれど、WEB公開するなら「責任ある」作品だけにして欲しいです。
文章には力があります、人間の心を明にも暗にも動かすことが出来てしまう。
書いたものを読んだ人が感じること、それに「責任」がとれない文章は公開すべきじゃない。

WEB公開は、誰にでも読めてしまいます。
印刷された出版物なら校閲など有識者の目も通り選別されます。
同人誌でも「買う」ことで選別できる可能性がまだ残されている、でもWEBは選別が無い。
だからこそ書いて公開する人間の「責任」は重たい、匿名性だからって甘えているなら文章を書く資格はありません。
ぶっちゃけね、ちらしのうらにでもかいてかってにおなればかって思います、エログロとか特にね。

きっと彼女たちは、こういうこと考えていないんだろうなって思います。
そんな難しいコト考えなくて良いじゃんとか言うんだろうなって。
でもさあ?「書く」は考える「思考」なワケだよね。
で、「読む」も考えるコトです。

考えることなく書いた文章が無残な影響を招いた時「自分は無罪」って言えるのか?ってことです。

よくツイッターとか問題になりますよね、その手のコト。
スレッド板とかが切欠で事件に発展した事例も現実に存在する、小説でもそういう事例は数多い。
上述した青木ヶ原樹海の件以外にも所謂「間接的教唆」または「幇助」を犯した作品は実在します。
校閲も通った出版物でもこの結果がある、それならチェックも通らないWEB公開作品はどうなのか?
WEB公開の文章と事件の因果関係、この統計を厳密に調査したら怖いことになりそうですね。

何げなく書いた文章で破滅した書き手、読み手、いったいどれだけいるのでしょうか?


いま連載中の小説では、主人公たちは男性同士で共に生きる道を選ぼうとしています。
こうした男性同士で恋愛した場合「一緒にいる人生」を選択することは、はっきりいって難しいです。
社会的な面でも、精神的な面でも、それこそ生物学的側面から難しい。
だから自分の友人は、ひとりは女性と結婚する道を選びました。

彼の本気の恋愛対象は男性で、女性との恋愛は半分義務、完全にゲイよりのバイセクシャルです。
だから彼も本当は、最愛の男性との人生を選ぼうとしました。養子縁組による入籍も考えていた、でも出来なかった。
彼は長男で、家業の後継者だったからです。その義務と責任で女性との結婚を選びました。

ぶっちゃけ卑怯モンです、彼は。
だってね、今の奥さんに自分からゲイだって告白出来なかったんですから。
結局はね、彼の言動を疑った彼女が周囲に聴いて知っちゃった、っていうある意味最悪のパターン。
でも、それくらい彼にとっては「同性愛者であることが受容れられない」って思いが根強くて。
そこまで追い込まれていく経緯が彼にもあったこと、自分は弁護してあげたいとこです。

今の奥さんの前にも、彼は付合った女性がいました。
すごく幸せそうでしたよ?彼も彼女を信頼して、いつか結婚するのかなあって思っていました。
でもね、彼女から拒絶されてしまった。彼がカミングアウトをしたことが切欠だったそうです。
本当に信頼していた彼女で、彼女も彼を愛していた、でもバイセクシャルだと告げたことで壊れてしまった。
この別離は彼が仕事でキツイ時期だったんですけどね、不眠症に苦しんでいました。その後まあ少し閑散期になって。
そのころ元彼女と友人としての付合いが再開して、彼女からやり直してみないかと言われたそうです。
でもね、そう言われた彼は彼女から離れて、もう会う事も止めてしまいました。

その後に今の奥さんと出逢い、5年くらいかな?付きあって結婚しました。
この奥さんも自分の友人ですが、彼がゲイだと知ったときは大きなショックだったと話してくれました。
それは「同性愛」に対する思想の差異も含まれると思います、けれど、それ以上にショックだったのは別の事です。
彼にとって自分以外の「1番」が存在する、そのことが彼女にとってショックで哀しみで怒りでした。

でね「彼の言動を疑った彼女が周囲に聴いて知っちゃった」と書きましたけど。
この彼の言動って「他に好きな人がいる」って当時は恋人だった奥さんに言っちゃったことです。
それもクリスマスかなんか、そういうスペシャルな日に言っちゃったらしいんですよね。

こういうのって、女性にとったら大打撃でしょう?
でもね、彼がなぜこういう日に言いたかったのかも、自分は解かる気がします。
それで彼に聴いたら、自分が想った事と同じことを想って、彼女に話したのだそうです。

「大切な日だからこそ、大切な人にもう偽りたくなかった」

ま、馬鹿正直なトコですよね、男っぽいって言うか。笑
彼女の方からしたら「他の日にしてよっ!」大切な日くらい幸せにしていたいですもんね。
この2人、どっちの言うことも否定は出来ないです。どちらも本気だし、ただ食い違っているだけで。
そして、この日は2人にとって最悪だったことも否めません。

彼は本当は共に過ごしたい相手がいる、けれど想いの叶わない相手だと解かっている。
彼女は彼の1番でいたい、その隣に今いるのは自分だけれど、でも1番は他の人で彼の心はそこにある。
それでも彼女は彼の隣にいたくて、そういう彼女に縋って彼は「叶わぬ恋」の孤独から逃げようとする。
もし彼が正直になって最愛の人の許に行けば、彼の家族も従業員も不幸になり相手の人も巻き込んでしまう。
だから、周りにも1番犠牲が少ない選択として、彼は彼女との結婚を選び、彼女も解かった上で結婚をしました。

この彼の気持ち、って解りますか?彼の奥さんの想い、女性の皆さんはどう思いますか?

もし今、これ読んでいる方でBL小説とか漫画を書く方、いらしたら考えて下さい。
このバイセクシャルな彼が何に苦しんで恋人と別れたか、元彼女と別れたのか、奥さんと結婚したのか?
そして奥さんはどんな想いで彼を受けとめて、彼との人生を選んで結婚したのか、考えられますか?

こういう彼は偽善者だ、そう言われたらその通りです。
でも、そういう生き方しか出来ないのが彼です、その人格を否定する権利は誰にもありません。
彼の弱くて狡い部分も、叶わぬ恋を思い続ける強さも、すべてが現実に存在して今も生きています。
人間の清らかで汚くて、弱くて強いという本質は、マイノリティでも多数派でも変わりません。
如何なるカテゴリーに属していても「人間」である以上、誰もが弱さも強さも抱きしめて生きている。
だから、誰にも責める権利はない。

こういうのって、人間なら誰にでも形は違えどあります。
自分は異性との恋愛しか経験ありませんが、彼らの話から「人間」を理解し学ぶ事も多くて。
そういうこと考えながら、今の小説を書いています。

主人公の恋は、純愛です。
生真面目に一途すぎて、求めすぎて危なっかしい純情すぎる恋愛です。
これが男女の恋なら世間一般的に受容れられる門戸は広がるでしょうね、でも敢えて男同士の恋愛で描いています。
現実の世界では「難しい」恋愛、それでも選んでいこうとする人間の弱さと強さを書いてみたいなって思います。

なぜ男同士は「難しい」のか?
それでも恋愛関係が成立するのは何故か、その要因は何か?
そういうことを、精神面・肉体面といった内的要因から、社会や家族との外的要因まできちんと描けたらなあと。

R18も描きますが、男性同士ならではの感情と心理的&肉体的問題と向き合うには必須要素だからです。
男女恋愛との差で最も顕著なのは身体面と「同性である」ことのライバル心です、これを描くにはR18シーンは顕著です。
ソレを書いたのがsoliloquyとsecret talk9「愛逢月」同性である故の対等性、お互いの「男性」への尊重を描きたかったんです。
この小説は純文学として書いています、それで同性愛を描くなら必ず描いておくべき心理描写だろうって「愛逢月」を書きました。
ちなみに愛逢月は七月の異称です。七夕の逢瀬をイメージした「短夜の恋愛」の愛惜が合うなって付けました。
そして、この場でお詫びを→R18が苦手な方いつも申し訳ありません、

また乱筆乱文ですが、読んで下さった方ありがとうございます。
ご意見ご感想等、もしありましたら是非お聴かせてください。文章or写真、いずれでも大歓迎です。

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時限付日記@純文学って

2012-10-13 22:05:26 | 文学閑話散文系
切なさの表現は



秋10月、これが残暑の終りと思わせる日でした。
今日はコンナ↑写真を撮りに行ってきました、資料集めの写真旅です。
といってもね、今、連載中の小説の資料じゃありませんので悪しからず。笑

小説、佳境へ近づいていくターンになっています。
書いていて楽しい、反面すごーく疲れるのも現実です。
コンナヤヤコシイ話、なんだって書いてるんだよ自分って思う時があります。
モウね、セルフ・ぼけツッコミ。
コンナ自分に誰かツッコミ入れてくれって思ったりします。笑
なのでセルフ・気分転換にボヤいてみよう、とコンナの書いています。だからツマンないです、ごめんなさい。笑

この小説、ジャンルは純文学です。
で、純文学の定義って何さ?ですけど。こんなかなあって思います。

1、文章自体の研磨が見られること=情景描写などリアリティ&美しく想像させる力がある文章であること
2、人間心理についての追及がある=心理描写の説得力、読んだ人を惹きこむ力
3、文章の物語性は問わない、1かつ2が充たされていればOK

大学で教わったり自分で読んだ結論として、コンナ感じです。

でもね、元々は純文学ってソンナ好きじゃないんですよね、自分は。
なんで好きじゃなかったかって言うと、話の内容が自分に合わなかったからです。
日本の純文学って言われる作品の大半は所謂「私小説」のカラーがとても濃ゆい。
その「私」小説の世界観と、自分の考えが合わんなあと。

第1話から通して読んで下さっている方は、お気づきかも知れませんが。
自分はかなり理屈っぽいタイプです、リアルの友達や家族に言われます、困ったもんです。笑
理屈っぽい=客観的すぎ、なので私小説の感情的世界観に入り難くて面白いってことが少ないんです。
だもんで歴史小説や研究書ばっかり読んでいました←この手のって内容が濃い&理論的で面白い。

そんな自分が純文学を書いているのは、苦手をやってみよ、って考えでした。

理屈ヤな自分が苦手な、心理描写&感情表現を克服してみよっかな。
どうせ苦手にチャレンジするんなら、苦手要素を全部詰め込んで書いてみようか?
そんな苦手塗れでも、自分が納得できる文章が書けるかなあ?って感じで始めたのが、今連載中の小説です。

苦手筆頭は「恋愛小説」です。

感情表現、とくに恋愛の表現などは全くもって苦手、っていうか読んだことも殆どありません。
それでも高橋治さんの「風の盆恋歌」には感動しちゃった自分なので、ああいうのなら書いてみたいって思ったんです。
あの作品以外にも高橋治さんの恋愛小説は、家族愛や友愛など恋愛のバックグラウンドになる様々な人間心理が美しい。
恋愛って恋人同士だけの出逢いで育まれるモンではなく、それぞれの人格を作りあげる全ての要素があるからこそ恋愛も生まれますよね?
そういうリアルな人間感情の複層を、自分も書いてみたいなって思いました。

で、恋愛でどうせ書くんなら、今まで描かれたことのない恋愛関係がいいかなって思いまして。
それで友人から相談を受けた経験がある、リアルな同性愛のことを書いてみようって決めました。
いわゆるBL小説ではなく、リアルな男同士の恋愛をフラットに描けたら良いなあと。

BL小説ってファンタジーだと言う人も多いですが、自分も同じ意見です。
元来「fantasy」って言葉自体が「叶いっこない望み=非現実」って意味ですが、その通りな作品が多いよう思います。
この小説を書くにあたってWEBで作品をいくつか拝見しましたが、自分からすると説得力を感じられませんでした。

a.設定からありえない
b.同性愛に対する偏見と差別が書き手の根底にある
c.なぜ「同性」なのか背景が無くて、その因果関係が不分明
d.同性愛ならではの悩みや喜びが描かれていない

といった4つのポイントがBL小説の特徴かなあって思いました。
その辺りをよく考えながら自分は書いてみています、心理描写やストーリーの両面で。
たまにR18も描きますが、男性同士ならではの感情と心理的&肉体的問題と向き合うシーンとして入れています。
男女恋愛との差で最も顕著なのは身体的問題です、なのでコノ部分での心理描写は純文学として必須要素だなあと。
そして、この場でお詫びを→アレな話が苦手な方いつも申し訳ありません!!


他の苦手要素は「現代もの」「警察もの」って所です。

なんかね、警察ものって言うと勧善懲悪orダークいずれでも「ヒーロー」だなって感じるんですよね。
どっちかいうと自分は所謂ヒーローものが苦手なのかもしれません、仮面ライダーとかは見ていたけど。笑
で、そういのとっぱらって「生身」の人間で男である警察官を書いてみようかなって思いました。
普通の人間である男が警察官という仕事を選び、仕事の苦悩と喜びに向き合い、成長していく。
そういう等身大の男の姿を描いてみたくて、ある意味人間的な狡い&弱い部分も描いています。

宮田は「ヒーロー」って要素を相当持っています、国村もです。
どちらも美形で才能も恵まれている、そういう「ヒーローと思われている人物」の等身大を描けたらいいなあと。
この二人は両方とも「自分はタダの男で人間」だと自覚しています、そしてお互いの「人間」を一番よく理解しあっている。
これって同じタイプだからこそ出来る相互理解であり、それが互いの信頼関係にもなっていきます。
で、国村について言えばトリックスター的ヒーロー、悪戯っ子で超自然的要素が強く、とても明るくて愛情深い。
これに対して宮田は白馬の王子に見えて実はダークヒーロー、天使かつ悪魔という両面性は「堕天使」という言葉が似合います。
こんなふうに同じヒーロータイプでも2人は真逆です、この対称形がタッグを組むことで「ヒーローとは何ぞや?」を描けたらなあと。


こんな感じで苦手要素を盛り込んで設定を作って書いています。
その結果として、純文要素3「物語性」については濃い内容となりました。
こういう濃いのって自分は好きなんだろうなあと思います、だから描いているんですけどね。

で、書くのは資料読んだりなんだりって作業も結構しています。
元々が苦手ジャンルばっかりなので、初心者無知からスタートするから資料は必読です。
で、ちょっと疲れたのでコンナぼやき?みたいなん書いてみました。わらい

乱筆乱文を失礼いたしました、良かったらまた小説読みに来てくださいね。
こっから話はまた転換していくので。





コメント (2)
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