萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 花残 act.32 side story「陽はまた昇る」

2025-02-08 01:03:00 | 陽はまた昇るside story
その温もりに祝福を、
英二24歳4月


第86話 花残 act.32 side story「陽はまた昇る」

月が昇る、雪のない夜に。

『おまえさんが山ヤとして鍛えられて育ったのは、この奥多摩だからなあ、』

声まだ新しい、燻し銀みたいな深い声。
あの声に育まれた自分は今、奥多摩から遠く屋上の夜だ。

「でも月はある、」

微笑んだ唇に煙があまい。
指先くゆらす紫煙が月へ昇る、仰ぐ風の底に扉が軋んだ。

「宮田?帰ってたのか、」

こつり、こつん、靴音が夜に響く。
その声に英二は振り向いた。

「黒木さんこそ、今帰りですか?」
「ああ、蒔田部長に呼ばれてな、」

聞きなれた低い声こつり、レザーソールが傍にくる。
月明かりスーツ姿あらわれて、すこし疲れ顔の先輩が笑った。

「宮田の昇進と警察大学校が決まったぞ、良かったな?」

ぽん、大きな掌が肩を敲く。
堅いくせ温かな感触に英二も笑った。

「ありがとうございます、ご足労を申し訳ありませんでした、」

今日、元上司が奥多摩で教えてくれたこと。
その通りになった現実がことん、隣で柵に凭れこんだ。

「ほんとご足労だ、って思うなら礼に一本くれるか?」
「はい、どうぞ?」

タバコの箱こつり、角を敲いて一本だす。
差しだされた指に挿しこんで、ライターかちり白皙が明るんだ。

「ありがとな、」

火影ゆらめいて精悍な瞳やわらぐ。
ふーっと深い息ひとすじ、紫煙ふわり昇った。

「はー…呼吸できる、」

隣つぶやく声にじむ声、けれど笑っている。
あの場所は疲れるだろうな?めぐらす推察と笑いかけた。

「長野の尋問つきでしたか?」
「まあなあ、」

肯きながら吐いた煙、ゆるく風に流れてゆく。
月はるかな夜ふところ、はるかな雪嶺に想い微笑んだ。

「俺が周太のマスク外したこと、詰められました?」

特殊急襲部隊 Special Assault Team 通称SAT 
その部隊で見たり聞いたりしたことを他人に話せば時に法で罰せられる、家族に対しても同様。
そんな訓示を受け保秘を徹底させられる特殊部隊、その隊員のマスクを自分は剥いだ。

「…おい宮田、俺を困らせておもしろがってるだろ?」

ほら、困り顔がこちら見てくる。
言葉隠した返答つい可笑しくて、笑ってしまった。

「俺はおもしろいですよ?規則破ったのに昇進ですから、」

司法に属した組織、けれど規則破りが昇進する。
こんな矛盾と皮肉おかしくないはずないだろう?

「わかってるだろうがな宮田、それヨソサマでは絶対に言うなよ?警大では特に禁句だ、」

困り顔が告げてくれる言葉たち、これもまた現実だ。
こんな状況なおさら可笑しくて、指先のタバコ揺らせた。

「喫煙グセあるノンキャリ2年目の山岳救助隊員が特進で警部補です、普通じゃないって追及されると思いますけど?」

だから黒木も今日「詰められた」のだろうに?
おかしくて笑った隣、上司な先輩がため息吐いた。

「まあなあ…今日も追及されたけどな、宮田なら普通だろって俺は納得してるよ。今日もそうなったし、」

あきれたもんだよな?
そんなトーン笑い返されて、言葉ひとつ問いかけた。

「今日もそうなったって、どういう事情ですか?」
「宮田は逸材だってことだよ、」

即答さらり笑ってくれる、その言葉に見つめてしまう。
素直に受けとれない、そのままに微笑んだ。

「褒め言葉なら嬉しいですね、それとも、俺の身辺問題ですか?」

祖父のこと、保有資格のこと。
声にしたくない素顔を見つめて、けれど先輩は笑った。

「宮田は身辺問題は別にしても逸材だろ、あの国村さんのザイルパートナー務められるんだからさ?」

懐かしい名前ひとつ、精悍な瞳が笑ってくれる。
その唇ふっと紫煙ゆらせて、やわらかに口ひらいた。

「国村さんは山の記録と射撃大会の成績で有名だけどな、警察学校も首席卒業なんだよ。特進もしているだろ?国村さんこそ逸材だ、でも気難しいのも有名だったんだ、」

光一は気難しいからなあ?

そんなふう後藤もよく話していた、あの時間は今もう遠い。
だからこそ懐かしくて英二は微笑んだ。

「国村さんには警察の価値観は通用しませんよ、生粋の山っ子ですから、」
「ほんとそれだ、」

肯いた口もとタバコ咥えて、煙ゆるく立ち昇る。
すこし疲れた目もと、けれど穏やかな眼差し微笑んだ。

「国村さんは天才だよ、普通の男にはついていけない。そういう国村さんと一緒にいられる宮田は逸材なんだ、同レベルの才能がなければ無理なことだからな?」

告げられる言葉に納得する。
今ある自分の状況、それからこの先輩への納得に笑いかけた。

「よく人を見てるんですね、隊長?」

ありのまま事実を見ている、そして分析して納得できる。
だから小隊長も任されたのだろう、そんな男が英二に笑い返した。

「ほんと宮田そういうトコだよな?」
「そういう?」

訊き返した隣、紫煙ゆらして笑いだす。
疲労感やわらかに消える夜、精悍な瞳まっすぐ英二を見た。

「宮田のそういう敬意ある遠慮なさにガード下げたくなるんだよ、それで警大もなんとかできるんじゃないか?」

本当によく見ているんだな?
あらためて感心して、また可笑しくて笑った。

「黒木さんもガード下げてくれていたんですか?」
「でなかったら目の前でタバコ吸わんだろ、ほんと人誑しだよなあ?」

指はさむタバコ見せて、細めた瞳なごませてくれる。
初対面から重ねた時の果に笑って、けれど事実に口ひらいた。

「それ自体が、おもしろくない人間の巣窟かもしれませんよ?警察大学校は、」

声にして、現実また近くなる。
もうじき立つ場所ながめる屋上の夜、ここにいる原点の声が呼ぶ。

『僕ずっと英二に言いたかったんだ、ちゃんと、けんかしよう?』

昨日、あの街で君が言ってくれた。
あの言葉すべて君の真実、そう解るから自分の狡さ軋みだす。
器用で要領よく生きてきた自分、それなのに今日、雪の町で言われた。

『君は不器用ですね、正直な分だけ、』

低めのテノール穏やかに笑ってくれた、雪の道で。
フロントガラスまばゆい山の路傍、山ヤの医師は言ってくれた。

『自分の大切なひとが、他の誰かにどんな存在か不安にもなるでしょう。だからこそ、ご本人と話す時間が必要なのではありませんか?』

切長い瞳おだやかに笑いかけてくれた、あの雪道しずかな言葉。
その通りだと肯いてしまう、そのくせ揺らぐ自分もいる。

「…今日、奥多摩は雪がきれいでしたよ、」

ほら声こぼれだす、君に言いたくて。
あの山を懐かしいと君が笑った、だから自分は山ヤの警察官になった。
けれど遠い屋上の夜、紫煙ゆらす隣がそっと笑った。

「雪の奥多摩、いいよな、」
「はい、」

微笑んで唇そっとタバコ咥える。
ゆるく紫煙たなびく夜、頬かすめて白く昇ってゆく。

「…奥多摩がいいな、」

タバコ咥えても零れる声、ゆるやかな紫煙に昇る。
かすかな温もり唇しめらせて、あまく苦く昇りたつ。
ほら月へ昇る、あんなふうに、人はいつか還るのだろうか。

(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

第86話 花残act.31←第86話 花残act.33
にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
純文学ランキング
著作権法より無断利用転載ほか禁じます

萬文習作帖 - にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする