新しき 年の始めの 初春の けふ敷る雪の 伊夜しけ餘事 大伴家持
雪が降るたび溶けず残り、積もるほど降り続く。
そんな雪国の厳寒にも初春の希望を祈る歌です、これは作者の心情×状況を映しています。
この歌が詠まれたのは、作者の大伴家持が因幡国=鳥取県東部に配流されて迎える初めての正月=西暦759年にあたります。
なぜ家持が配流されたのか?ってことなんですけど、当時の二大勢力だった橘氏と藤原氏の抗争に巻きこまれた・いわゆるトバッチリでした。
こんなふうに政争に巻き込まれたのは、大伴家持が軍事の名門である伴氏の長だった為です。
こんな状況下にありながらも家持は「始」&「餘」の二文字を謳いました。
始・餘どちらも希望を示していく言葉に、左遷された昏迷の暗さも照らしている。
凹んでも不思議ではない状況にあってこんな歌を謳っちゃうアタリ、図太さこそ光だなあと。
武門の誉れであり歌人として名高かった家持、文武両道のイイ男だったんだろなと納得も。笑
左遷されたんだからと暗い訳する方もあるかもしれませんが、新年を照らす言祝ぎ歌として訳してみました。
迎えた2025年、善きこと積もる佳き年になりますように。
白い侘助は雪ちらつく昨日に撮りました、
すんごい寒かったです、笑
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あたらしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと
新しい年が始める初春の今日、降り敷く雪のように佳い事が覆いつくしますように。
新しい雪のよう清らかに明るんで、ただただ美しい善きものが、余るほど残り積ってゆくように。
この暗夜にあるからこそ、輝いて光り残らせて。
新しい雪のよう清らかに明るんで、ただただ美しい善きものが、余るほど残り積ってゆくように。
この暗夜にあるからこそ、輝いて光り残らせて。
新春の歌ですが『万葉集』の最終巻=巻第二十のいちばん最後に載っています。
ラスト締める絶筆歌でありながら「始」「餘事」に歌集を編纂したあたり、籠められる祈りが謳われています。
原文は「新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰」
結句の「餘」という字は「引き続いて後に残る」「余るほど残る」という意味になります。
この「よごと」は「吉事」と翻刻してしまうことが多いのですが、この文字の意味そのまま現代語訳してあります。
ラスト締める絶筆歌でありながら「始」「餘事」に歌集を編纂したあたり、籠められる祈りが謳われています。
原文は「新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰」
結句の「餘」という字は「引き続いて後に残る」「余るほど残る」という意味になります。
この「よごと」は「吉事」と翻刻してしまうことが多いのですが、この文字の意味そのまま現代語訳してあります。
雪が降るたび溶けず残り、積もるほど降り続く。
そんな雪国の厳寒にも初春の希望を祈る歌です、これは作者の心情×状況を映しています。
この歌が詠まれたのは、作者の大伴家持が因幡国=鳥取県東部に配流されて迎える初めての正月=西暦759年にあたります。
なぜ家持が配流されたのか?ってことなんですけど、当時の二大勢力だった橘氏と藤原氏の抗争に巻きこまれた・いわゆるトバッチリでした。
こんなふうに政争に巻き込まれたのは、大伴家持が軍事の名門である伴氏の長だった為です。
こんな状況下にありながらも家持は「始」&「餘」の二文字を謳いました。
始・餘どちらも希望を示していく言葉に、左遷された昏迷の暗さも照らしている。
凹んでも不思議ではない状況にあってこんな歌を謳っちゃうアタリ、図太さこそ光だなあと。
武門の誉れであり歌人として名高かった家持、文武両道のイイ男だったんだろなと納得も。笑
左遷されたんだからと暗い訳する方もあるかもしれませんが、新年を照らす言祝ぎ歌として訳してみました。
迎えた2025年、善きこと積もる佳き年になりますように。
【撮影地:静岡県2025.1.4/栃木県2017.4.1/山梨県2014.1.12】
白い侘助は雪ちらつく昨日に撮りました、
すんごい寒かったです、笑
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