萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.37 another,side story「陽はまた昇る」

2022-12-16 00:40:13 | 陽はまた昇るanother,side story
That after many wanderings 
kenshi―周太24歳4月


第86話 建巳 act.37 another,side story「陽はまた昇る」

窓明るむ青、薄紅かぐわしい。
ほら花が舞う、すこし開いたガラス通ってしのびこむ。

「お、桜の花びら?」
「…ん、」

友だちの言葉に肯いて、目の前ふわり花が舞う。
つい伸ばした掌ひとひら降りて、廊下のかたすみ立ちどまった。

「ここ、きれいに見えるんだよ。毎年さ、」

朗らかな声が教えてくれる、自分が知らなかった時間のことだ。
まだ去年の春は知らなかった場所で、周太はそっと微笑んだ。

「よかった、毎年ちゃんと咲いてて…」

立ちどまった窓の桜たち、ひとつは古木でひとつは若い。
窓すぐ伸ばされた梢は大らかな繊細ひろやかで、あわい薄紅ふさふさ華やがす。
その隣まだ朱い芽吹きの若木は樹齢30年ほど、花ひらくのは半月より後だろう。

「あのさ、周太?違ったらアレなんだけど…」

隣が口ひらいて、けれど言いよどむ。
なんだろう?珍しい友人の貌ちょっと見て、気づいて笑いかけた。

「もしかして賢弥、この桜を誰が植えたか気づいたの?」

問いかけて、ほら、チタンフレームの底の眼すこし泣きそう?
この聡明な学友なら辿りつくだろうな、納得の隣は口ひらいた。

「きのう周太が言ってくれたろ、僕たちが植えるなら何の木がいいと思う?って。それでさ…田嶋先生もこの桜よく眺めてるな、思って、」

気づいてくれる、この友人は。

『ウチの大学も文科の学生は学徒出陣してるだろ?その桜も文学部の学生だったらしいよ、』

昨日そんなふう賢弥は話してくれた、あの時に自分が言ったこと。
それから恩師の姿も思いだしたのだろう、たどってくれた想いに微笑んだ。

「祖父が植えたから、田嶋先生と父も植えたんだって…僕も昨日、田嶋先生に教えてもらったんだ、」

祖父が植えた染井吉野、父と恩師が植えた山桜。
この桜ふたつに想ってしまう、ずっと昔と、今と、そして昨日のこと。
この隣に今いてくれて、昨日も共にこの桜を見て、こんなふうに父も祖父もその時を生きたろうか?
そして祖母も、この学舎で。

「だからね、賢弥?僕、今、幸せなんだ、」

ほら?想い声になる、だって今日もまた会えた。
この友人と昨日も、そして今日も、この場所で。

「友だちと一緒にね、この桜を見られて幸せなんだ。昨日も、今日も、僕にとっては、」

こんなの当たりまえかもしれない、でも自分には当たり前じゃなかった。
それでも今ここから先は日常になって、いつか、当たりまえに想えたら?
それこそが、幸せなのかもしれない。

「俺も幸せだよ、周太と見られてさ、」

ほら?笑ってくれる、チタンフレームの眼が快活ほころぶ。
こんなふう率直なことは珍しいだろう、だからこそ安堵できる学友に笑いかけた。

「ありがと、賢弥、」

ありがとう、こんな自分を受けとめてくれて?
もう何もかも話して、それでも隣で笑ってくれる。こんなこと多分きっと得難い。
ただ感謝ほころぶ桜の窓辺、朝おだやかな廊下のかたすみ友だちが笑った。

「こっちこそありがと、ってさ?こういうの照れずに言える周太って、やっぱすげえや、」

ぱっと笑う日焼けの頬、かすかに赤らんで明るい。
照れてしまうものなんだ?こんなことも違っている自分また気恥ずかしくて、掌の花びら手帳にしまった。

「…はやくいこ?」
「おう、お待たせしちゃマズイな、」

つぶやいて歩きだして、すぐ隣も歩きだす。
ふたり並んでゆく廊下の風、かすかな甘い渋い香に古書が匂う。
ここも研究室ごと蔵書が多いのだろうな?そんな今の時間が嬉しくて、そして軋む。

『こうやって見つめると周太、前はなんか逃げるみたいな、迷うような眼をしたんだよ。でも今は違うんだな?』

昨日、あの公苑あのベンチ、あのひとが言ったこと。
その通りだと今歩く廊下に分かる、だって今こんなに楽しい。
それだけに軋む、あのひとだけ見つめていた時間が遠くて、愛しくて、遠すぎる。

「ここだよ、周太、」

ほら、呼んでくれる声こんなに明るい。
この場所で生きていく今に肯いて、目の前の扉ひとつ周太はノックした。

「はーい、どうぞ?」

やわらかで明るい声が応えてくれる。
思ったより若い声だな?少し驚いた隣、友だちが扉を開いた。

「おはよーございます丹治先生、おひさしぶりです!」

快活な声が開いた扉、ふわり甘い渋い香くゆる。
なつかしい古書の匂いたち、その向こう銀髪のショートカット振りむいた。

「まあ、手塚君じゃない。ホントおひさしぶりね、今日はどうしたの?」
「はい、田嶋先生のお使いできました、」

笑って友だちが応えながら、背中そっと押してくれる。
そっと呼吸ひとつ、踏み出して周太は頭を下げた。

「田嶋先生のご紹介で参りました、丹治先生のご講義を受けさせて頂きたくてお伺い致しました」

下げた視界、ローファーの爪先が光る。
スラックスの脇そえた手、袖はシャツとニット柔らかい。
こんな服装から今、新しい想いにメゾソプラノやわらかに笑った。

「あらまあ、田嶋君の紹介にしては真面目な学生さんねえ。そんな硬くならないでいいのよ、どうぞ?」

言われるまま背を押されて、研究室の扉をくぐる。
窓辺のデスク勧められて、座った前に湯呑そっと置かれた。

「ミツコ先生って呼んでね、丹治ってナンカ硬いでしょ?さ、お茶ひとくち飲んで寛いで、」

くるり大きな瞳が笑って、目元やわらかな皺が優しい。
親しみやすそうなひとだな?安堵ひとくち茶を啜ると、隣から友達が笑った。

「あいかわらず美味いですね、ミツコ先生のお茶、」
「手塚君もあいかわらず大らかねえ、お友達くんは優しい繊細な雰囲気だけど、お名前なんておっしゃるの?」

大きな瞳が瞬いて、胸に提げた眼鏡をかける。
まっすぐ見つめられるまま迂闊に気がついて、周太は背を正し頭下げた。

「申し遅れて失礼いたしました、今日から田嶋先生の秘書を勤めます、湯原と申します。」

先に用件だけ告げて名乗っていなかった、こんな迂闊が気恥ずかしい。
もう耳もと熱くなる前、眼鏡ごし大きな瞳ゆっくり瞬いた。

「田嶋君のとこで、湯原って…斗貴子さんのお孫さんなの?この大学の学生だった、」

祖母のことを知っている?
問われた言葉ゆっくり瞬いて、周太は肯いた。

「はい、湯原斗貴子は僕の祖母です。仏文の学生でした、」

ありのまま答えて、かたん、目の前の学者が身を乗り出す。
鼈甲フレームやわらかな底、大きな瞳ゆっくり瞬いた。

「まあ…眼がよく似てるわ、黒目が大きくて、澄みきってて…」

真直ぐ見つめてくれる眼、ゆるやかな光にじみだす。
はたり、一滴こぼれた光滴って、老婦人の笑顔ほころんだ。

「うれしいわ…あなたに逢えるなんて。お名前、なんて仰るの?」

うれしい、そう告げて訊いてくれる。
もしかして祖母のこと教えてもらえるだろうか?鼓動ふくらんで口ひらいた。

「湯原周太です、あの、祖母のことご存知なのですか?」
「ええ、大好きなひとだもの、」

即答ふわり、声やわらかに笑ってくれる。
その見つめてくれる大きな瞳、目元やさしい皺がほころんだ。

「憧れで、恩人で、大好きな友だちよ。斗貴子さんがいてくれたから今、私はここにいるの、」

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」より抜粋】

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斗貴子の手紙
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