萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.31 another,side story「陽はまた昇る」

2021-10-05 21:54:16 | 陽はまた昇るanother,side story
Do take a sober colouring from an eye 
kenshi―周太24歳4月


第86話 建巳 act.31 another,side story「陽はまた昇る」

道、こんなに短かったろうか?
こんなにも静かで。

ことん、ことん、

レザーソール鳴らす音、それが鼓動そっと重ならす。
並んで歩く肩が高い、でも記憶より遠くないまま残照まばゆい。
そして沈黙やわらかに重たい。

―何を考えてるのかな英二、今…こんなに黙って、

よく話す、ずっとそう思ってきた。
あなたは沈黙すら穏やかに饒舌で、それが居心地いいと思ってしまった。
そうして重ねた時間に歩いた道を今、あのころと同じに並んで歩いて、けれど違う痛みが疼く。

―そうか…僕を見ていない、ね?

ずきり、鼓動ふかく絞められる。
今こんなに近くにいて、けれど思考ふかく沈みこむ。
そんな横顔は残照あざやかに眩しくて、ほろ苦い甘い香そっと僕の頬ふれる。
あなたの匂いだ。

「着いたな、」

あなたの声つぶやいて、レザーソールの靴音が止まる。
オレンジ色あざやかに染まる駅、コンコースの一隅で声そっと押しだした。

「英二…僕は昨日、退職届を出したんだ、」

告げた先、切長い瞳かすかに瞠ってくれる。
これだけは今言いたい、そんな願いに訊いてくれた。

「周太が自分で、出しに行ったのか?」
「そうだよ、」

肯いて見あげる真中、あなたが僕を見る。
かすかな咎めるような眼、いわゆる「保護者」の視線かもしれない。
だからこそ今どうしても伝えたくて、願いごと唇ひらいた。

「英二、僕はもう警察を辞めたよ?ただの僕になったんだ、」

もう警察官じゃない。
その事実と見つめる真中、切長い瞳おだやかに微笑んだ。

「うん、周太は周太だ、」

きれいな低い声が呼んでくれる。
それは、ただ「僕」としてだろうか?想い見つめて問いかけた。

「だから英二、正義感で僕を護ろうとしなくて、もういいんだよ?」

あなたに護られる、それだけの存在なら僕は嫌だ。
だって僕は知っている、あなただって一人の弱くて儚い人間だ。

「どういう意味だ、周太?」

ほら訊いてくれる、その綺麗な瞳まっすぐ僕を見て。
まっすぐ強くて鋭くて、そして、子どものような儚い傲慢と正義感。

“正義感”

それは多分きっと、あなたには最も重たく大きい。
そして多分あの男と似ていると、あなたは気づいているだろうか?

「僕と一緒にいる理由のことだよ、英二?」

答えて見あげる先、端整な目もと微かに朱い。
寝不足なのだろうか、疲れが溜まっている?心配で、それでも声を押しだした。

「正義感とれんあいかんじょう…どちらの為に、僕といてくれたの?」

ずきり、痛い。
まだ治りきらない右足首の傷、さっきまで痛くなかったのに?
それとも鼓動だろうか、痛み一つ見つめる真中で端整な口もと動いた。

「しゅうた…どういう意味だ?」

さっきと同じ言葉、きれいな低い声、でも震えている。
気づいたことも無かったのだろう?そんな途惑いに、そっと微笑んだ。

「よく考えてみて、でも、ちゃんと睡眠はとってね、」

告げた喉ふかく痛い、熱い。
なぜ痛いのだろう熱いのだろう、ああ目の奥もう熱い。

「…しあさってに、またね、」

微笑んでゆっくり瞬いて、あなたの貌もう一度見る。
切長い瞳すこし朱くて、きれいで、見つめて深呼吸そっと踵返した。

「…っ、」

ずきり、右足首が痛む。
それでも改札さらり通って、階段からホームすぐ列車に乗った。

ガタン、

動きだす車窓、もたれた扉に街がきらめく。
残照まばゆい新宿の時間、あの夕映えに一瞬前、あなたと立っていた。

「…英二、」

痛い、どうしても。
雪山の傷痕、まだ熱いままで。



玄関扉、そっと桜が香る。
もう山桜が咲きだすのだろうか、すこし早い、けれど懐かしい香にスリッパ履いた。

かたん、

燈るライト、オレンジ色やわらかに照らしてくれる。
温かな光の廊下まっすぐ、台所で周太はスーツの上着を脱いだ。

「…お行儀悪いけど、ね?」

ひとりごとネクタイ抜いて、衿元ボタン一つ開けてシンクに立つ。
袖まくりして蛇口ふれて、水やわらかに両手ほっと息吐いた。

「は…」

ため息ひとつ口も濯いで、拭ってエプロン身に着ける。
こんなこと父なら、お小言ひとつ笑ってくれる?

『周?外から帰ったら手洗い、うがい、洗面所でしてから着替えるんだよ?』

懐かしい声そっとなぞって、脱いだままのジャケットすこし後ろめたい。
けれど今はこうしたくて、オーブンの余熱スイッチ点火した。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」より抜粋】

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