漁師町の聖女は、
葉月十三日、 瑠璃虎の尾― sacred promise
残暑の候、また近くなる。
迎え火を焚く夜の今日は、そして。
「あらまあまあ、ケンちゃん帰ってたのね?」
海風ふわり、呼んでくれる。
潮やわらかい甘い故郷の盆、花鋏ぱちり笑いかけた。
「朝一で帰ってきたとこです、おはようございます、」
「おはよう、また立派になったねえ?いいお医者さま、」
白シャツ軽やかに笑う目もと、笑い皺が温かい。
齢なり重ねた笑顔やわらかで、そんな母の友人に微笑んだ。
「あいかわらず見習いですよ、」
「あらご謙遜、聴いてるわよお?先生のご自慢だものねえ、」
笑い返してくれる瞳、底抜けに明るい。
裏も表も無い、こういう眼を母も好きだったろう?
想い見つめる潮風の庭、母の友人だった瞳が海を見た。
「ほーんと、ここは良い眺めねえ…港と、海と空、」
瑠璃色はるかな海と空、笑い皺きらきら朝陽はじく。
その瞳やわらかに青が映る、静かで、優しい穏やかな眼に微笑んだ。
「母も同じこと言っていました、いつも、」
「ねー、すみこちゃん言ってたねえ?」
母を呼んで笑ってくれる、変わらない。
変わらないまま朗らかな声は、庭花に微笑んだ。
「今年もきれいに咲いてるねえ、お母さんに摘んであげてたの?」
「はい、」
肯いて左手、摘んだばかりの花ゆれる。
薄紅、白、青紫、やさしい色どれも母が愛していた。
「すみこちゃん喜ぶねえ、ケンちゃんがこんなふうに大事にしてくれて、」
笑い皺やわらかに母を呼ぶ、温かい明るい声。
こんなふう母は今も生きている、温もりに微笑んだ。
「俺は帰って来たとき水やってるだけです。おばさんこそ、草取りしてくれてるでしょう?」
そんなふうに母を大事にしてくれる、今も。
そんな瞳ちょっと瞠って、白い襟ちょっとすくめた。
「ごめんなさいねえ、おせっかいして?つい、ね?」
悪戯を見つかった、そんな眼差しが見あげてくれる。
母もこんな貌を見ていたのだろう?なんだか可笑しくて笑った。
「俺こそすみません、正直ホント助かってます。お礼しないとダメなくらいです、」
「あらあら?お礼なんて…何ねだっちゃおうねえ?」
応えて朗らかに笑ってくれる、こういうところ気楽だ。
だから息子もなのだろう?今朝の再会と笑いかけた。
「おばさん、大丈夫ですよ?」
気になって来たのだろう、この誠実なひとは。
その真直ぐな瞳が口ひらいた。
「ケンちゃんも診てくれたのね、ウチの子が連れて来たんでしょう?」
「はい、父と診断書を出しました、」
肯いた先、笑い皺ふっと唇ゆるめる。
ほんとうは緊張して来たのだろう、同じ祈りに微笑んだ。
「あいつの職場には俺が主治医として話つけてあります、ウチの診療所で入院ってコトになってますよ?」
強引なやり方だろう、でも放りだせない。
この今は必要とくだした判断に、誠実な瞳が瞬いた。
「入院って、あの子そんなに悪いの?嘘でしょう?」
信じたくない、たすけて?
すがるような視線が心臓すっと刺して、けれど笑いかけた。
「小松菜とか緑の濃いものや酸っぱいモン食べさせて、のんびり暮らさせてやれば元気になれますよ?」
本当のことだ、でも「そんなに悪いの?」を逸らしている。
けれど告げ方なんて解らない、それでも優しい瞳ほっと笑ってくれた。
「…よかったぁ…あの子ひどく痩せてたから、ね?」
気が緩んだ、そんな笑顔やわらかに明るむ。
ほころんだ笑い皺きれいで、不安そっと呑みこみ笑った。
「山でも海でも好きに歩かせてやれば、腹も減ってシッカリ食いますよ。酒は飲みすぎアウトですけどね?」
ただ歩いて、食って、寝て。
そして笑ってくれるなら生きられる、心も。
『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』
夜勤明けの5:00、父が架けてきた電話。
あの意味を見つめる真中で、日焼ほがらかな手が紙袋さしだした。
「これねえ、先生とどうぞ?」
「あ、すみません、ありがとうございます、」
受けとって紙袋が温かい。
日盛りの坂道を上がってきてくれた、その温もりに微笑んだ。
「おばさんのキュウリ漬だ、」
紙袋の底、タッパー透かす緑が瑞々しい。
故郷の色だな?懐かしいまま母の友人が笑った。
「夏のモノだからねえ、あとこれもね、すみこちゃんにあげてくださいな、」
夏のもの、そんな言葉もう一つさしだしてくれる。
素直に受けとった袋の底、薄紅色まるく笑った。
「立派な桃ですね、もしかして坂本さんちの庭の?」
「あらあ、憶えててくれたのねえ、ありがとう、」
底抜けに明るい瞳がことこと笑う。
この眼が叱って笑ってくれた記憶と笑いかけた。
「そりゃ憶えてますよ、叱られましたから。すごく笑われたし?」
「あははっ、そんなことあったねえ、」
朗らかに笑い皺ほころぶ、あの時もそうだった。
あの頃のまま潮風あかるい実家の庭、父が呼んだ。
「賢吾ぉー、誰かいらしてるのかい?」
「はーい、坂本のおばさんです、」
返事とふりむいた先、窓からポロシャツ姿が乗りだす。
その衿もと聴診器に陽ざし映って、明るい優しい声が頭下げた。
「ごめんなさい先生、うるさくしてすみませんねえ、」
「今ちょうど、患者さんいないから大丈夫だよ、」
野太い声おおらかな窓、半袖の腕が頬杖をつく。
ひるがえるカーテンの笑顔に、紙袋ふたつ掲げて見せた。
「父さん、これ頂いたよ?キュウリ漬と桃、」
告げながら時間が遡る、去年の夏、その前からの夏。
訪れる季めぐる時間に、朗らかな優しい声が頭下げた。
「今朝、ウチの子たちがお世話になって。よろしかったら召し上がってくださいな、」
うちの子たち、
そんな言葉ひとつ「他人事」では済まさないひと。
そんなふう言ってくれたと知ったら、あの幼馴染はどんな貌するだろう?
『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』
明け方の電話、父が告げた幼馴染の現実。
まだ30歳、自分より5歳も若い、それなのに白皙ふかく青灰色よどむ疲労。
それだけ苦しい孤独に生きて、それすら救おうとする手が父と笑う。
「あの子たち、朝ごはんまで頂いてしまって。申し訳ありませんねえ、」
「息子さんがパンを買ってきてくれたんですよ?僕のほうがご馳走になりました、」
「まあまあ、それでもお邪魔してしまって。すみませんねえ、今日もお忙しいのでしょう?」
朗らかな優しい声が頭下げる、その髪きらきら木洩日が梳く。
海風きらめく瞳まっすぐで、いつも、ずっとこのひとはそうだ。
『ケンちゃんも、ごはん食べてって?甘えて頼っていいの、』
いつも笑って呼んで、笑顔が言葉が自分を温めた。
あの時どれだけ救いだったろう?
『頼って甘えること知らないとねえ、誰かをホントに頼らせてあげられないでしょう?お医者になるなら大事じゃないかなあ、』
母を喪った日、それから何度も、いくども。
重ねられる温もりと花たずさえて、勝手口から台所に戻った。
「…うまかったよなあメシ、いつも、」
微笑んで水桶に切花つける、受けとったばかりのタッパーひらく。
緑あざやかに唐辛子の紅色ぷかり、なつかしい味一本つまんだ。
「うまっ、」
ぽりり、塩味はじけて涼やかに香る。
ただ微笑む、ふるさとの夏味。
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8月13日誕生花 瑠璃虎の尾ベロニカ
葉月十三日、 瑠璃虎の尾― sacred promise
残暑の候、また近くなる。
迎え火を焚く夜の今日は、そして。
「あらまあまあ、ケンちゃん帰ってたのね?」
海風ふわり、呼んでくれる。
潮やわらかい甘い故郷の盆、花鋏ぱちり笑いかけた。
「朝一で帰ってきたとこです、おはようございます、」
「おはよう、また立派になったねえ?いいお医者さま、」
白シャツ軽やかに笑う目もと、笑い皺が温かい。
齢なり重ねた笑顔やわらかで、そんな母の友人に微笑んだ。
「あいかわらず見習いですよ、」
「あらご謙遜、聴いてるわよお?先生のご自慢だものねえ、」
笑い返してくれる瞳、底抜けに明るい。
裏も表も無い、こういう眼を母も好きだったろう?
想い見つめる潮風の庭、母の友人だった瞳が海を見た。
「ほーんと、ここは良い眺めねえ…港と、海と空、」
瑠璃色はるかな海と空、笑い皺きらきら朝陽はじく。
その瞳やわらかに青が映る、静かで、優しい穏やかな眼に微笑んだ。
「母も同じこと言っていました、いつも、」
「ねー、すみこちゃん言ってたねえ?」
母を呼んで笑ってくれる、変わらない。
変わらないまま朗らかな声は、庭花に微笑んだ。
「今年もきれいに咲いてるねえ、お母さんに摘んであげてたの?」
「はい、」
肯いて左手、摘んだばかりの花ゆれる。
薄紅、白、青紫、やさしい色どれも母が愛していた。
「すみこちゃん喜ぶねえ、ケンちゃんがこんなふうに大事にしてくれて、」
笑い皺やわらかに母を呼ぶ、温かい明るい声。
こんなふう母は今も生きている、温もりに微笑んだ。
「俺は帰って来たとき水やってるだけです。おばさんこそ、草取りしてくれてるでしょう?」
そんなふうに母を大事にしてくれる、今も。
そんな瞳ちょっと瞠って、白い襟ちょっとすくめた。
「ごめんなさいねえ、おせっかいして?つい、ね?」
悪戯を見つかった、そんな眼差しが見あげてくれる。
母もこんな貌を見ていたのだろう?なんだか可笑しくて笑った。
「俺こそすみません、正直ホント助かってます。お礼しないとダメなくらいです、」
「あらあら?お礼なんて…何ねだっちゃおうねえ?」
応えて朗らかに笑ってくれる、こういうところ気楽だ。
だから息子もなのだろう?今朝の再会と笑いかけた。
「おばさん、大丈夫ですよ?」
気になって来たのだろう、この誠実なひとは。
その真直ぐな瞳が口ひらいた。
「ケンちゃんも診てくれたのね、ウチの子が連れて来たんでしょう?」
「はい、父と診断書を出しました、」
肯いた先、笑い皺ふっと唇ゆるめる。
ほんとうは緊張して来たのだろう、同じ祈りに微笑んだ。
「あいつの職場には俺が主治医として話つけてあります、ウチの診療所で入院ってコトになってますよ?」
強引なやり方だろう、でも放りだせない。
この今は必要とくだした判断に、誠実な瞳が瞬いた。
「入院って、あの子そんなに悪いの?嘘でしょう?」
信じたくない、たすけて?
すがるような視線が心臓すっと刺して、けれど笑いかけた。
「小松菜とか緑の濃いものや酸っぱいモン食べさせて、のんびり暮らさせてやれば元気になれますよ?」
本当のことだ、でも「そんなに悪いの?」を逸らしている。
けれど告げ方なんて解らない、それでも優しい瞳ほっと笑ってくれた。
「…よかったぁ…あの子ひどく痩せてたから、ね?」
気が緩んだ、そんな笑顔やわらかに明るむ。
ほころんだ笑い皺きれいで、不安そっと呑みこみ笑った。
「山でも海でも好きに歩かせてやれば、腹も減ってシッカリ食いますよ。酒は飲みすぎアウトですけどね?」
ただ歩いて、食って、寝て。
そして笑ってくれるなら生きられる、心も。
『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』
夜勤明けの5:00、父が架けてきた電話。
あの意味を見つめる真中で、日焼ほがらかな手が紙袋さしだした。
「これねえ、先生とどうぞ?」
「あ、すみません、ありがとうございます、」
受けとって紙袋が温かい。
日盛りの坂道を上がってきてくれた、その温もりに微笑んだ。
「おばさんのキュウリ漬だ、」
紙袋の底、タッパー透かす緑が瑞々しい。
故郷の色だな?懐かしいまま母の友人が笑った。
「夏のモノだからねえ、あとこれもね、すみこちゃんにあげてくださいな、」
夏のもの、そんな言葉もう一つさしだしてくれる。
素直に受けとった袋の底、薄紅色まるく笑った。
「立派な桃ですね、もしかして坂本さんちの庭の?」
「あらあ、憶えててくれたのねえ、ありがとう、」
底抜けに明るい瞳がことこと笑う。
この眼が叱って笑ってくれた記憶と笑いかけた。
「そりゃ憶えてますよ、叱られましたから。すごく笑われたし?」
「あははっ、そんなことあったねえ、」
朗らかに笑い皺ほころぶ、あの時もそうだった。
あの頃のまま潮風あかるい実家の庭、父が呼んだ。
「賢吾ぉー、誰かいらしてるのかい?」
「はーい、坂本のおばさんです、」
返事とふりむいた先、窓からポロシャツ姿が乗りだす。
その衿もと聴診器に陽ざし映って、明るい優しい声が頭下げた。
「ごめんなさい先生、うるさくしてすみませんねえ、」
「今ちょうど、患者さんいないから大丈夫だよ、」
野太い声おおらかな窓、半袖の腕が頬杖をつく。
ひるがえるカーテンの笑顔に、紙袋ふたつ掲げて見せた。
「父さん、これ頂いたよ?キュウリ漬と桃、」
告げながら時間が遡る、去年の夏、その前からの夏。
訪れる季めぐる時間に、朗らかな優しい声が頭下げた。
「今朝、ウチの子たちがお世話になって。よろしかったら召し上がってくださいな、」
うちの子たち、
そんな言葉ひとつ「他人事」では済まさないひと。
そんなふう言ってくれたと知ったら、あの幼馴染はどんな貌するだろう?
『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』
明け方の電話、父が告げた幼馴染の現実。
まだ30歳、自分より5歳も若い、それなのに白皙ふかく青灰色よどむ疲労。
それだけ苦しい孤独に生きて、それすら救おうとする手が父と笑う。
「あの子たち、朝ごはんまで頂いてしまって。申し訳ありませんねえ、」
「息子さんがパンを買ってきてくれたんですよ?僕のほうがご馳走になりました、」
「まあまあ、それでもお邪魔してしまって。すみませんねえ、今日もお忙しいのでしょう?」
朗らかな優しい声が頭下げる、その髪きらきら木洩日が梳く。
海風きらめく瞳まっすぐで、いつも、ずっとこのひとはそうだ。
『ケンちゃんも、ごはん食べてって?甘えて頼っていいの、』
いつも笑って呼んで、笑顔が言葉が自分を温めた。
あの時どれだけ救いだったろう?
『頼って甘えること知らないとねえ、誰かをホントに頼らせてあげられないでしょう?お医者になるなら大事じゃないかなあ、』
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重ねられる温もりと花たずさえて、勝手口から台所に戻った。
「…うまかったよなあメシ、いつも、」
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