萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

皐月十三日、山査子―solitaire

2021-05-13 20:11:05 | 創作短篇:日花物語
唯ひとつ、あの日よりもっと、
5月13日誕生花サンザシ山査子


皐月十三日、山査子―solitaire

白い花きらめいて、もう青い実。
それから先は?

「まあ…なつかしい、」

こぼれた想い木洩陽ゆれる、光かすめる唇が温かい。
あの日は白い花いっぱい咲きこぼれて、それから青い実いくど見つめたろう?

『待っていてくれなんて言えません、でも』

ほら遠い声また揺らめく、遠い遠い哀切、そして愛惜。
あの声どうしても追いかけたかった。

「私こそ…連れていって、」

ほら声こぼれだす、あの日あの瞬間に言えなかった。
もう戻らない遠い時間、それでも今日、ここで掴める?

『想いを知ってもらえただけで、僕は幸せです、』

あの日から今、三十年の春。
こんなに遠く遠く過ぎてしまった、あのひとも変わって当り前。
そう思っていたのに、今、ここでまた待っている。
変わらない花も実も咲くこの庭で。

「…本当のことかしら?」

ひとりごとの指さき頬ふれる。
ふれる肌そっと抓って、ほら?痛い。

「どうしました?」

とくん、声ひとつ鼓動ひっぱたく。
振りむくのが怖い、でも知りたい、だってあの声だ。

「お約束の時間前にすみません、でも、姿が見えて入ってきてしまいました、」

穏やかに深い声が響く、あなたの声。
この声ずっと逢いたかった、願いごと振りむいた。

「あやまらないでください、私こそ待っていたんです、」

ほら?本音こぼれてしまった。
本当は三十年前に言いたかった想い、その真中で深い瞳あざやかに笑った。

「僕も待っていました、」

待っていた、

その言葉ひそやかに鼓動を敲く、信じたくて。
そうなら良いと何度、瞬間いくつ願ったろう?

「それは…なにを待っていたのですか?」

問いかけて鼓動が軋む、信じたい。
どうか時を戻せるのなら今ここで、願う木洩陽に彼が微笑んだ。

「あなたを待っていました、」

自分を待ってくれていた、本当に?
見つめる想いの真中で、シルバーグレーの髪きらめいた。

「あの日ずっと僕は待っていました、夜中を過ぎるまでずっと。」

あの日ずっと、待ってくれていた。
あなたは唯ひとりで。

「…ごめんなさい、」

声こぼれて瞳が熱い、零れだす。
あの日あの夜、あの孤独ふたつに裂かれる。

「ごめんなさい…大介、」

瞳の熱に名前こぼれる、ずっと呼びたかった。
過ぎ去った三十年の涯、それでも彼は微笑んだ。

「あれから僕は、もう一度会える日を待っていました。迎えに行く勇気も無かった意気地なしです、」

微笑んだ深い瞳が自分を映す、その睫ふちどる陰影が慕わしい。
こんなふうに見つめてくれた時間そっと手繰られて、そのまま声になった。

「いいえ、意気地なしなんかじゃないわ、あの時は父が本当にひどいことを…大介は何も悪くないわ、」

このひとは意気地なしじゃない、だって今がある。
こうして掴まえた時の涯を見あげた。

「私こそ意気地なしよ、この家を出ることも出来ずにただ待ってたのだもの。ただ待ってたの、」

ずっと待っていた、ただ唯ひとり。
それしか出来なかった自分に苦しい、それでも希望ひとつ手を伸ばした。

「もう今は待たないわ、大介、私を連れて行って?」

どうかお願い、今こそ連れて行って?

「大介お願い、今もまだ一人なら、他に誰もいないなら、私を選んで?」

あなたに選ばれたい、唯ひとり。
あなたしか想えなかった私、唯ひとつの恋に追いかけたい。

それとも、もう遅いのだろうか?

「大介…大好きよ、」

想い声になる、あの日のまま。
違う、あの日のままなんかじゃない、だって私もあなたも三十年だ。

「三十年も経ったわ、私も白髪あるの…忘れてた瞬間もいっぱいあったのに、なのに今こんなに、」

三十年の時間、ずっと想うだけじゃなかった。
それなのに鼓動はずんで軋んで、ただ熱い。

「もう父はいません、弟も独り立ちしたの、だからだなんて狡い私です、それでも大介が、もし…」

あなたが、もし?

訊きたい、聴きたい、でも恐い。
だって三十年、どんな時をあなたは生きたのだろう?
その時間に自分のことなんて、自分よりずっと忘れてしまったかもしれない。

「もし…」

声にならない、怖くて。
こんな臆病な自分だから、あの日あなたを追いかけれなかった、選べなかった。
だから声にならなくなる、これは自分への罰かもしれない。

「僕こそ狡いですよ、迎えに来なかったんだ、」

深い声が微笑む、その言葉に鼓動また疼く。
こんなに今でも痛むなんて、どれだけ求めていたのだろう?

「勇気が無かったんです、あなたの結婚を知ることが怖くて来れませんでした。だから仕事を理由に逃げてたんだ、」

深い声おだやかな言葉、深い瞳まっすぐ見つめてくれる。
もう白髪まじりグレーの髪、それでも変わらない眼差しが笑った。

「でも仕事のおかげで逢えました、あなたを忘れたくて打ちこんだ料理のおかげで逢えたんです、」

逃げた理由、それが再会を呼んでくれた。
そう告げてくれる声も瞳も時間を越えて、辿りついた再会に微笑んだ。

「大介のレストランほんとうに素敵ね、どれもおいしくて幸せで…みかんゼリーも、」

再会の空間と味、あの瞬間ただ幸せだった。
温かで唯うれしくて、そうして招いてしまった庭で彼が笑った。

「あのレストランで幸せになってください、僕と一緒にずっと…結婚してください、」

穏やかな深い声、瞳、木洩陽きらきら光る。
まばゆい約束の言葉たち、その眼差しまっすぐ抱きついた。

「はい…!」

今こそ連れて行って、どこまでも。
あなたの隣でずっと、唯ひとりの隣どこまでも。

そうして花ひらいて実るとき、その光彩ふたりで幾歳も。
山査子:サンザシ、花言葉「希望、唯ひとつの恋、成功を待つ、厳格」生薬に用いられる


※読切短編の続編になっています。
第2話「睦月十五日、菫ーmodesty」
第1話「睦月五日、三角草ーGuardian」
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