謎、憧れより香り高く
道ひとつ向こう、そこは知らない時間。
「わぁ…」
息呑んで甘い、冴えた芳香に浸される。
頬ふれる冷気は肌を刺す、ときおり光る雪の風。
踏みだす足元さくり霜か雪か、吐息まっ白に凍えて、それでも満ちる香は春だ。
「ここだ、ね…」
声こぼれる黎明、純白ゆれて薄闇きらめく。
まだ明けきらない紫と薄紅の空、あわい闇の底あわだつ白い甘い芳香。
ときおり雪ひるがえす花の丘稜、さくり、登山靴の底くずおれる霜が響く。
誰もいない凍える風の道、静かで冷たくて、それでも花の白きらめいて記憶こぼれた。
「…ワーズワースの天の川だね、お父さん…」
ほら声になる、幼い日いくども朗読してくれたから。
もう遠い遠い時間、けれど幸せの温もり今も響いてしまう。
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,
Beside the lake, beneath the trees
Fluttering and dancing in the breeze.
Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretch'd in never-ending line
ほら記憶の声やわらかに謳いだす、異国の言葉つむいで笑う。
穏やかな深い声と、冷たい風すら温もる眼差し。
「ほんとに星みたいだね…この花たち、」
声こぼれて喉そっと痛む、それとも鼓動だろうか。
隣で父が微笑んでいた時間、芳香くゆらす冴えた甘さ、黎明の闇あわい純白の波。
あのとき見つめた風光また見つめて今、こんなにも近くて来れなかった場所ただ花が香る。
―ずっと咲いていた、僕が来なかった時間もずっと。
想い見つめる視界いっぱい、星の花たち真白に光る。
薄闇さやめく葉ゆらせて響く、ざわめく花たち潮騒に似ている。
ここは海のようだと父は言っていた、それは遠い遠い国の記憶だったろうか?
「おはようございます、」
バリトン響いて、とくん鼓動が跳ねる。
呑みこんだ息振りむいた先、ダークブラウンの髪きらめいた。
「寒いですね、さすが夜明けだ、」
バリトンやわらかに響いて笑いかける。
肩広やかなウィンドブレーカー蒼く翻して、長身すこやかに傍ら立った。
「いきなり声かけてすみません、こんな朝早く人がいるの珍しくて、」
低いくせ透る声が笑ってくれる、切れ長い瞳が自分を映す。
つい見つめてしまう真中、ほろ甘い深い香ふれて唇やっと動いた。
「いえ、あの…びっくりしてすみません、」
「やっぱり驚かせちゃいましたね、すみません。でも人がいてくれるの嬉しいな、」
きれいな低い声が笑って、白皙の微笑ほころばす。
まだ明けきらない暁の丘、それでも透ける眼差しが鼓動ふれた。
「…あの、どこから」
言いかけて詰まってしまう、だって何だか似ている。
遠い幸せの笑顔と。
「はい?どこから来たか、ですか?」
ほら訊いてくれる、言いよどんだのに。
とくん、鼓動そっと軋んだ前で青年は微笑んだ。
「近くからですよ。毎朝よく来ています、ここの夜明けが好きで。君もお家は近い?」
バリトン穏やかに澄んで、切れ長い瞳きれいに微笑む。
その眼差しが記憶ゆらせて、吐息そっと笑いかけた。
「はい、近くです…ずっと住んでます、」
「ご近所さんの先輩ですね、俺はまだ越してきて一年くらいなんだけど、」
低いくせ澄んだ声が笑ってくれる、ほら、記憶よりも朗らかだ。
だからきっと自分の思い過ごし、それとも願望なのかもしれない。
―または他人の空似、だよね…おとうさん?
心裡そっと問いかけて、儚いまま消しこんでみる。
だってあるわけない、そんなこと知らない、それでも切れ長い瞳が微笑んだ。
「朝いつも走るんですけど、越してきたばかりの朝にここを見つけて、詩みたいなとこだなって。水仙が天の川みたいだって詩があるんです、」
今、なんて言ったの?
「…水仙の詩?」
「はい、イギリスの詩なんです、」
おだやかな声が答えてくれる、きれいな瞳が笑いかける。
その言葉に眼差しに響いてしまう、こんなこと、ここで言ってくれるなんて?
「Continuous as the stars that shine And twinkle on the milky way, って一節があって。その続きもまた好きで、」
きれいな低い声が響く、凍える風、冴えた甘い香に透る。
黎明くすぶる闇ふわり、ほころんだ白皙に黄金一閃きらめいた。
「お、夜が明けます。花が光るよ?」
見あげる先、微笑んだ瞳が先はるか見る。
まっすぐな視線きれいで、追いかけ辿らせた視界に黄金なびいた。
「…天の川、」
ほら記憶こぼれだす、黄金きらめく花の波。
はじまりの曙光うつして光る、無垢だからこそ映して染めてゆく。
まばゆくて、それから冷たくて冴えて、そのくせ甘い馥郁の風と、遠い面影の知らないあなた。
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睦月十四日、白水仙―orphic
道ひとつ向こう、そこは知らない時間。
「わぁ…」
息呑んで甘い、冴えた芳香に浸される。
頬ふれる冷気は肌を刺す、ときおり光る雪の風。
踏みだす足元さくり霜か雪か、吐息まっ白に凍えて、それでも満ちる香は春だ。
「ここだ、ね…」
声こぼれる黎明、純白ゆれて薄闇きらめく。
まだ明けきらない紫と薄紅の空、あわい闇の底あわだつ白い甘い芳香。
ときおり雪ひるがえす花の丘稜、さくり、登山靴の底くずおれる霜が響く。
誰もいない凍える風の道、静かで冷たくて、それでも花の白きらめいて記憶こぼれた。
「…ワーズワースの天の川だね、お父さん…」
ほら声になる、幼い日いくども朗読してくれたから。
もう遠い遠い時間、けれど幸せの温もり今も響いてしまう。
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,
Beside the lake, beneath the trees
Fluttering and dancing in the breeze.
Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretch'd in never-ending line
ほら記憶の声やわらかに謳いだす、異国の言葉つむいで笑う。
穏やかな深い声と、冷たい風すら温もる眼差し。
「ほんとに星みたいだね…この花たち、」
声こぼれて喉そっと痛む、それとも鼓動だろうか。
隣で父が微笑んでいた時間、芳香くゆらす冴えた甘さ、黎明の闇あわい純白の波。
あのとき見つめた風光また見つめて今、こんなにも近くて来れなかった場所ただ花が香る。
―ずっと咲いていた、僕が来なかった時間もずっと。
想い見つめる視界いっぱい、星の花たち真白に光る。
薄闇さやめく葉ゆらせて響く、ざわめく花たち潮騒に似ている。
ここは海のようだと父は言っていた、それは遠い遠い国の記憶だったろうか?
「おはようございます、」
バリトン響いて、とくん鼓動が跳ねる。
呑みこんだ息振りむいた先、ダークブラウンの髪きらめいた。
「寒いですね、さすが夜明けだ、」
バリトンやわらかに響いて笑いかける。
肩広やかなウィンドブレーカー蒼く翻して、長身すこやかに傍ら立った。
「いきなり声かけてすみません、こんな朝早く人がいるの珍しくて、」
低いくせ透る声が笑ってくれる、切れ長い瞳が自分を映す。
つい見つめてしまう真中、ほろ甘い深い香ふれて唇やっと動いた。
「いえ、あの…びっくりしてすみません、」
「やっぱり驚かせちゃいましたね、すみません。でも人がいてくれるの嬉しいな、」
きれいな低い声が笑って、白皙の微笑ほころばす。
まだ明けきらない暁の丘、それでも透ける眼差しが鼓動ふれた。
「…あの、どこから」
言いかけて詰まってしまう、だって何だか似ている。
遠い幸せの笑顔と。
「はい?どこから来たか、ですか?」
ほら訊いてくれる、言いよどんだのに。
とくん、鼓動そっと軋んだ前で青年は微笑んだ。
「近くからですよ。毎朝よく来ています、ここの夜明けが好きで。君もお家は近い?」
バリトン穏やかに澄んで、切れ長い瞳きれいに微笑む。
その眼差しが記憶ゆらせて、吐息そっと笑いかけた。
「はい、近くです…ずっと住んでます、」
「ご近所さんの先輩ですね、俺はまだ越してきて一年くらいなんだけど、」
低いくせ澄んだ声が笑ってくれる、ほら、記憶よりも朗らかだ。
だからきっと自分の思い過ごし、それとも願望なのかもしれない。
―または他人の空似、だよね…おとうさん?
心裡そっと問いかけて、儚いまま消しこんでみる。
だってあるわけない、そんなこと知らない、それでも切れ長い瞳が微笑んだ。
「朝いつも走るんですけど、越してきたばかりの朝にここを見つけて、詩みたいなとこだなって。水仙が天の川みたいだって詩があるんです、」
今、なんて言ったの?
「…水仙の詩?」
「はい、イギリスの詩なんです、」
おだやかな声が答えてくれる、きれいな瞳が笑いかける。
その言葉に眼差しに響いてしまう、こんなこと、ここで言ってくれるなんて?
「Continuous as the stars that shine And twinkle on the milky way, って一節があって。その続きもまた好きで、」
きれいな低い声が響く、凍える風、冴えた甘い香に透る。
黎明くすぶる闇ふわり、ほころんだ白皙に黄金一閃きらめいた。
「お、夜が明けます。花が光るよ?」
見あげる先、微笑んだ瞳が先はるか見る。
まっすぐな視線きれいで、追いかけ辿らせた視界に黄金なびいた。
「…天の川、」
ほら記憶こぼれだす、黄金きらめく花の波。
はじまりの曙光うつして光る、無垢だからこそ映して染めてゆく。
まばゆくて、それから冷たくて冴えて、そのくせ甘い馥郁の風と、遠い面影の知らないあなた。
【引用詩文:William Wordsworth「The Daffodils」抜粋自訳】
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