萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.26 another,side story「陽はまた昇る」

2021-01-09 21:47:01 | 陽はまた昇るanother,side story
Of moral evil and of good, 
kenshi―周太24歳4月


第86話 建巳 act.26 another,side story「陽はまた昇る」

誰もいないベンチ、それでも、あなたの居場所。

「…英二、」

呼びかけて歩みよって、右足首ひき攣れる。
疼いた痛覚ゆらり傾いで、ことん、ベンチに座りこんだ。

「っぅ…」

痛み吐息こぼれる、けれど少し休めば治まるだろう。
もう治りかけている傷ふれて、そっと周太は革靴の右を脱いだ。

「…あ、」

ソックスごし腫れがわかる。
見つめる右足首かすかに脈打つ、ずくり痛み這い上る。
いつのまにか早足に無理したからだ、ため息そっと革靴へ履きなおした。

―英二も探せない僕なんだ、こんな時まで、

鼓動ほら疼きだす、不甲斐なくて。
あなたは泣いていた、それなのに探して傍にいることもできない。
ここに来ると、あなたなら今日ここにいると信じて走って、けれど隣いないまま座っている。

―もう寮に帰ったのならいいけど…ただ無事でいて英二、

あなたは帰ったのだろうか、第七機動隊あの寮に。
あの寮で少しだけ共にした時間、あれから半年も経っていない。
それなのに遠い遠い時間に想える、あなたの隣にいた時間こんなにもう遠い。

―同じお店ふたつも行ってたのに…会えないなんて、

今日、ほんの少しの時間差だった。
ラーメン屋、書店、ほんの少し前にあなたは訪れていた。
このまま逢えるかもしれない?願い駆けて追いかけて、このベンチだと懸けたのに。
こんなふうすれ違ってしまう現実に、ほら?雪の森の言葉がふれてくる。

『アイツから話してくれなかったコトに周太はナットクしてないんだろ?ソウイウスレチガイってアイツはね、たぶん埋めらんない男だよ、』

埋められない、そう言った幼馴染はあなたのザイルパートナー。
あなた山の貌をいちばん近くで見ている、そんなひとの言葉いつも真直ぐだ。

「…光一もそう思うんだね、」

ほろり声こぼれて、唇かすかに桜があまい。
深い馥郁あまやかに香る、けれど今ほろ苦くて鼓動しずかに疼く。

―英二はまっすぐなんだ、信じることしかできないし言えない…それだけ意志が強くて、頑なだから孤独で、

あなたのこと数える頭上、薄紅ゆれて香が舞う。
かすかで、けれど確かに甘い馥郁は記憶むせかえる。
いつも咲いていた花だから。

自宅の庭、父が愛した山桜もじきに咲く。
大学にも咲いていた、祖父が植えた美しい儚い染井吉野、もうひとつ父と恩師が植えた山桜。
この新宿御苑の桜もそうだ、新宿署に勤めながら何度も見た、なによりここは、父が最期に見た桜。

―お父さんの命日もうすぐ…もう桜が咲いて、

父の命日が近い、ここの桜が咲いたから。
この庭園の桜に父は消えた、十五年前あの宴の警備の帰りに。
あの夜に起きた強盗事件、その追跡に駆けた父は「狙撃」された。

―ほんとうは殉職じゃない、お父さんは、

警視庁の狙撃手、オリンピック選手にもなった父。
その死が銃による殉職だったことは枷になった、けれど、本当は違う。
だって父は銃に生きたわけじゃない。

「おとうさん…」

花に呼びかけて、瞳ふかく熱くなる。
でも今は泣きたくない、だって可能性まだ零じゃない。

―英二は今日この新宿に来てる、お父さんの命日を前に…だから今日きっと、ここに、

今日、このベンチにあなたは来る。
まだ今はいなくても。

―他の用事があったのかもしれない、でも今日を選んで、あのラーメン屋さんに行ったんだ、

父の死に関わる人、その店であなたは食事した。
あの店主が言っていたからでしょう?

『俺が殺しちまったあの人が、うまいと言ってくれるような、あったけえ味が出せたらいい…そんなふうに頑張らせて頂いています、』

あの言葉、あなたは笑って受けとめていた。
きっと今日も「うまい」と言いにいったのだろう、そんなふう優しい素顔もあなたなのに?
それなのに雪の森、おととい奥多摩で、あなたの瞳ふかく深く冷たくて遠かった。

―あんな貌させてるのは僕のせいかもしれない、それなら今日どうしても、

どうしても会いたい、今日だから。
今日ふたつ同じ場所にいた、時間すれ違っても同じだった。
こんなにも自分はあなたに惹きこまれている、とっくに「ひきずっている」のだから?

『誰だろーが、前の恋愛ひきずってツキアウとか幸せじゃねえし、』

おとといの前夜、そんなふうに友だちは言ってくれた。
あの闊達な聡い眼は優しい、優しいぶんだけ率直に告げてくれる。

―賢弥のことも裏切りたくない、美代さんのことも、

雪ふる奥多摩、あの女の子と交わした言葉。
まっすぐ温かい実直な瞳は、ありのまま笑ってくれた。

『ね、クサレエンのほんとの意味って知ってる?』

朗らかな澄んだ声、どこまでも明るい君の瞳。
あの笑顔に声にどれだけ救われて、僕は今ここにいるのだろう?
だからこそ、あなたにも解ってほしかった。

―美代さんがいなかったら僕は、きっと進学を選べなかった…明日があるんだって思えないまま進めなかった、

あの女の子は今を笑って生きる、まっすぐ明日を信じて進む。
そんな瞳に自分も踏み出せると思えた、そうして叶えたい夢に今日、踏みこんだ。
ずっと幼いころに描いた学問の夢、植物学の世界、文学の道、その光が今日まぶしかった。

だから今日あなたに逢いたい、こんな自分だと見てほしい。
ありのまま今の自分を見て、ふれて、どうか僕の声を聴いて?
そうしてお願い、あなたの声を聴かせてほしい。

―英二、あなたの本当の声を聴かせて?

願いごと見あげる頭上、薄紅あわく花が光る。
やわらかな午後の陽きらめいて白い、あの光どれだけ時間あるだろう?
そっとスーツの袖ずらして左手首、馴染んだクライマーウォッチに微笑んだ。

「まだ2時間はある、ね?」

閉園時間まで2時間、あなたは「まだ」来られる。
残された時間そっと微笑んで、書店の袋かさり開いた。

―この時計も英二にもらったんだもの、だからきっと、

願いごと心つぶやいて、買ったばかりのページ開く。
つづられるアルファベット眺めながら、遠く、穏やかな詞がふれた。

When,in a blessed season
With those two dear ones-to my heart so dear-
When in the blessd time of early love,
Long afterward I roamed about In daily presence of this very scene,
Upon the naked pool and dreary crags,
And on the melancholy beacon, fell
The spirit of pleasure and youth’s golden gleam-
And think ye not with radiance more divine
From these remembrances, and from the power
They left behind?

おだやかな風、かすかに甘く深く馥郁ゆれる。
まだ右足首かすかに疼く、けれど読み終わるころ和らぐだろう。

そうしてまた走ればいい、明日を見つめて。
そうして明日の先を見たい、あなたの瞳も。

(to be continued)
【引用詩文:The Prelude Books XI,257-388 [Spots of Time]より抜粋】

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