萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

水無月朔日、萼集真藍―modest crown

2021-06-02 14:30:00 | 創作短篇:日花物語
追憶よりも、今
6月1日誕生花ガクアジサイ萼集真藍


水無月朔日、萼集真藍―modest crown

弾く光、雨がふる。

やわらかな音きらめいて敲く、絶え間ない雫。
ふりつもる雨また窓明るんで、ページ繰らせパソコン敲く。
キーボード踊る指すこしも止めたなら、思いだしてしまうから。

『おちついて聴いて…おとうさんが』

たたんっ、雨音かろやかに弾けて消える。
あの瞬間も雨が降っていた、その雨が父を連れ去った。

『調査で、水源林…地すべりが』

図書館のかたすみ、震えた携帯電話、母の声。
そして駆けだしたキャンパス、私を叩く雨の音。

「はぁ…っ」

深呼吸ひとつ、ふっと肩すこし楽。
それから唇かすめる古書の匂い、ほろ苦い、少しだけ甘い香。
乾いて、そのくせ湿気くゆらす匂い安堵する、でも思いだしてしまう。
だって、あのとき図書館にいて、今、懐かしい母校の図書室にいる。

―おとうさん、最後に読んだ本は…

ほら心裡もう語りかけてしまう、でも、あの瞬間まっ白だった。
あれから8年、もう七回忌も過ぎて、それでも入梅の雨は叩く。
あのとき図書館で大学生、今は司書で高校の一室、でも同じ雨。

―あの山も雨だろな、今…あの花も咲いて、

ふりつもる光と音たたく窓、雫ゆらす花に風光そっと写りこむ。
あの場所で見た山の花、この雨に光って咲くのだろう。

『お父さんは笑ったよ、きれいだなって…娘に見せたいっておしゃってた、』

父の同僚が教えてくれた、最期の言葉。
それは苦しみでも哀しみでもない、ただ世界を見た言葉。

「…お父さんらしいね?」

唇こぼれて声になる、ほら、呼んでしまった。
こんなふう幾度もう零れたろう、きっと空こぼれる雫のせいだ。

かたんっ、

椅子ひいて立ち上がって、書架のあいだ歩きだす。
雨光る窓そっと錠ふれて、かたり、開いたガラス雨が香った。

「ふぅー…っ」

深く深く息吐いて、そっと雨が匂う。
ほろ渋い、かすかに甘い冷たい風、やわらかに澄んだ草木の香。
あの山もっと草木こまやかに香るだろう、この香が父は好きだった。

『翡翠色に光ってるみたいな香だろう?これが君の名前の意味なんだ、』

あんなこと言う父は、たぶんロマンチストだ。

「読書家だったものね…だから私も本好きなんでしょ?」

薫る風に微笑んで、声ひそやかに解けていく。
この声どこまで届くのだろう?
はるか空まで、彼岸まで?

『合格おめでとう!学部違うけど後輩だなあ、』

ほら記憶の笑顔きらめく、声が笑う。
あんなに笑ってくれた瞳、はずんだ声、大好きだ。

「ありがと…おとうさんのおかげだよ、」

ひそやかに声こぼれる、にじんで光る花ゆらす。
もっと言えば良かった、伝えれば、もっと伝えたい笑いたい。
それでも叶わなくなってしまった時間の果て、声ひとつ呼ばれた。

「原嶋?」

低いくせ透る声、なつかしくて知っている。
そっと呼吸ひとつ、目もと拭って振りむいた。

「あ、田中くん?」

笑いかけた窓辺、ジャージ姿の肩が広い。
こんなに背が高かったろうか?昔の同級生に微笑んだ。

「なんか難しい貌してるね?教材探しに来たの?」

笑いかけて見あげる視線、昔より角度が上だ。
高校卒業しても男性は背が伸びる、そんな事実の顔が傾げた。

「原嶋こそさ、どうした?」
「え?」

尋ねられて見つめた真中、シャープな瞳に自分が映る。
切長い鋭利な目もと、そのくせ穏やかな眼がすこし笑った。

「そんな貌するんだな、原嶋も、」

低いくせ透るシャープな声、でも柔らかい。
こんな雰囲気だったかな?そんな10年前の同級生に微笑んだ。

「そんなカオって、私はこういう顔だけど変?」
「変じゃねえよ、なに?」

即答すぐ返して、シャープな瞳ちょっと笑ってくれる。
どこか不器用、そのくせ優しい眼ざし温かなままで、嬉しくて笑った。

「そういうの田中くんらしいね?変わらない、」

なんだか嬉しい、変わっていない君だ?
つい笑ってしまった前、切長い瞳がやわらかに微笑んだ。

「原嶋はちょっと変わったけど、なんか、いい、」

シャープな切長い眼、そのくせ穏やかに温かい。
この空気が居心地よかった、そんな昔のままに微笑んだ。

「そうだね、私、ちょっと変わったと思うよ?」
「うん?」

肯定して、穏やかな瞳が見つめてくれる。
こんなふう高校時代も話していた、懐かしくて、ただ嬉しくて言葉こぼれた。

「父が亡くなって、変わったと思う…」

あ、こんなこと言うなんて?

「…こんな日だったんだ、梅雨に入る雨の日で」

あ、こぼれてしまう唇から。
こんなこと言うつもりなんて無かった、だって退くでしょう普通?

「ごめんね、なんでもない」

否定すぐ笑って見あげて、けれど逸らされない。
逸らさないシャープな瞳まっすぐ自分を映して、静かに微笑んだ。

「なんでもなくねえだろ、」

低いくせ透る声そっと響く、雨音まだ揺れるのに。
雫きらめく窓のほとり、ジャージの腕ゆっくり伸ばされた。
あ、手にふれる。

「座ろ、」

ぼそり君の声、私の左手ふれて繋いでくれる。
くるまれる温もり大きな手、武骨そっと鼓動ふれた。

「手…大きいね、田中くん」

言葉こぼれて視界ゆれる、滲みだす。
こんなふう手を繋がれた記憶、父が。

『気をつけろよ、ほら?岩が滑るだろ、花を見るのは渉ってからだ、』

父の仕事場、あの山を歩く幼い時間。
あの渓谷、水きらきら青く碧く輝いて、飛沫ゆらす花の光。
あんなに笑って安心して、すべては父が繋いでくれた大きな手。

「手、大きかったんだよ…うちの父」

声ほら零れだす、堰ゆるやかに解けていく。
だって繋いでくれる掌が大きい、武骨で温かで、もう瞳が熱い。

「原嶋の父さん、イイ男だろ?」

訊いてくれる声、ほら温かい。
低いくせ透って鼓動ほどかれる、その瞳に微笑んだ。

「うん…流行りのイケメンと違うけど、カッコイイかな、」
「へえ?」

すこし笑ってくれる視線、ほら温かい。
ゆるやかに視界にじむ、熱こぼれる、それでも逸らさないでくれる視線。
こんなふう昔も見つめてくれた、ほら?言葉よりも伝えてくれる温もりふれる。

「田中くん今、ファザコンって思ってるでしょ?でも…しかたないじゃない恩人だもん」

温もりに唇ひらける、言えなかった聲こぼれだす。
こんなこと言うなんて重たい?けれど切長い瞳は見つめてくれた。

「恩人って娘に言われんの、すげえイイよな、」

ほら肯定してくれる、君はいつもそうだった。
否定なんて知らないの?そんな実直に微笑んだ。

「すげえいいかな?」
「うん?かなりウラヤマシイけど、」

訊き返して、肯定と笑ってくれる。
巧い言葉でもない、そのくせ少し似ていて笑ってしまった。

「田中くんホント素直だよね、見た目ちょっとコワイのにね?」

素直だった父、素直だからロマンチストだった。
あんなふう言葉が綺麗なわけでもない、でも何か似た瞳が笑ってくれた。

「コワイとか面と向かって言うか?」

明るい眼差し笑ってくれる、そこだろうか?
やわらかな空気ただ嬉しくて、素直に笑った。

「ほんとに怖かったら言わないよね、背が高いし眼も鋭いけど、」
「あー、厳ついは言われる、」

肯いて、ちょっと困ったような瞳が笑ってくれる。
この貌なぜだろう?ずっと不思議で尋ねた。

「田中くんって、ちょっと困ったみたいな感じで笑ったりするけど、なんで?」

10年それより前、出会った時もそうだった。
ずっと訊いてみたくて、その質問先が首傾げた。

「うん?…あー…」

切長いシャープな瞳が自分を映す、まっすぐ澄んだ視線。
そのくせ唇もどかし気、ほら、この貌だ?

「田中くん、今すごーく困ってる?」
「うん、」

笑いかけて、ほら肯定すなおに頷いてくれる。
こんなところ変わらない、そして少しだけ似ていて、ただ嬉しくて笑った。

「ありがとう、なんか元気になれそう、」
「うん?」

ほら?頷き返してくれる、ちょっと困ったような真直ぐな眼。
この視線がきっと居心地よかった、そんな高校時代のほとりに腰おろした。

「窓の風いいな、」

低いくせ透る声が微笑む、あのころと同じで、すこし深い。
強いけれど穏やかで静か、そんな声に微笑んだ。

「この窓開けて座るの好きなの、高校の時も今も、」
「うん、よく座ってたな、」

肯いてくれる瞳が温かい。
鋭いくせ穏やかな静かな眼、声、どこか不器用で、けれど優しい空気。
こういう同級生だから話しやすかった、懐かしくて、今もゆるやかに温かい。

「雨、もうじき止みそうだな、」

窓やわらかに風が匂う。
かすかに渋くて、ほろ甘い優しい空気。
萼集真藍:ガクアジサイ、花言葉「辛抱強い愛情、謙虚」


※読切短編の続編になっています
「皐月朔日、鈴蘭ーvisage」
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