「彼女、過去に異常な性体験があるのではないか?」同人誌仲間の橋本銀次が言う。
「あんなに、ふざけた女はいない」同意するように水島進一が徹の顔を見詰める。
「徹君、彼女に本気で惚れているのか?」橋本は徹の横顔を確認するようにずり下がる眼鏡を人指し指で押さえる。
「あの人滑稽に見えるけど、変に鋭いのね」徹は治子の橋本に対する感じ方に苦笑いを浮かべた。
水島の滑稽さは眼鏡が顔にフィットしていないためなのだろ。
詩の同人詩仲間の中では、橋本は外見に似合わず辛辣な批評家であった。
学生結婚した橋本は23歳で既に2児の父親であり、彼の詩に子どもへの情愛が投影されていた。
だが、大学の同窓生と妻の浮気を知ってしまった哀しみが、生活の背後に隠されていた。
詩では食べていけるわけではない同人誌仲間たちは、様々な職業に就いていた。
また、学歴もまちまちで中卒の者もいた。
「俺は大学で文学をやって来た人間を信用しないんだ」と徹らに皮肉を言うのは森田康太。
彼は印刷工場で日々、新聞を刷する輪転機を扱う油塗れの仕事で、何処か気持ちが屈折した。
美貌であることから、同人誌仲間から注目されていた治子は赤坂のナイトクラブのホステスであった。
赤坂のパブでピアノの弾きながら歌っていた野村直喜が治子がホステスたち3人とナイトクラブから出て来るのを、たまたま見かけたのであった。
安い給与で働く同人誌仲間にとっては、赤坂の高級ナイトクラブは無縁な世界であった。
「私は、贅沢な生活がしたい女なのね」母子家庭に育った徹は、贅沢な生活を望む治子を理解できなかった。
大阪・堺の老舗の3女の末娘と治子は徹に告げていた。