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よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

東北新聞BAGプロジェクト。大団円で終了!

2014年02月02日 | 復興プロジェクト

早いもので、今年もひと月終わりました。
先月は風邪に苦しめられしんどかった。
たくさんのご心配ありがとうございました。



昨日、今日とチーム四万十来訪。

今回が今シーズンラスト、最終回。


先日の高知会議後の地元の反応などを踏まえ、

代表曽木さんのアイデアで、普段折り子として関わってる地元インストラクターが参加しやすい場所をと

岩出山で初日の会議をやりました。






なぜニューヨーク? 

を言う前にあえて海山の立ち上がりの話から、四万十へとつながり、

そしてタッグを組んで進行するプロジェクトまでを冒頭に振り返ってスタート。

四万十は総大将・畦地さんを始め、梅原先生、ともこねーさん、洋行さんと、スペシャリスト揃いでもあり、

まだまだ見劣りする我々海山との関わりは、ともすれば四万十主導と思われがちなのは仕方がない。

ねーさんの言葉が印象的。

「始まった三年前から”タノシムチカラ”をキーワードにやってきた。

 ”タノシム”というと遊び半分と誤解されがちだけれども、ものごと進めば必ずカベやトラブルは付きもの。

 そこを、メンバー皆であえてアタマにアソビ(余白)を持つぐらいの気持ちで知恵を出し合い、

 一つ一つ山を超えてゆく。これがタノシムというエネルギー」

その言葉通り、出会って以来、年に5,6回、一度に3日ほどじっくりと私達の現状に耳を傾けてチカラを貸してくれてきました。

それは「こうすればええやんっ」というものではなく「仲間」として接してくれた。

出来ないよ、ふつうこんなことは。お金をもらったって出来ない。

それが、ホントにうれしかった。。。

初めて会議に参加した折手のおばちゃんが発した会議終わりの言葉が全て。

「な~~~んだってやぁ!ず~っと、えら~ぐ高知の人らに世話んなって来たんだっちゃ!
  
  それがよ~~~っくわがった! 恩返ししねくてねー!」



まずそのホントの一歩が新聞バックコンクールinN・Y。

関わるものみんなで東北から、どんな新聞バックコンクールをやりたいのか、

タノシムココロ全開で出し合いました。

なんでニューヨーク?の根本はここ東北新聞BAGのコンクールをどんなものにするか。

それはつまり継続。仕事としてスタートした仕事である新聞BAGを継続するための仕掛け。

これが発端。

そして、はじまりの四万十があり、今では350人を超える新聞BAGインストラクターがいる。

そんな御縁がさらに加わったら東北の為の新聞BAGの切り口や見方がたっくさん出来る。見つけられる。

まさしくこれが根っこのカタチ。

振り返れば海山も「海も山も顔会ってないだけでお互いに支えあってきた地元だろう」と始まった共に興したプロジェクト。

そこに四万十が同じ気持で地方のご縁で加わってくれた。

なら今度は共に発信しようよ、どこに向かってくんだ!?「ニューヨークだろう!」という梅原先生のコトバでみんな、腑に落ちた。

四万十についていくのではなく、テーマの中心といえどまだ難しいところも沢山ある東北が舞台でもない、ともにタノシムチカラ全開で望める場所。

それがニューヨーク。


発信はでっかく、作る価値は小さくともしっかりと確実に。

自営業を通じてずっとアタマにあったコトそのまま、梅原先生もズバリ!さすがでした。



初日。沢山のアイデアが出て盛り上がって終了。





夜は最後ということもあり、鳴子温泉にて大交流会。



いつものようにワイワイたのしく、そして学びの第二弾。

ねーさんのマル秘プレゼンテーション付。

これはほっかぶりにすごくヒントになる素晴らしいもの。

ぜひともカタチにしたいものです。

今回は後半三時間は歌いっぱなし! はっちゃけぶっちゃけ気づけば日付が変わってました(笑)。



今日一番うれしかったのは、鳴子に住むインストラクターK條さんが、これまででいっちばん!心から楽しい顔でぶっちゃけてたこと。

いつにもまして記憶に残る一日になりました。





明けて2日目。

結局帰れずに鳴子に私も泊まってしまってみんなと一緒に出発。

古川に移動して会議。



気仙沼から小野寺くんも合流し、まとめの会。





ここからが本番。

千里の道も一歩から、の精神で、こっちの仲間と少しずつニューヨークまでの階段をカタチにしていきます。

みなさん、ふつつかものな私ですが、どうぞチカラを貸してください!

よろしくお願いいたします!






しまんと新聞ばっぐtoNEWYORK 旗揚げ会議!

2014年01月21日 | 復興プロジェクト






2年ぶりの高知。

濃厚な二日間でした!


チーム四万十、そして全国から集合した新聞バックインストラクターの方がた、二日目の今日は銀行さんまで入って濃密な会議。

ニューヨーク、は手段。の手始め。

それは当事者としての地元の復興、地方の復興。が根っこにはある。

新聞バックという手仕事を通じて共感する価値は、日本らしさを多分に含む、我らのタカラモノ。

無いものを無理やりカタチにするのではなく、小さいけれど確かなモノを共感からふくらませる。


簡単、では決して無いけれど、やりがいとしてはこれ以上ないでしょう!


来年ニューヨークに行きます。

自分たちの一歩を世界に発信してきます!



沢山報道関係の方も来て頂き、さっそく今朝複数誌面を飾りましたー!なんというプレッシャー!






恒例の楽しい「飲みもって交流会」も濃密すぎて、余分な時間は一切なかったけれど(笑)、

帰りはねーさんに高知自慢のうどん屋を紹介してもらって腹いっぱい食い、

RIVERの松尾さん、武藤くんに高知市内を一望出来る五台山を案内してもらって帰途につきました。




やるぜよっ!

キャプテン・梅原JAPAN!!!

2014年01月20日 | 復興プロジェクト

ごめんなさいヾ(@⌒ー⌒@)ノ

ベロベロでーすヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3












しまんと、で始まった新聞バッグ。

東北に遺伝した新聞バッグ。

日本人、で共有できる新聞バッグ。


が、梅原JAPANとして世界へ発信!


そんなスタート会議!



復興!地域活性化!ほっかぶり!

わかる!?

ぜ~んぶ、根底には通ずるタマシイがある!


やるどっ!!!

オラは東北を変えるひとつの核になるっ!!!


と、決意した!


キャプテン・梅原!、、せんせー!


ごっつぉーさまでした(≧∇≦)



サイコーに楽しい一夜です!




海山ネットの未来。

2013年12月24日 | 復興プロジェクト


本日は海山代表・曽木さんと仙台へ。

午前は旅行会社にて新聞バック制作を取り入れた旅行プログラムの話、

午後は知り合いの会社にて海山組織化への相談。


どっちも信頼出来る方との話だったので、ざっくばらんで楽しい時間でした。

モノ、コトの向うにはやはりヒトがあり。

海山の活動そのものもホントの核はそこにある。

だからこそ、ゼニカネ抜きで共有できるかが未来へ繋がるキーワードになる。

ポリシー。

全部、抜きにして今はとてもそこがタイミング的に大事な時代だと強烈に感じる。

ゼニカネ時代はまもなく一回終わる。



まだまだ進化するな。

充実した一日でした。

デザインってすばらしい。東北新聞バックプロジェクト最終章へ。

2013年11月28日 | 復興プロジェクト


昨日に引き続き、朝から会議。

本日は陸前高田の服部さん、気仙沼の小野寺くんも合流して。




四万十で始まった新聞バック。

震災があって東北もそれを教わり、東北発の新聞バックが歩み始めた。



エコだよね! 身の回りの道具で作れちゃうもんね!


それだけではないんだな。をシミジミ実感。


資本主義、という世の中で、お金を中心に回ってきた。

それは豊かさという意味ではわかりやすい指標なのかもしれない。


けど、こんなに複雑になっちゃうと、お金以外での価値って表現もしずらいし伝えづらいし難しい。



それでも新聞バックに感じるものがあった。だから続けている。


すると、今回の震災で感じたもの、いいな、ダメだな、こうしたいな、こうあってほしいな、、、、、

いろんな想いが新聞バックを通じて発信され、沢山の共感する人たちと繋がってきた。


それを、まるごとデザインしちゃう梅原先生は偉大だ、とてつもなくそう思った。

モノの見栄えを作るデザイナーはたくさん、自分なりに会ってきた。

今日も「あ、自分とおんなじことを思っている」とはおもったけれど、そこまでの過程がやっぱりプロ。

梅原先生は違った。別格だった。

今回のような参加する人もさまざまなら事情もそれぞれ、そして描く未来はこんな感じ。。。。

それをものの見事に聞いてくれて咀嚼してくれて、デザイナーとしてみんなの気持ちをまとめあげ、共有できる一つに集約してくれた。

まさに、風景をのこすデザイン。

今オシャレだからとか品がいいとか、目指す目線を形にするだけじゃなくって、まさに根っこが張ったその大地からまるごと。

スケールが違う!

すごい!

あたりまえかもしれないけれど、こんな感動は初めてのことだった! 背筋がブルっときた。




それで導かれたのが新聞バックのコンクール、ニューヨークでやっちゃおう!

やっちゃおう!と書くとオモロイな。で終わっちゃうけど、

これはものごっつい真剣さがあって、これが成立して初めて、、

被災でタイヘンな人も、それを助けてきた人も、そんな人たちを内包した地域も、それを応援した遠くの人たちや地域が、



ひとつのチームになる。



これはとてつもなく大きな意味をもつ。

共感する価値を同じくするチームに。


そこにたどり着いてはじめて、このプロジェクトが完成する。




挑戦だ。


これは、海山もほっかぶりも、たぶん、自分と共感するあらゆるみんなが共有する価値だし、

それは自分で言えばよっちゃん農場とも深く関わる大プロジェクト。


やるのみだ!

楽しみだ!