よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

諸々動き回る。

2012年01月31日 | Weblog


今日は、まさに雪国ど真ん中にいるかのごとく雪が積上る一日。


久々に早朝から加工場へ。
寝ぼけをギュギュッと押し込めて集中。

途中抜け、道の駅に社長を訪ね新聞バックのご提案他、諸々ご相談させて頂く。
次世代会議も含めて、集約に向かわせるべく自分なりのアイデアなどに意見を頂いた。

帰ってすぐ加工場にこもりカミさんと猛烈に詰めて詰めて、ひたすらよっちゃん充填作業!

夕方前に何とか終わらせ、今度は大粒の雪が舞う中出荷組合理事長宅へお邪魔する。
次世代会議を明日に控えてこれまでご報告と、私の考えとを話させて頂き、
また改めて理事長たち集荷組合中心世代の想いも含めてじっくりとお聞きする。


非常に頭が疲労…

明日に大まかな方向を決定する予定。


私の想いとしては、今年から楽チン気分ではダメということと、
どんな会議であれ、その家族、立場、想いを抱えて出席し、それを出力するだけでは前に進めもしないし
形になるにもほど遠い。
次世代会議の立ち位置を自分たち本位で主張するだけでは広がりがないし、誰の協力も得られない。
それは世代が違う、考え方が違うで終わらせたのでは、あまりにもったいない。

好きな事をやるには、形にするまでの紆余曲折が貴重なストーリー。
やる前に気分だけで動いてはそれすらも生まれない。

とにかく私が求めるのは場に参加する一人一人がそれぞれをぶつけ合うだけではなく、
全体を意識しながら物事を進められ、関われる状況。
意見は違って当たり前、同じだったら気持ち悪い!

あ~しかし、
そのスタートラインの線を引く事がこんなにもしんどいなんて


ま、ありがたいってことで…。

バレンタインの包装に新聞バックはいかがでしょう!?

2012年01月30日 | Weblog


激寒から一夜明け。
友達には水道管が破裂し、部屋が水浸しになったとっても可哀想な事態も。
まー凄い。


急遽、午後一で海山ネット仲間のKさん事務所に向かい会議。

活動の核である新聞バックの企画の話。
3月にイタリア・ミラノで開催いただくイベントへの写真選別。
布小物の展開について。

が議題。



どうですか!
南相馬から鳴子へ避難し、今や新聞バックインストラクターとしてメキメキと腕を上げているKさんの試し折り。
以前にTwitterでも募集をさせていただきましたが、その際、外国語の新聞以外に、
サイズの小さい、ん~(ど忘れ)、こっちでいう夕刊フジみたいなサイズのカラフルな写真が多いタブロイドも
沢山送って頂き、それを使って折ったものです。小ぶりです。

で、これをバレンタイン~ホワイトデーの贈り物を入れるバックとして売り出そう!
とメンバーが発案して形になりました。
既に百貨店からも引き合いが来ており、明日も一カ所売り込みに行く予定です。


そして布小物。


これも仙台のとある手芸の先生が、こんなふうにしたらどうか、と作って頂いたものが届きました。
これもTwitterでみなさんから布を頂き、
中でも登米の県職員Tさんの茶道の仲間から沢山頂いた和布を活かして頂きました。

私、この方面には疎いのですが。
みなさまから頂戴した布、頂くそばから南三陸の縫製工場に働いていた方々に
腕カバー、コースター、エプロンなどに縫ってもらい、我々山の手がそれぞれの販売ルートで販売。
代金から縫い賃としてお渡しする形をとってかなり売りました。

が、手をかければかけるほど、ではないけれど、イベントによって売れ筋も違うし、
支援イベントのテンションも刻々と変化していく中、好きな様に作ってもらってすんなり販売に、
とはいかなくなりました。
沿岸部のみなさんが、大変な生活の中、自分が得意なものをと一生懸命縫ったもの。
それと、やはり「売れる」というは別物です。

特に和布はとても質のいいものを頂いた事もあり、何を作るかについては
かなりメンバー間で悩みました。
その点、海山に関わっている海の手は縫う技術はピカいちなので、あとは「売れ筋」をどう判断し、
いい素材をどう加工するのか、本当にSさんを先頭に悩んできました。


そしてサンプルとともに、この先についてもアドバイスを頂きました。
ブランド化してはどうか。


その点、慎重に話し合いました。
新聞バックも、布も、海山の商品として活躍しています。
が、頂いたものは間違いなく「我々の活動に対する周りのみんなの支援」、それが原材料になっています。

それをブランド化というのは、違う。

我々はその他多数の復興支援プロジェクトとは違います。
システムを作ろうとは思ってません。
あくまでも、自分たちが縁あって繋がった人たちを、出来うる助け合いの中でバックアップしていこう、
それが基本理念です。
んだって一人が一人を支えるってことは大変な事で、生半可では出来ないし、
それぞれが生業を維持し、先の見えない中ではとても責任も持てない。

その中で新聞バックを始めるにあたり、四万十とつながり、
Twitterがあったお陰でみなさまから本当に沢山の新聞、布を提供頂いています。
それを使った経済活動をして行く中で、それを生業にするかどうかは『海の手山の手』という全体枠であるまえに、
そのメンバーが決める事。決めたら勿論バックアップはしますが
今一生懸命海の手が夢中である事を広げて上げるだけで、山の手は目一杯です。
それに復興はそんなに簡単なことじゃあないし。
だからこそ、海の手山の手「ネットワーク」なんだと考えています。



でも、ありがたい。
何とかしてあげたい!と、声をかけてくれ、わざわざ考えてアドバイスを頂いたのですから。

ま、一番は新聞バックであれ、布小物であれ、作り手の海の方々が一生懸命楽しんでやっていること。
それが無かったら海山は意味ないもんね~。






第一回カラオケ大会。

2012年01月29日 | Weblog

昨日から鳴子に宿泊。
数年前から、鳴子と福島を毎年交代で渡り歩いており、
今年は鳴子の温泉へ。

今年はカミさん家族も増やして盛大に新年会を!
と画策したものの、人数が増えれば予定が合いにくく、
結局は通常通り、ウチ、弟家族、義妹ご両親に落ち着く。

昨年から鳴子に縁が濃くなって、最近仕事でちょくちょく行っては
帰りに温泉ひとっ風呂浴びて帰るのが通例になりつつあるけれど、
やっぱり宿泊はひと味違う。

何度も入れる。
着替えが浴衣。

ゆったりと入れるこの利点は大きいね

今年は夕食時、親父の意向で『カラオケ』を導入。

そして
「んで、カラオケでも…」
という展開から発展し、ただ歌ってもおもしろーないっ!
とカラオケ本をめくると「採点機能」を発見!

では一人千円ずつ出して最高得点者総取りの歌合戦方式に急遽変更!

がぜんテンションがあがりました。



親父、義妹父、義妹母と演歌三連発、得点は60代、70代。
そして私。
昨年私の中でヒットしたBEGIN『オジー自慢のオリオンビール」を熱唱し、
一躍トップに躍り出る『87点』を叩き出す!

この時点で「よし、こづかいゲットは間違い無し」と半ば確信。

が、後ろに控えるカミさん、そして義妹が強敵。

続くカミさん、忘れちゃったけれど歌謡曲を歌い、
さすがに友達とカラオケワンセット6時間を平気でこなす歌好きで、上手。
(や、やばい…)
と一瞬覚悟するものの結果「78点」で届かず。

最後の義妹…アン・ルイスを選択して熱唱!
そして!!
「89点」
で大逆転勝利となる。


絵に描いたような展開…あと一歩だったのに…



最後はケータイゲームでカラオケそっちのけだった甥っ子が一本締めで宴会は終了。

来年の福島大会は頑張ります

やはり…

2012年01月28日 | Weblog






今夜は弟一家、義妹両親と鳴子で一泊新年会。

一次会まではカラオケで盛り上がりました。

…部屋呑みに移るとやはり原発の話題に。

義妹の両親は福島市内で果樹をやってます。

で、書けない話もたくさん聞きましたけど、
除染の為に果樹の木の皮を削り、
その作業賃を補填され、
けどもその「剥いだ皮」は「剥いだ木の根元」に捨ててよい、というのが
国の指導だという…。

なんとも虚しい…。

酔いも覚める。
生きる為に食を生業にしている。
生活をたてるために一生懸命働き、
美味しい、と言っていただく為に工夫し、
やるからにはよりいいものを!や
と試行錯誤してこれまで頑張ってきた。
筋が通っていると思う。

けど、
今の、あらゆる状況が複雑に過ぎて、
すっきり「何処に向かっているのか」
を、みーんな意識出来なくなってる。

だからこそ、
在り方、を言える人は限られるんじゃないかと、思う。

中途半端ですみません。


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菊、二年目へ。

2012年01月27日 | Weblog



昨年、縁があって知り合った南三陸の菊栽培スペシャリストOさん。
そんな彼に親父が教わりながら、1年目とはいえ小菊、輪菊共に始めてにしては
キチンと数字が残った花卉栽培。

今年も二年目に挑戦するべく、菊の株は二重にしたハウス内で順調に冬越ししています。

震災はあったけれど、Oさんご夫婦も今は不便な仮設の中で、
長年続けて来た菊の栽培を今年も再開するべく計画しているようです。

支援をする・される という以前に縁だなぁ~と思える関係。

それでいいんじゃないか。と思っています。

そうじゃないと、続かない。
続けようと思っても自分が病んでしまったらしょうがないもの。