よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

今年も沢山、ありがとうございました。

2011年12月31日 | Weblog

新年まで15分。

早朝から餅をつき、少しでも正月らしさを、と沿岸部へ当日発送。
最後に想いを込めてつきました。

そして、あの3.11の日に商談していた取引先に納品して今年の仕事締めでした。


毎年締めは同じ想いです。
今年も沢山の良縁をありがとうございました!

大変な大震災がありましたが縁が今年も支えてくれました。
震災後、動けたのは友人、知人の励ましのお陰。

私なりに立ち上げた海の手山の手ネットワークですが、
それも私に対する周りからの声のおかげ。

現地を見て「…」と絶望したところに、
GAIAPLAINPEOPLEなど、取引先のスタッフがみんなで出し合って送ってくれた支援金。
それを受け取ったのがキッカケでした。

「俺も出来る事をやろう」

その後もたねの森が中心となる東北応援隊からの助力。

そのお金は復興プロジェクトに活かさせて頂いています。

また、ツイッターから始まった、布募集に応えてくれた方々にも感謝を申し上げます。
毎日のように届く布は、確実に役立たせて頂きました。

そして四万十ドラマにも、
プロジェクトの核である新聞バックの他、地域として学べる事が多かった。

なにぶん未熟で、そんな応援に、十分に応えたとは言いがたいこと多数です。

けれど、本当に、応援下さった全ての友人、知人、取引先、お初の方、全ての方に感謝申し上げます。



現地に居ると、復興の実感は毎日変わります。
やっぱり今でも現実と報道の乖離には違和感がある。
復興なんて、まだまだ先の話です。

けれど、自分が感じたショック、そして支えられた有り難さを、忘れずに今後も歩みたいと思います。
小さいかもしれませんが、それが今年を活かす、自分に出来る最大なんだと思います。


来年は、もっと厳しくなると思う。
原料が切り替わる加工品の放射能検査など、
考えるだけでゲンナリしちゃいます。

が「前進」する一助な存在になれるように、前を向いていこうと思います。


どうぞよろしくお願い致します。




 今年もありがとうございました。

夜わり。

2011年12月30日 | Weblog


やっとウチに入った。
年の瀬というのに、晩ご飯をかっ込み加工場にて夜わり(よわり)。
方言だと思うけれど、夜仕事を小さい頃から「夜わり」と親父がいうのを聞いていた。

夜わり、は身体にキク
昼間に大粒の雪が舞う中、餅を4臼(8升)ついたのもけっこうしんどかった。。。


母親が健在の頃、ウチは菌床のナメコ、シメジを作っていた。
その頃は兼業農家だったので、親父、おふくろ共に昼に勤めて晩飯食ってから夜仕事、
というのが当たり前だった。
近所の人たちに来てもらい、採ったナメコの軸を切る仕事を私ら兄弟もよくやったっけ。

親戚の不祥事のおかげで、両親はとても大変な時期だった。


改めて、親はスゲーな~と尊敬。。
その力はまさしく「親」だったからだろうな。

ありがたい。

そんな事を思った大晦日イブ。



生姜湯を呑んで寝ます。

ちょっと振り返る。

2011年12月29日 | Weblog

カミさんは大量の餅を出荷がてら、今年最後の直売所の当番へ。

今日は「29日」。

全く逆に解釈している地域もあるけれども、
この辺りでは年末のこの日は「九日モチ」は「苦をつく」からダメ、
といういわれがあるので餅つきはお休み。

私は年始に納品予定のOEMよっちゃんボトルの充填に終日加工場にこもる。
まだ目標の1/7が終わったのみ。。。正月はあるのだろうか…。。やばい。。。



手はしっかり動かしつつ、頭では今年を少しずつ振り返ってみる。
濃密だった。来年はもっと濃密に。。



つきまくりっ!

2011年12月28日 | Weblog

餅つき、が追いつかない。足りない。。。

所属直売所のひとつで、これまで出荷していた同級生が今年から休む事になり、
うちに注文が集中。

このところ毎日2ウス(4升)~3ウス(6升)を、合間を見てはついている。





いつもは私がつき、カミさんがあいどり(もちつき用語で"助手?")という役割だが、
カミさんもさすがにキツくなって来たので、今日から私と親父で親子競演。
立場は変わり、親父が"つき手"、私が"あいどり"に。

実は私はこちらの方が得意。
あいどりは結構難しく、中腰という体勢がまずキツい。
そして"つき手"のリズムを崩さないように、
また、頭をカチ割られないようにリズムよく餅を返していかねばならない。
その「呼吸を読む」のが得意なのだ。

が、大衆の前でやる時はカミさんにはかなわない。
リズムをとってアドリブで掛け声をかけたりというパフォーマンスでは、
残念ながら彼女の方が一枚も二枚も上手。。

そういえば結婚式でもやったっけなぁ~。。。


直売所からは「機械でどんどん量産してよ~」と言われるが、やっぱり杵つきしたい。

数年ぶりに杵を握った親父。
 昔は隣から『ドン♪ ダン♬』と聞こえ来たら
  (あ~隣で餅つき始まったなぁ。お裾分け来るなぁ)
と、思ったものらしい。
 餅をついたらお互いに近所に配り合ったもんだという。
 昨日に引き続き、食べ物が少なかった時代は特に、
 杵と臼の音がご馳走の「餅」をより引き立てたし、
 今と違って"年の瀬だなぁ"という季節感のある食べ物だったそうな。。


「お正月飾りは自前で作る!作戦」実行しようと考えているウチでは、
とりあえず一歩として「鏡餅」を始めてみる。。



あと3日。
カミさんに指示され、男の仕事として、親父と二人で夕方は神棚廻りの掃除と飾り付けを終える。

気分爽快。


健康食品会社とコラボ。

2011年12月27日 | Weblog


共通の趣味を通じ、3年ほど前に知り合ったOさん来訪。
私と同い年。
健康食品販売の会社を経営する社長。

「お年賀」にウチとOさんの扱う商品をミックスした「よっちゃんスペシャル版」を使って頂く事になり、
その打合せと今後の事を色々と相談。


Oさんは秋田出身。
もとは大きな健康食品会社に籍を置き、その後独立。

よく催事でも健康食品を扱う業者の人と一緒になるが、
外から見れば「売れると儲けもデカそうだ」というのが私のイメージだった。
テレビを見ていても本当に手を変え品を変え、色んな健康食品が出てくる。
健康食品なのにおかしな話だけど、やっぱり最近は「流行」が売上を左右するらしい。
安いものでもないので、お客さんと繋がるというのはとても大変だぁ!と。
Oさんも独立当初はちょうど流れにのり、一時期は「勘違い」しちゃうほど成長し、
商売ってなんて簡単!と思ってしまった時があったらしく、同い年ながら
天国と地獄を味わった、という話が印象深い。

私とは違い、多数の従業員を抱える中で徐々に売上が減って行く…、
その心中たるや経験のない私は想像もつかない。。。。
が、その後は見事に復活。
今は東北だけで20店舗ほど展開し、着々とお稼ぎになっている。


結局、地に足がついてるか。
そのあたりは業界によって規模は違えど、どの商売でも一緒だなぁとつくづく思う。

今回のお話も、色々と話す中で目指す方向が一緒だからやってみよう!と始まった話。
良い形に育てば良いな。


私も昨日の日記に書いたように、結局はコミュニティビジネスの様なものをやりたいのだと思う。
なんというか、とても人と話したりする事が苦手(そうは見られないけど)なんだけど、
いくら儲かるって言われても「作って卸すだけ」とかでは嫌になって続けていられないと思う。
つまらいと思う。
動きの中、活発な中、躍動感?に身を置いて、常にテンションを感じたいというのか、
振り返ればそれに尽きるなぁ。。うまく書けないのでその辺りはまた後日。






地域に残る風習、の話が面白かった。
秋田、といえばこの時期みんなキリタンポ鍋を食っていそうだけれど、
彼の出身地域ではキリタンポを食べる事そのものがまったく無いらしい。

そして昔の食うや食わずの時代の風習が色濃く残り、
年の瀬から正月のご馳走として「うさぎ肉」を食べる習慣が今もあり、
今頃は隣近所の軒先には血抜きし、皮を剥がされたウサギがぶら下がっているという。
「味は!?」
と聞いてみると…
「ん~~、鶏肉と牛肉の中間くらいの感じだなぁ…」
との答。分かるような分からんような…

確かなのは聞いただけでそのチャーミングな顔を連想してしまい、
「間違いなく俺は食えない!!」ってことだ。