こんにちは。
天気予報によりますと、午後から強風、夕方から夜半にかけてものすごい暴風雨が予想されるということで、あたしゃ開店前から店外タペストリーを外し幟(のぼり)をしまい、それに備えましたよ。
ただ今、午後3時半。
だんだんと店の外が怪しい気配になっております。
どちら様も、どうぞどうぞ何事もございませぬように。
(ということで、そろそろ店を閉めよう・・・)
さて、昨日のこと・・・
ルーチンとなっております、生死の確認のための朝の年寄り宅訪問。
隠居へと着きますと、偶然、お隣の奥さんが外にいた。
「おはようございます」
と声をかけると、何やら神妙なお顔つきで、
「昨晩、主人が亡くなりました」
と突然おっしゃる。
滅多にお目にかかることはないお方でしたが、まだ60そこそこのご夫婦。
聞けば、夜半に救急車で一旦は病院へ向かったそうですが、その後なぜか家に返されて、その2時間後に亡くなったんだそうです。
お悔やみを申し上げて、奥さんの肩を抱きました。
どうぞどうぞ、仏様は、無事に成仏をされますように。
そして、奥様は、お体をお大切に。
その後、奥さんがおうちに入ってから、陰ながら手を合わせて心経を唱えました。
たまたまのこと・・・
94歳と84歳の死期が近い老人(不謹慎ながら間違ってはいない)を抱えるあたくしは、万が一の葬儀のことが気になっていましたので、近くの葬儀場数カ所に、それぞれ尋ねていた。
いや、葬儀をどこでやるか?とかはどうでもよくて、父母が高野山に行きたいという意思を示した以上、真言宗の葬儀ができるかどうか?が知りたかった。
ところが、真言宗を名乗るお寺というのはとても少ないのです。
地元で調べても、あたしの知る限りでは見つけられなかった。
そこで、その道のプロに尋ねてみたというわけ。
が、結局その筋の方々も、どうやら手蔓がないようでした。
う~む・・・どうするべ?
考えたところで仕方がありませんから、本山に事の次第を伝えて、策を講じていただくことになりました。
それが10日ほど前のこと。
未だお返事を頂いておりませぬ。
そんなご相談を申し上げた時に、先方の執事みたいな方がおっしゃった。
「ご両親、まだお元気なんでしょう?」
・・・
それを聞いたとき、あたしは咄嗟に思ったんだ。
今この時は「まだお元気です」が、さて、次の一瞬「お元気かどうか?」は、わからんぜ。
今朝のお隣の出来事に、「やはり、結局そういう事なんだろう」と感じた次第です。
つい昨日のこと。
おばか仲間のTさまが、突然メールをくれた。
曰く、
「私事ですが、今月末位に伊勢に引っ越します。伊勢の地で神道をしっかり学びたいと思います。
私は自分の気持ちに正直に、天に恥じない生き方をしていきます。」
言外のことはなかなか伝えられませんが、彼を知る者として、それは誠に潔い生き方(What a graceful life !)と思われたのでした。
(そんな彼を尊敬もし、羨ましく思いつつも、あたしにはとてもそこまでできん!という感慨がある。ただ、心から、彼の成長を祈っております。)
明日死ぬとは思っていないあたしですが、死んでもおかしくはないという覚悟みたいなものはあります。
それは、お仕事をしていてもバイクに乗っていてもお酒を飲んでいても、常にある。
昨晩、録画していた「カンブリア宮殿」の中で、孫泰蔵さんがこんなことを言っていた。
「20代の頃、私は何をしたいのだろう?と考えました。」
(そして、その答えを彼は見つける)
それを聞いて、あたしゃハタとひらめいた。
あぁ・・・そう考えているとき、死は遠ざかる。
逆に、何をしたらいいかわからなくなった時、死は寄ってくる。
それは実際の時間ではなくて、命の賞味期限みたいなものだと思ったんだ。
父母の葬儀のお尋ねをしたところから、こんなものが届きました。
遺書のテキストみたいなもので、大切な人へのメッセージとか、死んだ時の連絡先とか、形見についてとか、そんないろいろが載っております。
死ぬのも結構面倒なんですね。
いざという時、「好きなようにしてくださって結構です」
というのが本心ですが、そう言われても困りそうだと思うところもありますよ。
年寄り宛に来たものですが、なかなか良く出来ているので、楽しみながらあたしが書いてやろうと思っています。
でも、もうちょっと生きるつもりです。
・・・悪しからず。
天気予報によりますと、午後から強風、夕方から夜半にかけてものすごい暴風雨が予想されるということで、あたしゃ開店前から店外タペストリーを外し幟(のぼり)をしまい、それに備えましたよ。
ただ今、午後3時半。
だんだんと店の外が怪しい気配になっております。
どちら様も、どうぞどうぞ何事もございませぬように。
(ということで、そろそろ店を閉めよう・・・)
さて、昨日のこと・・・
ルーチンとなっております、生死の確認のための朝の年寄り宅訪問。
隠居へと着きますと、偶然、お隣の奥さんが外にいた。
「おはようございます」
と声をかけると、何やら神妙なお顔つきで、
「昨晩、主人が亡くなりました」
と突然おっしゃる。
滅多にお目にかかることはないお方でしたが、まだ60そこそこのご夫婦。
聞けば、夜半に救急車で一旦は病院へ向かったそうですが、その後なぜか家に返されて、その2時間後に亡くなったんだそうです。
お悔やみを申し上げて、奥さんの肩を抱きました。
どうぞどうぞ、仏様は、無事に成仏をされますように。
そして、奥様は、お体をお大切に。
その後、奥さんがおうちに入ってから、陰ながら手を合わせて心経を唱えました。
たまたまのこと・・・
94歳と84歳の死期が近い老人(不謹慎ながら間違ってはいない)を抱えるあたくしは、万が一の葬儀のことが気になっていましたので、近くの葬儀場数カ所に、それぞれ尋ねていた。
いや、葬儀をどこでやるか?とかはどうでもよくて、父母が高野山に行きたいという意思を示した以上、真言宗の葬儀ができるかどうか?が知りたかった。
ところが、真言宗を名乗るお寺というのはとても少ないのです。
地元で調べても、あたしの知る限りでは見つけられなかった。
そこで、その道のプロに尋ねてみたというわけ。
が、結局その筋の方々も、どうやら手蔓がないようでした。
う~む・・・どうするべ?
考えたところで仕方がありませんから、本山に事の次第を伝えて、策を講じていただくことになりました。
それが10日ほど前のこと。
未だお返事を頂いておりませぬ。
そんなご相談を申し上げた時に、先方の執事みたいな方がおっしゃった。
「ご両親、まだお元気なんでしょう?」
・・・
それを聞いたとき、あたしは咄嗟に思ったんだ。
今この時は「まだお元気です」が、さて、次の一瞬「お元気かどうか?」は、わからんぜ。
今朝のお隣の出来事に、「やはり、結局そういう事なんだろう」と感じた次第です。
つい昨日のこと。
おばか仲間のTさまが、突然メールをくれた。
曰く、
「私事ですが、今月末位に伊勢に引っ越します。伊勢の地で神道をしっかり学びたいと思います。
私は自分の気持ちに正直に、天に恥じない生き方をしていきます。」
言外のことはなかなか伝えられませんが、彼を知る者として、それは誠に潔い生き方(What a graceful life !)と思われたのでした。
(そんな彼を尊敬もし、羨ましく思いつつも、あたしにはとてもそこまでできん!という感慨がある。ただ、心から、彼の成長を祈っております。)
明日死ぬとは思っていないあたしですが、死んでもおかしくはないという覚悟みたいなものはあります。
それは、お仕事をしていてもバイクに乗っていてもお酒を飲んでいても、常にある。
昨晩、録画していた「カンブリア宮殿」の中で、孫泰蔵さんがこんなことを言っていた。
「20代の頃、私は何をしたいのだろう?と考えました。」
(そして、その答えを彼は見つける)
それを聞いて、あたしゃハタとひらめいた。
あぁ・・・そう考えているとき、死は遠ざかる。
逆に、何をしたらいいかわからなくなった時、死は寄ってくる。
それは実際の時間ではなくて、命の賞味期限みたいなものだと思ったんだ。
父母の葬儀のお尋ねをしたところから、こんなものが届きました。
遺書のテキストみたいなもので、大切な人へのメッセージとか、死んだ時の連絡先とか、形見についてとか、そんないろいろが載っております。
死ぬのも結構面倒なんですね。
いざという時、「好きなようにしてくださって結構です」
というのが本心ですが、そう言われても困りそうだと思うところもありますよ。
年寄り宛に来たものですが、なかなか良く出来ているので、楽しみながらあたしが書いてやろうと思っています。
でも、もうちょっと生きるつもりです。
・・・悪しからず。