おはよ。
定休日二日目の今朝、先週やらかしましたギックリ腰が、何とか8割ほど回復しましたので、懸案の田んぼの草刈りに行ってまいりました。
この頃は、ニュースでもかまびすしいですが、名古屋あたりでも39度の猛暑だと連呼している。
う~む・・・確かに、暑い。
そして、そんな暑さを避けてと思い、次男を送り出した後の今朝7時に作業をしてみたが、それでも案の定、怒涛の汗。
1号地をやっつけたところで、今日のところはこれで勘弁したる。
中干しも過ぎて、今日から水も入れます。
稲の皆さまは、この暑さが気持ちがよいのかもしれなくて、ビュンビュンと背が伸びています。
ちょうどよいところで、この暑さも収まっていただきたいと願っています。
さて、この一週間の回想。
7月14日の夜、飲みながらテレビを見ていて、何がきっかけだったのか?この頃体を動かしていないなぁ・・・なまってしまうなぁ・・・とふと思って、昔取った衣笠、いやちがう、杵柄で、少林寺の簡単な型を居間でやってみたんだ。
さすがに体が硬くなっていまして、昔のように華麗に足が上がらない。
う~む・・・少し負荷をかけてみよう・・・と、体をひねりながら、何度か足を高く上げてみた。(でも、低い)
その時はそれで終わったかに見えたのですが、さて翌朝。
目覚めて起きようとしたところ、
ぐはっ! 腰が立たない!
どうやら、普段使っていなかった腰の筋を、急に思いっきり伸ばしたようで、たぶん炎症を起こしたらしい。
症状がギックリ腰と同じ。
・・・参りました。
それからは腰が曲がらないから、非常に不便な数日を過ごしました。
それでも営業日のご来客はありまして、開口一番に申しましたのは、
「ギックリ腰で動けませんので、どうぞ、よろしくね。(はーとまーく)」
ありがたくも、お客様のご温情のおかげで商いさせていただきました。
ありがとうございます。
その後の7月17日 午前1時に、ケータイ電話が鳴った。
この時間の電話は、とっさに想像がついた。
やはり、ばあちゃんがお世話になっている施設から。
「病院へ救急搬送しますので、お越しください」
と、夜勤の看護師さんからだった。
取るものとりあえず、病院へ。
検査があるから、しばらく待って、やがてばあちゃんのそばに行った。
意識はしっかりしているが、イタイイタイとうなっている。
血尿が症状で出ているが、救急なので、担当医(20代の女先生)が判断しかねているらしい。
MRIを見ても、原因がわからんと、この先生、正直におっしゃった。
・・・
その時のあたしは、実は大変落ち着いておりました。
痛いのはかわいそうでしたが、ばあちゃん、はっきり意識がありました。
これはすぐには死なないと、素人ながらに直感しました。
なんでだろう?
イタイイタイとうめくばあちゃんに、大丈夫、大丈夫、ここは病院だよ、先生もついているよ・・・と、お腹を撫でながら、励ましておりました。
(その時のあたしは、腰がとても痛かったが、頑張りました)
それから数時間、どうにも処置に困った女先生は、専門の先生を呼んだらしくて、その先生に代わった直後、あっという間に処置が行われて、午前4時、ばあちゃん、無事復活しました。
にびたし、にびたし。(ここで使うか?)
結局膀胱炎だったらしいが、出血が止まらないようで即入院。
一週間程度で、退院予定です。
とりあえず、安心したPでございました。
後日談になりますが、イタイイタイとわめいていたとき、彼女は「死んでもいいわ」と言った。
それを聞いたあたしは、また、「これは死なんわ」と思った。
じいちゃんを見ているからかもしれませんが、「死んでもいいわ」と言える気力があるうちは、実は死なないと思っています。
(じいちゃん・・・最後の数日は、焦点の合わぬ目で、うわごとのように「ありがとう、ありがとう・・・」としか言いませんでした。じいちゃん、最後に見せてくれました。)
ただ、ばあちゃんの痛いのだけは、取り去ってやりたいなと思っていました。
そのまた後日談。
1日おいて、次男と見舞いに行ったとき、「ばあちゃん、痛かったねぇ」と言ったら、「そうだったかな?」と、すっかり忘れていた。
あたしは思わず笑いましたよ。
ボケて痛かったことを忘れたのなら、それもまたいいぢゃないか。
今日この今、あなたが穏やかにいるなら、それが何よりありがたい。
そのまま、あなたの生を満喫していただきたいと、心から願っています。
ちなみに、「あたしは誰でしょう?」と言ったら、「テルト君」と言った。
それだけで充分なあたしでした。
(次男も覚えていました)
ばあちゃんのことで長くなりました。
これ以外にも、次男とまた「マーゴの湯」に行って、ランチ食べたりしましたが、まぁ、ばあちゃんの話題には勝てませんから、今日はこれまで。
猛暑が続きますこの頃。
どうぞ、どちら様も、お体お大切に。
あまねく、穏やかでありますように。
定休日二日目の今朝、先週やらかしましたギックリ腰が、何とか8割ほど回復しましたので、懸案の田んぼの草刈りに行ってまいりました。
この頃は、ニュースでもかまびすしいですが、名古屋あたりでも39度の猛暑だと連呼している。
う~む・・・確かに、暑い。
そして、そんな暑さを避けてと思い、次男を送り出した後の今朝7時に作業をしてみたが、それでも案の定、怒涛の汗。
1号地をやっつけたところで、今日のところはこれで勘弁したる。
中干しも過ぎて、今日から水も入れます。
稲の皆さまは、この暑さが気持ちがよいのかもしれなくて、ビュンビュンと背が伸びています。
ちょうどよいところで、この暑さも収まっていただきたいと願っています。
さて、この一週間の回想。
7月14日の夜、飲みながらテレビを見ていて、何がきっかけだったのか?この頃体を動かしていないなぁ・・・なまってしまうなぁ・・・とふと思って、昔取った衣笠、いやちがう、杵柄で、少林寺の簡単な型を居間でやってみたんだ。
さすがに体が硬くなっていまして、昔のように華麗に足が上がらない。
う~む・・・少し負荷をかけてみよう・・・と、体をひねりながら、何度か足を高く上げてみた。(でも、低い)
その時はそれで終わったかに見えたのですが、さて翌朝。
目覚めて起きようとしたところ、
ぐはっ! 腰が立たない!
どうやら、普段使っていなかった腰の筋を、急に思いっきり伸ばしたようで、たぶん炎症を起こしたらしい。
症状がギックリ腰と同じ。
・・・参りました。
それからは腰が曲がらないから、非常に不便な数日を過ごしました。
それでも営業日のご来客はありまして、開口一番に申しましたのは、
「ギックリ腰で動けませんので、どうぞ、よろしくね。(はーとまーく)」
ありがたくも、お客様のご温情のおかげで商いさせていただきました。
ありがとうございます。
その後の7月17日 午前1時に、ケータイ電話が鳴った。
この時間の電話は、とっさに想像がついた。
やはり、ばあちゃんがお世話になっている施設から。
「病院へ救急搬送しますので、お越しください」
と、夜勤の看護師さんからだった。
取るものとりあえず、病院へ。
検査があるから、しばらく待って、やがてばあちゃんのそばに行った。
意識はしっかりしているが、イタイイタイとうなっている。
血尿が症状で出ているが、救急なので、担当医(20代の女先生)が判断しかねているらしい。
MRIを見ても、原因がわからんと、この先生、正直におっしゃった。
・・・
その時のあたしは、実は大変落ち着いておりました。
痛いのはかわいそうでしたが、ばあちゃん、はっきり意識がありました。
これはすぐには死なないと、素人ながらに直感しました。
なんでだろう?
イタイイタイとうめくばあちゃんに、大丈夫、大丈夫、ここは病院だよ、先生もついているよ・・・と、お腹を撫でながら、励ましておりました。
(その時のあたしは、腰がとても痛かったが、頑張りました)
それから数時間、どうにも処置に困った女先生は、専門の先生を呼んだらしくて、その先生に代わった直後、あっという間に処置が行われて、午前4時、ばあちゃん、無事復活しました。
にびたし、にびたし。(ここで使うか?)
結局膀胱炎だったらしいが、出血が止まらないようで即入院。
一週間程度で、退院予定です。
とりあえず、安心したPでございました。
後日談になりますが、イタイイタイとわめいていたとき、彼女は「死んでもいいわ」と言った。
それを聞いたあたしは、また、「これは死なんわ」と思った。
じいちゃんを見ているからかもしれませんが、「死んでもいいわ」と言える気力があるうちは、実は死なないと思っています。
(じいちゃん・・・最後の数日は、焦点の合わぬ目で、うわごとのように「ありがとう、ありがとう・・・」としか言いませんでした。じいちゃん、最後に見せてくれました。)
ただ、ばあちゃんの痛いのだけは、取り去ってやりたいなと思っていました。
そのまた後日談。
1日おいて、次男と見舞いに行ったとき、「ばあちゃん、痛かったねぇ」と言ったら、「そうだったかな?」と、すっかり忘れていた。
あたしは思わず笑いましたよ。
ボケて痛かったことを忘れたのなら、それもまたいいぢゃないか。
今日この今、あなたが穏やかにいるなら、それが何よりありがたい。
そのまま、あなたの生を満喫していただきたいと、心から願っています。
ちなみに、「あたしは誰でしょう?」と言ったら、「テルト君」と言った。
それだけで充分なあたしでした。
(次男も覚えていました)
ばあちゃんのことで長くなりました。
これ以外にも、次男とまた「マーゴの湯」に行って、ランチ食べたりしましたが、まぁ、ばあちゃんの話題には勝てませんから、今日はこれまで。
猛暑が続きますこの頃。
どうぞ、どちら様も、お体お大切に。
あまねく、穏やかでありますように。