こんにちは。
12月28日、本年度の豊坂屋の営業最終日です。
コロナによるドタバタが続いておりますが、目下のところ、成人式がどうなるのか?という喫緊の課題の前になすすべなく、ただ、それでも、やるという前提で準備は怠りなく進めています。
そんな中、お客様も連日ご来店をいただきまして、それぞれにおっしゃるには、「せっかくだから、やりたい。やらせてあげたい。」という声が届くのを、心から祈っています。
商売のこともないとは言いませんが、最近の報道による圧力もすごいと反面思っています。
それ、ほんとかよ?
こうして、同調圧力がかもし出されていくのかな?と、少し斜めにみているあたしです。
・・・
思考を停止させないようにしたいと思っています。
まぁ、それはそれとして、直近のお話。
先日購入しましたこちら。

26章からなる500ページのご本ですが、さすが哲学っぽい内容で、ざっと読んだだけでは何も頭に入らない。
たとえばね、
「この世界には、まだまだ未知の生物がたくさん存在している」
という言葉があったとして、通常これは、大多数の日本人に理解されるとされている。
(この言い方まで、哲学っぽくなっているぞ)
が、ここで哲学的な方法でこの言葉を解析すると、
未知の生物が未知であるならば、どうしてそれが存在すると言えるのか?
という疑問が出てくるんだな。
・・・
こういうところが、あたしはとても面白いのでした。
そんな話がいろいろ書かれていますので、一日に1章ずつ読んで、ようやく10章までたどり着いております。
断っておきますが、あたしゃ哲学が何かも知りませんが、何か惹かれることがあるのは、言葉にとても厳密に向き合うところかな?
なにげに話している言葉が、果たして相手にどう結ばれた像になっているのか?
というのは、気にしなければそれで過ぎてしまうところですが、コロナの報道ではないけれど、「お前さん、いったいどういう了見でそう言っているのだ?」というあたし自身の視座を見極めるのには有効だと思っています。
ついでに、このごろはまた、コチラも読み返しています。

何度読み返してもわからない、正法眼蔵。
何年も棚に置かれたままになっていましたが、先のご本をきっかけに、また読んでみようと引っ張り出してきた。
これを書いたのが道元さんというお坊さん。
この方が、ともかくも口をすっぱくおっしゃっているのが、
言葉を解体せよ。とことん解体せよ。そして、その意味を理解せよ。
(そういう言い方ではないですが)
・・・
言葉を解体するって、なんやねん?
と、読んではじめての時にそう思った。
そこに、こんな解説がある。
「舟に乗って、川を下っている。
遠くに、山が後方へと景色として流れていく。」
これをこの道元さんはこうおっしゃる。
「流れているのは、あたしか?はたまた山か?」
あたくし、しびれるのでございます!(たぶん、ばか)
調子がいいので、もう一つ。
仏教のお勉強の方法として、公案(禅問答という言い方もあるのかな?)というのがありまして、例えば、
「両手を叩いて、ポンという音がした。
さて、これは、右手が鳴ったのか?左手が鳴ったのか?」
というのがある。
似たような例えが、最初のご本にも別の話で載っていますが、こういうのが、あたしはとても面白い。(やはり、たぶん、ばか)
コミュニケーションの道具としての言葉には、なおのことに心理的な作用もしますが、その前に、なにげな言葉(他人のことのみならず、おのれの使っている言葉に対しても)にだまされない練習として、哲学的な言葉の理解の仕方と言うのは、いけてると思っています。
・・・う~む・・・
なんか今日はおかしいな。
まぁ、たまにはええだろう。
先日、神棚を掃除しました。

掃除が好きでないあたしですが、大掃除として、年末に神棚だけは掃除をしてよしとしています。
ここだけ掃除すれば、あとは枝葉末節の部分なあたしです。
洗車もしましたが、その後の雨で、すっかり汚れました。
でも、気にしません。
店のウィンドウも磨きました。
が、コチラも雨で、また汚れました。
でも、気になりません。
大掃除、やったもん!
こうして、すっかり新年を迎える準備が出来ました。
年内にブログを書くかどうかわかりませんが、どうぞどうぞ皆さまが、良いお年を迎えますようにと念じながら・・・
さぁ、飲もう。
あまねく、穏やかでありますように。
良いお年をお迎えください。
今年一年、ありがとうございました!
12月28日、本年度の豊坂屋の営業最終日です。
コロナによるドタバタが続いておりますが、目下のところ、成人式がどうなるのか?という喫緊の課題の前になすすべなく、ただ、それでも、やるという前提で準備は怠りなく進めています。
そんな中、お客様も連日ご来店をいただきまして、それぞれにおっしゃるには、「せっかくだから、やりたい。やらせてあげたい。」という声が届くのを、心から祈っています。
商売のこともないとは言いませんが、最近の報道による圧力もすごいと反面思っています。
それ、ほんとかよ?
こうして、同調圧力がかもし出されていくのかな?と、少し斜めにみているあたしです。
・・・
思考を停止させないようにしたいと思っています。
まぁ、それはそれとして、直近のお話。
先日購入しましたこちら。

26章からなる500ページのご本ですが、さすが哲学っぽい内容で、ざっと読んだだけでは何も頭に入らない。
たとえばね、
「この世界には、まだまだ未知の生物がたくさん存在している」
という言葉があったとして、通常これは、大多数の日本人に理解されるとされている。
(この言い方まで、哲学っぽくなっているぞ)
が、ここで哲学的な方法でこの言葉を解析すると、
未知の生物が未知であるならば、どうしてそれが存在すると言えるのか?
という疑問が出てくるんだな。
・・・
こういうところが、あたしはとても面白いのでした。
そんな話がいろいろ書かれていますので、一日に1章ずつ読んで、ようやく10章までたどり着いております。
断っておきますが、あたしゃ哲学が何かも知りませんが、何か惹かれることがあるのは、言葉にとても厳密に向き合うところかな?
なにげに話している言葉が、果たして相手にどう結ばれた像になっているのか?
というのは、気にしなければそれで過ぎてしまうところですが、コロナの報道ではないけれど、「お前さん、いったいどういう了見でそう言っているのだ?」というあたし自身の視座を見極めるのには有効だと思っています。
ついでに、このごろはまた、コチラも読み返しています。

何度読み返してもわからない、正法眼蔵。
何年も棚に置かれたままになっていましたが、先のご本をきっかけに、また読んでみようと引っ張り出してきた。
これを書いたのが道元さんというお坊さん。
この方が、ともかくも口をすっぱくおっしゃっているのが、
言葉を解体せよ。とことん解体せよ。そして、その意味を理解せよ。
(そういう言い方ではないですが)
・・・
言葉を解体するって、なんやねん?
と、読んではじめての時にそう思った。
そこに、こんな解説がある。
「舟に乗って、川を下っている。
遠くに、山が後方へと景色として流れていく。」
これをこの道元さんはこうおっしゃる。
「流れているのは、あたしか?はたまた山か?」
あたくし、しびれるのでございます!(たぶん、ばか)
調子がいいので、もう一つ。
仏教のお勉強の方法として、公案(禅問答という言い方もあるのかな?)というのがありまして、例えば、
「両手を叩いて、ポンという音がした。
さて、これは、右手が鳴ったのか?左手が鳴ったのか?」
というのがある。
似たような例えが、最初のご本にも別の話で載っていますが、こういうのが、あたしはとても面白い。(やはり、たぶん、ばか)
コミュニケーションの道具としての言葉には、なおのことに心理的な作用もしますが、その前に、なにげな言葉(他人のことのみならず、おのれの使っている言葉に対しても)にだまされない練習として、哲学的な言葉の理解の仕方と言うのは、いけてると思っています。
・・・う~む・・・
なんか今日はおかしいな。
まぁ、たまにはええだろう。
先日、神棚を掃除しました。

掃除が好きでないあたしですが、大掃除として、年末に神棚だけは掃除をしてよしとしています。
ここだけ掃除すれば、あとは枝葉末節の部分なあたしです。
洗車もしましたが、その後の雨で、すっかり汚れました。
でも、気にしません。
店のウィンドウも磨きました。
が、コチラも雨で、また汚れました。
でも、気になりません。
大掃除、やったもん!
こうして、すっかり新年を迎える準備が出来ました。
年内にブログを書くかどうかわかりませんが、どうぞどうぞ皆さまが、良いお年を迎えますようにと念じながら・・・
さぁ、飲もう。
あまねく、穏やかでありますように。
良いお年をお迎えください。
今年一年、ありがとうございました!