おはよ。
おかげ様で、5月18日に無事退院いたしました。
入院初日が昨年の10月10日でしたので、7カ月余をあたしは病院で過ごしたわけです。
いやぁ、長かったなぁ・・・
そして、前にも書きましたが、知らなかったから耐えられましたが、入院期間終盤の移植後の治療は、本当にきつかった。
己ながらよく耐えたと思いますが、実は全くの一人だったら、あたしは狂っていたかもしれないとも思っています。
それは、病院の医療関係者はもちろんのこと、友人知人からの励まし、家族の支えあっての今日だと心から感謝するものでありました。
皆さま、ありがとうございました。
そして、10日前後に退院の話を聞いてからは、あっという間に18日退院が決定して、ついにあたしは娑婆に戻ってきたのでした。
当日は、いつも通り姉二人が車で迎えに来てくれました。
かねてよりの話で、10:30を目安に来てねと頼んでありまして、それまでの間に、全てとはいきませんでしたが、担当医はじめ格別世話になった看護師の皆様にお礼を申しました。
中には、わざわざ病室まで来て、おめでとうと言ってくださる看護師さんもいて、あたしは感激するのでありました。
(その中には、涙してくださる方もおられました)
いよいよ病棟を去る時、その時の担当の看護師さんがあたしと仲良しの看護師さんで、彼女もまた涙してくれるのでありました。
そして、ナースステーションに深く頭を下げて、病棟を後にしました。
余談
姉が来て、来るときのズボンを履いてみると(大部屋のスペースがなく、必要なもの以外すべて姉に持ち帰ってもらっていたので、姉が来るまで着替えがなかった)、お尻も通り越してするするとズボンが落ちていく。
あたしは間違いなく病人だったのだと、実感しましたね。
さて、ついに家に戻ります。
姉に礼を言って、次男はお仕事なので、誰もいない我が家に入る。
見慣れた玄関が、なにやら別物に見えた。そして、それは妙にあたしを安心させてくれた。
誰もいないですが、「おかえり」とどこからか聞こえたような気もしました。
まだおぼつかぬ足取りで階段の手すりを頼りに、よろよろと2階の居間へ向かった。
そして、まずは何をおいても、あたしはここへ来たかった。
おかげ様で、ようやく帰ってまいりました・・・と、先祖に向かって報告。
合わせて、何かしらの大きなお力をいただいたような気もしているものだから、久しぶりに祓い言葉と心経を唱えたのであります。
(この時、以前と声が違うことを知る。13キロ痩せると声まで変わるんだと思いました。
それと、お仏飯が新しいのに気が付いて、次男が取り替えてくれていたのだとちょっと感激しました。コウヤ君、ありがとう)
その後、荷解きしたりして、お昼。
次姉がそこまで一緒にいてくれて、布団干したり掃除したりしてくれました。
その姉が、「買ってきてあげるから、お昼を食べなさい」と言ってくれたが、あたしはあたしで目論見があったので、仕事の終わった姉を返してから、インスタントラーメンをそそくさと作り始めた。
・・・
はい、どうしてもラーメンが食べたかったのだ。
棚にあったラ王しょうゆ味(次男が買ったやつ)に卵があったのでそれだけ入れての簡単なインスタントラーメン。
・・・うまかった!
そしてここでも、確かに娑婆に戻ってきたのだと実感するあたしでした。
その後、さすがに疲れてひと眠り。
やがて次男も帰って来て、あたし好みの濃いめの味噌汁だけは作って、夜は来る途中で買ってきた吉牛で夕飯。
(およそ何か作ってやることはできないと思ってのこと)
それもそれで、美味しくいただいました。
いやぁ・・・さすがに出来事大杉で、長くなります。
今日のところは、帰宅初日の様子まで。
思い出しても、怒涛の初日でしたが、心にはずっと「ありがとうございます」の言葉がリフレインのように底流していましたよ。
改めまして、P、無事帰宅、生還いたしました。
皆さま、本当に、ありがとうございました。