2発目。
長島龍人さんが、「お金の要らない国」に続いて、「お金の要らない国2」を上梓されました。
「お金の要らない国」は、ガイアの考え方にも似通ったところがあると思いまして、お金のありようをもともと考えていたあたしには、とても面白くて共感できるお話でした。
で、今回は、その続編の形で、再び、主人公が「お金の要らない国」へ行ったのです。
今回は、お金のこともさりながら、家族とか、結婚とか、それは一体何だんねん?というのが大きなテーマとなっていました。
その部分を、ちょっとだけかいつまみますと、かの国では、好きになって、一緒に暮らしたければ一緒に暮らし、子供が欲しければ、子供を作ります。
が、結婚という制度もないので、お互いの話し合いというか、意思の確認の上、離れたくなったら離れ、別の人が好きになったら、その人と又自由に恋愛をするようです。
結婚という制度があっても同じようなものですが、くっついたり離れたりするのに、わだかまりがないという感じでしょうか?
たぶん、理想的なシステムなのだと思えないこともないのですが、人間の営みって、そんなもんかいなぁ?と思うのでありました。
昨日、多田富雄という人が、脳梗塞で倒れて以後のドキュメンタリーを、NHKが放送しておりまして、興味があったので見ていました。
その中で、
「すべてを失った。それを突き詰めていくと、見えるものがある」
と、彼は言うのでした。
相変わらず、言葉遊びの範疇から抜け出さぬおのれのふがいなさを感じながらも、人間は、ドロドログチャグチャ、わけのわからん中でもがきながら、それを越えたところでしか、本当の理想の姿には、なれんのかも知れんなぁと思ったりするのですた。
いまだに、結婚とか家族とか、よくわかっておりまへん・・・
が、好きな人と寄り添っていたいと思うでつ。
かつて、おバカの仲間が言っていたのを思い出しました。
「私は、愛して愛されたい」
・・・
・・・
・・・
とてもシンプルなことなのだと、思いました。
みんな、幸せになりますよ~に。
PS
今日も、よく飲みますた。
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