ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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頑張った結果、痛いんだ

2015-04-09 17:17:00 | ノンジャンル
こんにちは。

昨日はお仕事で名古屋へ。

この日だけはどうしてもというお仲間の会合で、多少は良くなったギックリを負いながらも頑張ってフリード君で出かけました。

12時から16時まで、久しぶりのお仲間の皆様とご挨拶もさせていただき、大切なご用を済ませまして、帰りにはルーチンの年寄り宅に寄り、買い物もして6時帰宅。
(お陰様で、じいちゃんもばあちゃんもギリギリ生きております)

すでに帰っていた次男とそれから食事。

あぁ・・・今日は何も食べていなかったなぁ・・・と気が付いた。
(こういうことは良くあります)

ビールを少し飲んで就寝。


明けて今朝。

・・・う~む・・・一層背中が痛い。

昨日の動きは、ギックリのあたしにはやはりきつかったようだ。

それでも、荷物の上げ下げができないあたしを豊田の義兄さんが助けてくれた。

義兄さん、ありがとうね。

まぁ、とても大切な昨日が無事に済んで、それが何よりですた。

そういえば、お仲間のAさんにお目にかかりましたが、何やらお体に変調をきたしている様子で「どうしたんですか?」と聞いたら、「膠原病なんだ、厄介な病気なんだ」とおっしゃった。

そしてあたしを見て、「タバコはとっても悪いのですよ」と言われた。

どうぞお大事に、ご快癒を心から祈ります。


天皇陛下がパラオ諸島に行かれまして、戦死されましたご慰霊の鎮魂をされました。

【天皇陛下のおことば】

「本年は戦後70年に当たります。

先の戦争では,太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ,数知れぬ人命が失われました。

祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々のことが深く偲しのばれます。

私どもはこの節目の年に当たり,戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ,パラオ共和国を訪問いたします。

パラオ共和国は,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と共に,第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが,戦後,ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により,我が国の委任統治の下に置かれました。

そしてパラオには南洋庁が置かれ,我が国から多くの人々が移住し,昭和10年頃には,島民の数より多い5万人を超える人々が,これらの島々に住むようになりました。

終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。

この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。

太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。

この度のパラオ共和国訪問が,両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の,更なる発展に寄与することを念願しています。

私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。

この訪問に際し,ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり,パラオ国大統領御夫妻と共に,ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。

終わりに,この訪問の実現に向け,関係者の尽力を得たことに対し,深く感謝の意を表します。」


日本という国の歴史と形を一番よく理解している陛下のお言葉です。

大戦を経た昭和天皇をリアルタイムで存じ上げているせいもあるのかもしれないけれど、天皇家の祈りの血統を感じて、あたしは泣けてしまふ。

良い世の中になるように、民草の一人のP、ささやかながらお役に立ちたいと思います。

背骨がとっても痛いけど、お父さん、頑張ります。


追伸

今日はこんなものが届いた。



書き入れ時がすんで気が緩んだせいもあるのですが、アマゾンで買っちゃった。

さて・・・箱の中身はなんじゃいな?

ムフフ・・・



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