先日、サークルメンバーによる講座が終わった。メンバー全員が、一人持ち時間の15分を使って、参加者26名に対する講座を行うのである。
その1週間前には、サークル内での講座検討が行われた。一人ひとりの講座内容に対して、厳しいコメントが出される。
厳しいだけのコメントではない。代案を示したり、改善の方向性を伝えなければならない。その中で、K氏のコメントが印象に残った。
「研究紀要ならば、抽象的な内容から入って、具体的な内容を述べてもよい。しかし、講座では、具体から始まって抽象を語らないと、聴き手は引きつけられない。」
なるほど、と思った。確かに、おもしろくてためになる講座は、ほとんどが具体的な内容から始まっている。
あっ、これは授業も同じだ。
その1週間前には、サークル内での講座検討が行われた。一人ひとりの講座内容に対して、厳しいコメントが出される。
厳しいだけのコメントではない。代案を示したり、改善の方向性を伝えなければならない。その中で、K氏のコメントが印象に残った。
「研究紀要ならば、抽象的な内容から入って、具体的な内容を述べてもよい。しかし、講座では、具体から始まって抽象を語らないと、聴き手は引きつけられない。」
なるほど、と思った。確かに、おもしろくてためになる講座は、ほとんどが具体的な内容から始まっている。
あっ、これは授業も同じだ。