体力向上に関する研究会に行くと、次のように言う人が時々いる。
「新体力テストの結果にこだわってはいけない。新体力テストの結果が良ければいいと言うものではない。」(学校で直接子どもに指導をしていない人、教育現場から離れている人に、このような発言をする人は多い。)
新体力テストの結果にこだわりすぎて、体力向上の取組が狭くなったり、却って体育嫌いを増やすようなことにならないようにしなければいけないと言う趣旨であろうというのは分かる。
しかし、こういう発言を聴くと、
「この人は、教育現場のことを分かっていない。」と感じてしまう。もっと言うと、「新体力テストで、D判定やE判定をもらう子の気持ちが分からないのではないか。」と感じてしまうのである。
新体力テストを実施すると、A~Eの5段階の判定が下される。新体力テストの記録用紙の裏面を見れば、自分で判定ができるようになっている。その認定証まで後日配付される。つまり、テストを実施することで、A~Eのいずれかが分かってしまうのである。
A判定をもらう子にとっては自信となるが、DやEの判定を下される子にとっては、劣等感を感じることになる。
教育現場にいるものにとっては、DやE判定をもらう子が少しでも少なくなって欲しいという強い願いがある。だからこそ、結果にはこだわる。どの子もAかB、せめてC判定になって欲しいからである。
「結果にこだわるな。」という発言をする人は、DやE判定をもらう子や、その指導に関わっている教師のつらさを理解していない。どうしても「結果にこだわるな」と言うならば、そういう方はまず新体力テストの実施自体を批判するべきである。
(私自身は、新体力テストは有った方がよいと考えている。「児童に自信をもたせるチャンスが増える。」「児童の体力のありようが分かる。」からである。)
「新体力テストの結果にこだわってはいけない。新体力テストの結果が良ければいいと言うものではない。」(学校で直接子どもに指導をしていない人、教育現場から離れている人に、このような発言をする人は多い。)
新体力テストの結果にこだわりすぎて、体力向上の取組が狭くなったり、却って体育嫌いを増やすようなことにならないようにしなければいけないと言う趣旨であろうというのは分かる。
しかし、こういう発言を聴くと、
「この人は、教育現場のことを分かっていない。」と感じてしまう。もっと言うと、「新体力テストで、D判定やE判定をもらう子の気持ちが分からないのではないか。」と感じてしまうのである。
新体力テストを実施すると、A~Eの5段階の判定が下される。新体力テストの記録用紙の裏面を見れば、自分で判定ができるようになっている。その認定証まで後日配付される。つまり、テストを実施することで、A~Eのいずれかが分かってしまうのである。
A判定をもらう子にとっては自信となるが、DやEの判定を下される子にとっては、劣等感を感じることになる。
教育現場にいるものにとっては、DやE判定をもらう子が少しでも少なくなって欲しいという強い願いがある。だからこそ、結果にはこだわる。どの子もAかB、せめてC判定になって欲しいからである。
「結果にこだわるな。」という発言をする人は、DやE判定をもらう子や、その指導に関わっている教師のつらさを理解していない。どうしても「結果にこだわるな」と言うならば、そういう方はまず新体力テストの実施自体を批判するべきである。
(私自身は、新体力テストは有った方がよいと考えている。「児童に自信をもたせるチャンスが増える。」「児童の体力のありようが分かる。」からである。)