時々、子供達からこんな言葉を聞くことがある。
「今日は長縄跳びで、クラスの新記録が出たから、宿題は無しになりました。」
「持久走を頑張ったから、宿題は無しになりました。」
聞くと、頑張ったご褒美として、宿題が無しになったとのことである。
では、宿題は苦役なのか?
喜んでやるものではないかもしれない。ただ、ご褒美として宿題無しにするのは賛成できない。
宿題を何故出すのか?
それは、家庭学習の習慣を身につけてほしいからだろう。
それならば、宿題無しにすると、その習慣は崩れる。
ご褒美として宿題無しにすると、子供の意識はどうなるか?
ご褒美で宿題無し
↓
宿題というのは、先生も嫌なものと考えているんだな。
↓
勉強するというのは、先生も面倒くさいものと考えているんだな。
このように、学習に対してマイナスの感情を持ってしまう。
自分は、ご褒美として宿題無しにすることはなかった。マイナスの感情を持ってほしくなかったからである。
では、自分はどのようにして家庭学習をさせていたか。
長くなったので、続きは明日のブログに続く・・・。
「今日は長縄跳びで、クラスの新記録が出たから、宿題は無しになりました。」
「持久走を頑張ったから、宿題は無しになりました。」
聞くと、頑張ったご褒美として、宿題が無しになったとのことである。
では、宿題は苦役なのか?
喜んでやるものではないかもしれない。ただ、ご褒美として宿題無しにするのは賛成できない。
宿題を何故出すのか?
それは、家庭学習の習慣を身につけてほしいからだろう。
それならば、宿題無しにすると、その習慣は崩れる。
ご褒美として宿題無しにすると、子供の意識はどうなるか?
ご褒美で宿題無し
↓
宿題というのは、先生も嫌なものと考えているんだな。
↓
勉強するというのは、先生も面倒くさいものと考えているんだな。
このように、学習に対してマイナスの感情を持ってしまう。
自分は、ご褒美として宿題無しにすることはなかった。マイナスの感情を持ってほしくなかったからである。
では、自分はどのようにして家庭学習をさせていたか。
長くなったので、続きは明日のブログに続く・・・。