「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

SERENDIPITY  2005・08・27

2005-08-27 06:05:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「もしそれがひとかどの作者なら、どこかいいところがあるはずである。担当者は目ざとくそれを発見して、そのつどほめれば

  作者はきっとよくなる。よくならなければもう涸渇しているのである。それなら捨てるよりほかない。それが編集者だと私は

  書いたことがあるが、近ごろほめる人が稀になった。ことに新人を発掘する人が稀になった。

   新人を見つけだして推すことはむずかしい。また恐ろしい。何しろ全く無名である。それを推すのは全責任を自分が負うこと

  である。成功すれば手がらだが、しなければあんな者を推してとその眼鏡を疑われる。

   企業の新企画も似たようなものである。かげで悪く言っておけば安全である。失敗したときは自分は先見の明があったことに

  なるし、成功しても反対の仲間が多かったのだから互にとがめない。どんな新企画にも反対するものが多いのはこんなわけである。

   けれども自分にそんなに自信をもてるものは少ない。不安である。ことにそれが知人なら私情で推すかと痛くない腹をさぐられる。

  だから仲のいい友に頼んで推させ、自分は渋々賛成するほうに回る。それほど新しい才能は見つけるのも推すのもむずかしいのである。

   だから『賞』というものがあるのである。いま五百も六百もあるという。有名なのに芥川賞直木賞がある。編集者が責任を持つこと

  からまぬかれる有難い賞である。一流の選者がいて衆議をつくしてきめてくれるから責任は選者にある。

   あとは追っかけごっこすればいいのである。才能はいらない。義理と人情はいる。それには前もって有力候補に接近しておく。

   建築のコンペも賞の一つである。この賞の選者はそのつど招集されその都度解散する。入賞作があとで欠陥ビルだったり劇場

  だったり公会堂だったりしても、そのときその選者は解散して誰もいない。

   賞というものがこんなにある一因である。」


  (山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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