今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「わが青春が暗かったのは、何も戦争のせいではない。その証拠に、いまだに暗い」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「『ダメの人』というのは十七八になってから思いついた言葉であるが、早くすでに私はこの世はダメだと見ていた。
『とかくこの世はダメとムダ』だと思っていたが、それを言うべき友もなく終日無言でむっとしていた。」
(山本夏彦著「無想庵物語」所収)
「世間はムダをよくないもののように言うが、そもそも私がこの世に生れたこと、私が生きていること、私が何かすること、
またしないこと、一つとしてダメとムダでないものはない。その自覚があるものとないものがいるだけである。私の存在
そのものがムダだというのに、どうしてそのなかの区々たるムダを争うことができよう。」
「私は弱年のころから今にいたるまで、自信というものを持ったことがない。自信は暗愚に立脚していると思っている。
それらしいものが生じると、私は我にもあらず常に自ら打ちくだいてきた。そしていつも薄氷をふむ気持でいる。もし
私に何らかの取りえがあるとするならば、それはこの常に薄氷をふむつもりでいることによる。私はその気持の助長に
つとめてきた。」
「私はもういつ死んでもいいのである。それは覚悟なんてものではない。いっそ自然なのである。その日まで私のすること
といえば、死ぬまでのひまつぶしである。」
「物ごころついて以来、私のしてきたことはみな死ぬまでのひまつぶしであった。」
(山本夏彦著「ダメの人」所収)
「私は三男である。無口で陰鬱な少年で、昭和五年数え十六のとき自殺を試みている。東京府立五中の二年生である。
なぜ自殺を試みたかは自分でもたしかなことは言えない。言えば我にもあらず飾るだろうから言いたくない。十八のとき
もう一度試みてしくじった。死神にも見放されたのだろうと以後試みない。」
(山本夏彦著「無想庵物語」所収)
「何も私は喜んで生きているわけではない。今さら自分から死ぬわけにはいかないから、渋々この世とつきあっている。
生きて甲斐ない世の中だ。こうしてただ死ぬのを待っていると、ころりと横になって死んだまねしてみせると、客は
愁傷のふりをするから妙である。」
(山本夏彦著「オーイどこ行くの」所収)
「わが青春が暗かったのは、何も戦争のせいではない。その証拠に、いまだに暗い」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「『ダメの人』というのは十七八になってから思いついた言葉であるが、早くすでに私はこの世はダメだと見ていた。
『とかくこの世はダメとムダ』だと思っていたが、それを言うべき友もなく終日無言でむっとしていた。」
(山本夏彦著「無想庵物語」所収)
「世間はムダをよくないもののように言うが、そもそも私がこの世に生れたこと、私が生きていること、私が何かすること、
またしないこと、一つとしてダメとムダでないものはない。その自覚があるものとないものがいるだけである。私の存在
そのものがムダだというのに、どうしてそのなかの区々たるムダを争うことができよう。」
「私は弱年のころから今にいたるまで、自信というものを持ったことがない。自信は暗愚に立脚していると思っている。
それらしいものが生じると、私は我にもあらず常に自ら打ちくだいてきた。そしていつも薄氷をふむ気持でいる。もし
私に何らかの取りえがあるとするならば、それはこの常に薄氷をふむつもりでいることによる。私はその気持の助長に
つとめてきた。」
「私はもういつ死んでもいいのである。それは覚悟なんてものではない。いっそ自然なのである。その日まで私のすること
といえば、死ぬまでのひまつぶしである。」
「物ごころついて以来、私のしてきたことはみな死ぬまでのひまつぶしであった。」
(山本夏彦著「ダメの人」所収)
「私は三男である。無口で陰鬱な少年で、昭和五年数え十六のとき自殺を試みている。東京府立五中の二年生である。
なぜ自殺を試みたかは自分でもたしかなことは言えない。言えば我にもあらず飾るだろうから言いたくない。十八のとき
もう一度試みてしくじった。死神にも見放されたのだろうと以後試みない。」
(山本夏彦著「無想庵物語」所収)
「何も私は喜んで生きているわけではない。今さら自分から死ぬわけにはいかないから、渋々この世とつきあっている。
生きて甲斐ない世の中だ。こうしてただ死ぬのを待っていると、ころりと横になって死んだまねしてみせると、客は
愁傷のふりをするから妙である。」
(山本夏彦著「オーイどこ行くの」所収)