「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・08・25

2005-08-25 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「いかにいますちちはは――この歌は『故郷』という小学唱歌の一節で、つつがなしや友がき、と続く。文部省はしばしば古い唱歌を歌うことを禁じるが、まだ歌われているだろうか。友がきなんて現代っ子には分るまい、ほかに使い道もない言葉だから教えなくてもいいと文部省は言う。
 友がきは互に手をたずさえた子たちを垣にたとえた言葉である。この歌を禁じると友垣なんて床しい言葉は永遠になくなる。いかに在ます父母と聞くと涙ぐむ人がある。私たちはこういうやさしい心を失ったのである。だから懐旧の情に耐えないのである。
 みんな戦後の断絶から生じたというのは誤りである。私は大正に生れ昭和に育ったが、私の心のなかに『孝』はない。孝を滅ぼしたのは大正デモクラシーである。谷崎潤一郎は吉井勇と共に大正の初め親不孝を売物にしていたと、その『青春回顧』に書いている。」

 「孝は自然の情ではない。人間以外の哺乳類は一人前になるまでは子を世話してやまないが、一人前になったらあかの他人である。子もまた他人で孝養をつくすということは全くない。
 孝は人間だけのもので、中国人が三千年かかって教えて作りあげたモラルである。本来自然でないのだから、新憲法で孝はしないでいいときまったら完全に滅びた。いま私たちの老後の諸問題は昔はみな孝が始末していたものである。戦前は長男一人が遺産相続してその代り親の扶養の義務は長男一人が負った。今その義務は全員にあるということは、互におしつけて誰にもないということである。
 私たちは親が死んでも泣かなくなった。まして兄弟が死んでも涙一滴こぼさなくなった。私たちは禽獣に、また鬼に近いものになったから、かえらぬ昔の唱歌を聞くとふと涙ぐむのである。」

  (山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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