「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

歳月は勝手に来て勝手に去る 2005・08・21

2005-08-21 06:00:00 | Weblog

  今日の「 お気に入り 」は 、山本夏彦さん ( 1915-2002 )のコラム集

 「 世間知らずの高枕 」を読んだときに 書き留めた寸言をいくつか 。


 「 私たちの父祖は 東洋の古典を捨て 西洋の古典を得ればいいつもりで 、

  その双方を得ないで 人としてのバックボーンを失った 。」

 「 英語は ついにその人物の日本語を超えることはできない 。」

 「 歳月は勝手に来て勝手に去る 。」

 「 年とったからといって少しも利口にならなければバカにもならない 。」

 「 白髪は知恵のしるしではない 。」

 「 人に派閥はつきものだ 、三人寄れば閥をなす 。」

 「 およそ人にして内心忸怩たるものがないものは人でない 。」

 「 私はスラムのない都市は都市ではないと思っている 。都庁の役人も

  退庁したら西口で一杯やるがいいのである 。いかがわしい所がない

  街が街でないのは 、私たちが 実はいかがわしい存在だからである 。」

 「 狼に育てられた子供は 、あとから言葉を教えてもついにおぼえなかっ

  たという 。幼いときにおぼえなければならないことを 、おぼえないで

  成人した大人がふえた 。」

 「 流行というものは それが一世を覆うと 、人並でない男女を人並にする

  功徳がある 。」

 「 はやりものはすたりものである 。」

 「 俗に 千人斬りというが 千人の女( または男 )と枕をかわしても 、女

  ( または男 )のことは分らない 。一人の女のなかに 千人の女は はいっ

  ている 。それが見えないようなら 数ばかりあさっても見えない 。」 

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2005・08・20

2005-08-20 05:45:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は 、山本夏彦さん ( 1915 - 2002 ) のコラム集から 。

 「 日本人はあやまってばかりいる 。『 どうしてそんなにあやまるの 』と

  国民はけげんである 。また不服である 。韓国も北朝鮮も日本人を招いて 、

  また招かれて話をする前にまずあやまれ 、談判はそれからだと言う 。す

  ると日本人はあやまる 。
   こんなことを言われるのは 、先方に強い軍隊があって当方にないからで

  ある 。自衛隊があるじゃないかと言うが 、あんなもの軍隊ではない 。

   ひとむかし前 沖縄で自衛隊員の子弟なら学校へいれない と騒いだこと

  がある 。新聞は その気持をもっともだと言いたげだった 。自衛隊員が

  映画館で席につくと 、隣席の学生が つと立って『 税金泥棒 』と言って

  他へ移ったという話も聞いた 。
   このごろ聞かなくなったのは航空大惨事 、風水害にタダでかけつけて

  くれるのは自衛隊だけだからで 、それなら許してやろうという程度で

  ある 。

   およそ 国民の支持と敬意のない軍隊なら 、それは軍隊ではない 。違

  憲だの泥棒だのといわれている隊員が、一旦緩急あったとき 死んでく

  れると思うか 。図々しい 。三十六計逃げるにしかず 、三日と支えて

  くれないだろう 。

   わが国が 諸外国にあなどられ 、常にあやまっているのは背後に軍隊

  らしい軍隊がないからである 。いずれは 貸した金もとれなくなる 。

   ない袖は振れぬと相手国は居直る 。だから軍隊を持てと言えば蜂の巣

  をつついたようになるから言わない 。

   幸か不幸か日本は経済大国である 。その富はほとんど軍備に匹敵する 。

   背後に控えている莫大な『 円 』を 強大な軍隊と思え 。あるいは相手

  国に思わせよ 。

   この上は この円を武器に 、貸すがごとく 貸さざるがごとく 常にかけ

  ひきの具にしてはどうか 。古来金は 出すほうが強い にきまっている 。

   詫びて出すやつがあるか 。富を外交の手段にするのである 。再軍備

  できなければそうするよりほかないのではないか 。」

   ( 山本夏彦著「 世間知らずの高枕 」新潮文庫 所収 )


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蜘蛛の糸 2005・08・19

2005-08-19 06:00:00 | Weblog

   今日の「 お気に入り 」は、山本夏彦さん ( 1915-2002 ) のコラム集から 。
 
  「 ある日のことでございます 。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを 、

   ひとりでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました 。( 略 )

   極楽は丁度朝なのでございましょう ―― とは芥川龍之介の名高い

   『 蜘蛛の糸 』の書きだしである 。

   多くの子供たちのように 私もまたこのお話を読んで 、極楽という

   ものがあることをぼんやり承知した 。それは手のとどかない

   『 無何有郷( むかゆうきょう )』だと思っていたら 、そうでない

   ことが分った。極楽の条件が暖衣飽食にあるなら 、いま私たちは

   その中にある 。

    着るものは 着る人口の何倍もあって 、よりどり見どりである 。

    メーカーは いつまで同じものを着られては迷惑だから 、流行を

   つくって 一両年でそれを流行遅れにして 、捨てるようにしむけ 、

   私たちは喜んで捨てるようになった 。

    何年か前 娘たちはグルメ案内を手に食べ歩いて 、それも飽きて

   今は食いものを捨てるようになった 。三十年来物乞う人はいなく

   なった 。わずらえば 保険がある 。初診料 八百円 を払えば あとは

   タダ同然だった時代が続いた 。八百円なんか金ではない 。病院は

   老人でいっぱいで 、そのせいで 人生五十 が 七十八十まで延びたと

   医者はいう 。私たちは自動車を持った 。海外を旅するものは

   千万人を超えたという 。

    もう一つ 、私たちは助平になった 。密通姦通不倫自在になった 。

    酒池肉林といって 昔は 王侯貴族がひとりほしいままにして 、

   人民は 指をくわえて そのなかの野心家が革命を起し 、こんどは

   自分が同じことをほしいままにして 再び三たび 革命を招いたが 、

   今は 匹夫匹婦が 王侯同然になったのだから 、それは開闢以来の

   椿事で 、もう倒し手はないのである 。


   ――  ある日のことでございます 。お釈迦様は蓮池のふちを 、

   ひとりで ぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました 。そして

   下界を眺めて 下界が極楽になったことをごらんになったのです 。」


   ( 山本夏彦著「 世間知らずの高枕 」新潮文庫 所収 )

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下男の星と主人の星 2005・08・18

2005-08-18 05:40:00 | Weblog

 今日の「 お気に入り 」は 、山本夏彦さん ( 1915 - 2002 ) のコラム集から 。

 「 私は人には『 分 』というものがあると思っている 。分際を知れ分際をと 、

  以前さる週刊誌に書いて 、日本中の読者から袋だたきになったことがある 。

  なって 私は『 分 』というものが 、現代日本のタブーであることを知った 。

  人にはそれぞれ分があると言っただけで 、あんなに怒るのだから 、それは

  やっぱりあるのだと知ったのである 。

  『 分 』がいけないなら『 星 』でもいい 。いかなる星のもとにわれ生れけむ

  というあの星である 。高山樗牛の言葉だと記憶するが 、この嘆きを嘆かな

  い男女は 、いついかなる時代にもない 。すなわち星はあるのである 。

  『 さそり座の女 』という流行歌がある 。美川憲一の持ち歌だという 。

  『 アンアン 』『 ノンノ 』以下の女性誌で 星占いをのせないものはない 。

  牡牛座 、獅子座 、山羊座 、魚座以下の運命が 、そこには毎週勢揃いして

  いる 。新聞には四緑木星の男の 、一白水星の女の 、今日の運勢が出てい

  る 。あんなに出ているのだから 、読者があるのだろう 。あれば左右され

  るものがあるのだろう 。

   言っては悪いが 、私は人には 下男の星 と 主人の星 があると思っている 。

  下男の星に生れた者は 、主人にはなれない 。主人の星にも十人の主人の星

  と 、千人の主人の星があって 、十人の主人は 十人の主人に終って 、千人の

  主人にはなれない 。

  そして勤人というものは 、多く下男である 。それでなければ 勤人に甘んじ

  ていられるわけがない 。」
 
   ( 山本夏彦著「 二流の愉しみ 」 講談社文庫 所収 )

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パチンコの力 2005・08・17

2005-08-17 05:50:00 | Weblog

   今日の「 お気に入り 」は 、山本夏彦さん ( 1915-2002 )のコラム集

  「 世間知らずの高枕 」の中の「 知らないことに満ちている 」と題した

   小文の中で紹介されている 、雑誌『 諸君! 』の 巻頭匿名のコラム

  『紳士と淑女』の記事のひとつです 。

    十数年前のコラムながら 、天然資源に恵まれず 、国連の緊急食糧援助

   を受けなければならない国のどこから核弾頭を開発できるだけの資金が

   湧いてくるのか 、示唆に富んでいます 。

    覚せい剤 や 偽札の製造・販売 だけでは 高が知れています 。そこは ○兆

   円産業の底力 、かげながら 資金貢献していたかと 、わが国のパチンコ・

   ファンもビックリです 。

    戦後六十年 、ソ連亡き今 、北朝鮮は中国の掌中にあり 、その中国にと

   って数ある対米外交カードのうち 最も使い勝手のいいものに違いありま

   せん 。この世の中は 、朝日 、毎日などの大新聞が 知らせてくれない不

   思議に満ち溢れています 。

 
  「 ○北朝鮮の原子力施設群は拡充しつつある 。原子炉を ぽんと寄付できる

   のだから 、日本のパチンコ屋の実力はすごい 。北朝鮮は まもなく核弾頭

   を持つだろう 。その鉾先は 中国やソ連には向かない 。どこへ向くか 。」




                   
                 

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2005・08・16

2005-08-16 06:00:00 | Weblog

 今日の「 お気に入り 」は 、山本夏彦さん ( 1915-2002 ) のコラム集から 。

 「 わが国は ほとんどゼネコンの支配下にある とかねがね私は思っている 。

  世間はそんなこと思ってない 。ゼネコン自身も思ってない 。近く気が

  ついて思うだろう 。

   ゼネコンというのは戦前の土建屋 、請負師 のことである 。それが日本

  を支配しているなんて 誰も思わないのはもっともである 。昭和三十年代

  まで住宅の過半は木造で 、大工が建てていた 。ゼネコンがそれをビルに

  した 。日本中に高速道路をはりめぐらし 、ダムを 飛行場をつくった 。

  港湾を埋立てた 。高度成長と共に これらをやってのけたのが ゼネラル・

  コントラクター いわゆる ゼネコン なのである 。その下に サブコン があ

  る 。

   いま 家は建てるものではなく 買うものになった 。近く 日本中の住宅は

  ハウスメーカー の建てた ハウス ばかりになるだろう 。デコレーション

  ケーキみたいな家はいやだと言っても 、許されなくなるだろう 。ハウス

  メーカー一社年間の売上げは ゼネコン一社の売上げに迫りつつある 。

   清水建設 、鹿島建設 、大成建設 、竹中工務店 、大林組 が ゼネコンの

  大手五社 で 、ほかに 準大手 、中堅 六十社以上があるが 、くだくだしい

  からあげない 。ゼネコン とまではいかないが 山梨には山梨の土建屋があ

  ることは 、今回の 金丸騒動 で知れわたった 。

   金丸元副総理 は 山梨県出身 だという 。県の土建屋は仕事がほしいから

  つね日ごろ 政治献金 している 。盆暮に五十万百万 、別に新しい大工事

  の発注をリークしてもらえば 応分の リベート を出す 。県の土建屋の手

  に余る仕事なら 中央のゼネコンが請負う 。飛島建設 、西松建設 その他

  大手ゼネコンの名が出たゆえんである 。

   リベート は 利益を越えないのが鉄則 である 。いくら 巨額でも 政治資金

  として 届けてあればいいのである 。ウラ にするには するだけのわけ が

  ある 。細分化しなければならないからである 。

   わが国の政治献金の半分以上はゼネコンから出ている というが 六割だか

  七割だか そこまでは知らない 。新聞は いまキャンペーンのまっ最中 だか

  らついでに勘定してくれれば有難い 。」

 「 都市計画をするのは官僚で 、それを政治家に漏らしてもらって初めて ゼネ

  コンの仕事になる 。チェックする機関はない 。

   ただ ゼネコンは大きくなりすぎた 。受注産業の域を脱した と 自分でも思い

  だした 。域を脱すればどうなるか 。その気になれば 国政まで動かすことが

  できるだろう 。」

 「 都市計画 というものは 後藤新平 以外にしたものがあると聞かない 。いま

  官僚がしているのは 街計画 で 、その情報を得て始めてゼネコンの仕事に

  なる 。役人はそのプロジェクトを有名建築家数人を指名して競技設計させ 、

  一等当選した案をゼネコンに施工させる 。

   したがって 設計の責任は 建築家にあって ゼネコンにない 。ただ 建築家に

  一々厳重にチェックされたら 、ゼネコンの利は薄くなる 。監理は ゆるやか

  なほうがいいから 、ゼネコン は 前もって 有名建築家 と仲よしになる 。

   建築家だって 盆暮の莫大な贈物には弱い 。まして 大プロジェクトの リベ

  ートには弱い 。両者が 深い仲になれば 建築家のある者は ゼネコンのお抱え

  に 似たものになる 。ゼネコンにとっては 建築家に贈るリベートなんて 政治

  家に贈るそれと比べれば 物の数ではない 。

   建築界のジャーナリズムは 一流建築家の手下で 、一流建築家はゼネコンの

  友である 。故に ゼネコンを批評するものはない 。及ばずながら 私が試みる

  ゆえんである 。」

  ( 山本夏彦 著「 オーイどこ行くの 」- 夏彦の写真コラム - 新潮文庫 所収 )

 
   今夏 、「 官製談合 」の ごくごく一部にメスが入り 、発注者である 道路公団

  の複数の現役高官に 縄付き が出ました 。道路公団発注の工事を請負う橋梁メ

  ーカーにも昔から繰り返し「 談合 」を行っていた容疑で逮捕者が出ています 。

   談合につきものの政治家の関与も噂されています 。政財官の関係者皆々が

  「 今更どうして 」「 なぜ今なのか 」という反応です 。日本全国の高速道路

  のうち「 橋梁 」発注の占める部分がどれくらいのものであるか知りませんが 、

  「 官製談合 」が「 橋梁 」発注について なが年行われてきたのが事実なら 、

  「 橋梁 」以外の高速道路建設にも 当然「 官製談合 」が なが年行われてきた

  のだろうな 、とは 子どもでも察しられることです 。公団で行われていること

  が 、他の役所で行われていないはずもなく 、「 必要悪 」と我も思い 、人にも

  思わせ 、テレビカメラを前に 公然と口にする官僚出身の国会議員がいるくらい

  日本国中に蔓延し 、常態化した「 談合 」が俄かになくなるはずもありません 。

  改まらないには改まらないだけのわけがあるのです 。「 天下り 」も「 政治献

  金 」も同根です 。

   山本夏彦さんは 、「 一罰百戒のつもりなのか 」と題したコラムの中で 、次の

  ようにも書いておられます 。

 「 日本の政治献金の六割だか七割だかはゼネコンが出していると聞いた 。まさか

  と思うがそうらしい 。ゼネコンの下にサブコンがある 。日本のゼネコンが一流

  なのは サブコンが一流だからだ ということは容易に察しられる 。

  下請 というとイメージがまるで違うから 、今は サブコン という 。サブコン の

  筆頭者は 一流会社 である 。けれども その名を世間は知らない 。新聞が書かな

  ければ存在しない 。ゼネコン が 基礎は サブコン A社に 躯体はB社に 設備はC社

  に 請負わせて ゼネコ ンがその総指揮をとるのは 、昔の 請負の伝統 である 。

  戦前の旦那は 大工 、左官 、建具の一々に発注して 一々に支払いはしない 。

  棟梁にまとめて 払う 。サブコン は単能だから 一社でまるごとは建てられない 。

  いくら ゼネコン でも献金の全部は出せない 。サブコン に割当てて出させる 。

  サブコン はさらにその下請に割当てる 。

   それらの合計が ゼネコンの献金 である 。ゼネコンが 万一『 お縄 』になっても

  サブコン以下は 直接献金したのではないから その名は出ない 。ゼネコンもまた

  出さない 。

   いま パーティ券の相場は三万円だそうだ 。一枚三万円で買ってもらって 五千円

  の料理しか出さなければ二万五千円が献金になる 。百枚買って 受付でサインだけ

  して 入場しなければ 三百万円まるごと懐ろにはいる 。」
 

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敗戦記念日 2005・08・15

2005-08-15 05:50:00 | Weblog
   今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「我々が戦争や震災の渦中にあったことは事実だが、渦中にさえあれば、それを経験したと思うのは誤解である。しかも、

  老人は少年を説教するに、常にこの経験を以てする。

   八月十五日、新聞は『終戦』という言葉を採用した。昔なら負けいくさ、あるいは降参といったものをごまかしたので

  ある。経験して、やがて忘れたのではない。初めから経験しなかったのではないかと、私は敗戦直後書いたことがあるが、

  いまだにその疑いが晴れないのは残念である。」


  (山本夏彦著「茶の間の正義」所収)


  「老人はむかし自分は戦争の渦中にあったから、戦争を経験したというが怪しい。その渦中にあっても人は多く経験しない。

  経験はついに才能の一種か。」


  (山本夏彦著「世間知らずの高枕」所収)


 またこの日が巡りきて、山本夏彦さんのこの文章を思い出し、また一年過ぎていきます。
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2005・08・14

2005-08-14 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「めくってもめくっても広告――と言いたくなるほど新聞に広告がふえた。広告は大きけりゃいいってものじゃない。二ページ見開き大広告だと分ると、読者は見ないでさっさとまたいで行くからあれはただのムダである。
 企業には金があまっている。税に奪われるくらいなら広告なさい、税は何ものももたらさないが広告はもたらすと電通または博報堂にそそのかされて、いかにもと広告しているのだから、初めから多くの効果は期待してない。」

 「私は会社だけが富んで個人が富まない社会は不健康だと思っている。金あまりの大会社は世界に進出して何をしでかすか分らない。個人のサクセス・ストーリー(成功譚)のない社会は生き甲斐がない。アメリカにはまだサクセスがある。見習ってはどうか。」

 「個人に金がなくて法人にあるとどうなるか。法人の金には思想がないからアメリカの土地を買いビルを買う。それでいて私たち個人は世界一の金持だといわれながら全くその実感がない。」

   (山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)
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無辜 2005・08・13

2005-08-13 05:50:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「今はないあの名高い帝国ホテルを建てたフランク・ロイド・ライトは、大正八年自分の助手としてアントニン・レーモンドを

  呼んだ。レーモンドはチェコで生れパリで学んだアメリカ国籍の若い建築家である。

   ライトは帝国ホテル落成と共に日本を去ったが、レーモンドは以後なん十年東京に残ってアメリカよりむしろ日本で一流に

  なった。レーモンドは大正の震災前の東京を知っている。どんな普請でも一日で棟上する大工の建前を見て、まるで神業だ、

  日本の大工は世界一だとほとんど尊敬した。

   その影響で木造建築の近代化を試みた。吉村順三、前川国男はその弟子である。戦争中はやむなくアメリカへ去ったが、

  戦後再び日本へ帰った。レーモンドはひと昔前のラフカディオ・ハーンのような親日家として知られている。ただし日本語は

  読もうとも話そうともしなかった。

   東京空襲は昭和十九年十一月から始まった。カーチス・E・ルメイ将軍ははじめ爆弾を投下したが、爆弾ではらちがあかない、

  焼夷弾にせよ、日本の家屋はすべて木造だから夜間低空から落せば東京はまる焼けになると進言したのは、ほかでもないこの

  レーモンドだったという。

   ルメイはその提案にとびついて、以後円の外部から焼夷弾を投下し次第に内部に及んだ。全くの非戦闘員、無辜の市民を

  袋の鼠にして無慮なん十万人を殺傷した。南京虐殺どころではないと九死に一生を得た当時の少年、いま日建設計の重役で

  あり同時に一流の建築家である林昌二は新刊『二十二世紀を設計する』(彰国社)に書いている。

   昭和三十九年ルメイは昭和天皇から勲一等旭日大綬章をたまわっている。レーモンドはその美しいリーダーズダイジェスト

  の社屋によって日本建築学会賞をもらっている。レーモンドは焦土と化した東京を初めて見た時『ああ』と顔を覆ったという。

  林昌二はいいとか悪いとか言ってない。ただ建築家であること日本国民であること、二十世紀人であることが、時にうとましく

 なることがあると結んでいる。」


  (山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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桑名の駅 2005・08・12

2005-08-12 05:50:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、中原中也(1907-1937)の詩一篇。

 桑名の駅

   桑名の夜は暗かつた
   蛙がコロコロ鳴いてゐた
   夜更の駅には駅長が
   綺麗な砂利を敷き詰めた
   プラットホームに只独り
   ランプを持つて立つてゐた

   桑名の夜は暗かつた
   蛙がコロコロ泣いてゐた
   焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
   此処のことかと思つたから
   駅長さんに訊ねたら
   さうだと云つて笑つてた

   桑名の夜は暗かつた
   蛙がコロコロ鳴いていた
   大雨の、霽(あが)つたばかりのその夜は
   風もなければ暗かつた

  (角川春樹事務所刊「中原中也詩集」所収)

 1935年8月12日の「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間不通のため、臨時関西線を運転す」と詩人の註が付いています。40年近く前の学生時代、南紀への旅の途次、乗り継ぎの夜行列車の待ち時間を、独りこの駅のプラットホームで過したことを思い出しました。

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